コラム:ニューヨークEXPRESS - 第44回
2025年1月14日更新
ニューヨークで注目されている映画とは? 現地在住のライター・細木信宏が、スタッフやキャストのインタビュー、イベント取材を通じて、日本未公開作品や良質な独立系映画を紹介していきます。
若き日のボブ・ディランに影響を与えた“伝説の歌手”を演じるために――エドワード・ノートン&モニカ・バルバロ「名もなき者」秘話を明かす
「風に吹かれて」「時代は変わる」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「天国への扉」などの名曲を手がけ、デビュー以来半世紀に渡り、多大な影響を及ぼした伝説の歌手ボブ・ディラン。ティモシー・シャラメが彼の若き日を演じた話題作「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」が、2024年12月25日より全米公開されている(日本公開は2月28日)。
サーチライト・ピクチャーズが“オスカー候補”として推している同作には、エドワード・ノートンとモニカ・バルバロが出演している。今回は2人への単独インタビューを通じて、ディランの人物像にも迫っていく。
舞台は、1961年~65年のアメリカ・ニューヨーク。ミネソタ出身の無名ミュージシャンだったディランが、ニューヨークに移り住んだ時期から、ウディ・ガスリー、ピーター・シーガー、ジョーン・バエズらと出会い、スターダムを駆け上り、唯一無二のカリスマになっていく様を描いている。
監督は「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」のジェームズ・マンゴールド。若き日のディランを「君の名前で僕を呼んで」などで知られるシャラメが演じ、ディランに多大な影響を与えたフォークシンガー、ピート・シーガー役をノートン、実生活でディランと交際していたスーズ・ロトロにインスパイアされたシシルヴィ・ルッソ役をエル・ファニング、フォーク歌手ジョーン・バエズ役をバルバロが演じている。
50年以上も音楽活動をし、今でも精力的にコンサートを続ける“偉大なミュージシャン”を映画化する。そのうえでどこに焦点を当てるのか、どの時代を描くのか――今作では、ギター片手にニューヨークに降り立った若き日のディランが偉大な人物と出会い、フォーク界のスターとなり、新たな音楽を模索して旅立つところでエンディングを迎える。
ディランを語るうえで重要なのは、多大な影響を与えた伝説のフォーク歌手ピート・シーガーだろう。シーガーは、20世紀半ばのフォーク・リバイバル運動の中心人物。自身が役員として名を連ねていたニューポート・フォーク・フェステイバルにディランを参加させたことで、彼が広く認知されるきっかけを作った人物なのだ。
今作では、シーガーの初期のキャリア、特にエレノア・ルーズベルトの前で演奏した時(1941年3月に大統領夫人エレノア・ルーズベルト主催でホワイトハウスにおいて行われた「アメリア兵士のための夕べ」の演奏)や最も影響力のある2つのフォーク・グループ「アルマナック・シンガーズ」と「ウィーバーズ」結成時のことは描かれていない。その後のシーガーの半生を演じるために必要なエッセンスとは何だったのか?
ノートン「いい質問だね。ありがとう。あなたの言う通り、30年代から40年代にかけての彼の進歩的な大義に対するコミットメントの深さ、私がある意味最も啓発されたのは、50年代のマッカーシーによる赤狩りの最中に、彼がブラックリストに載ったことです。そして、ブラックリストに載ったことで、10年近くもプロとしてのキャリアがほぼ閉ざされてしまった。そして今作(で描かれる時代)が始まるとき、彼は再び姿を現しているんです。フォークを存続させるために彼がしてきた多くの仕事が、新しい世代によって花開いている。ジョーン・バエズ、そして特にボブ・ディランのような人々がバトンを受け取り、新しい世代へと受け継いでいく光景を見ることが、彼にとってどれほど大きな喜びでだったか。それを理解することが、私にとって本当に重要なことでした」
フォーク・リバイバル運動の中心人物であったシーガーと、当時、病に伏せていたフォーク歌手のウディ・ガスリーとの出会いから“新たな道”が切り拓かれていく。ガスリーとシーガーは、50年代から60年代にかけてフォーク・ミュージック・リバイバルを起こし、フォーク、つまり“人々の歌”をもう一度自分たちの手に取り戻そうという運動を行った。ブルースやブルーグラスなどのルーツを再発見する運動でもあったように思えるが、その時代から何を学んだのだろう?
ノートン「当時、ピート・シーガーは、スミソニアン(博物館)でフォーク・ミュージックのカタログを作る仕事もしていました。だから、彼がいろいろな意味で音楽史家だったというのは、とても正しいことなんです。彼が2000曲以上の曲を記憶していると考える人もいたくらいです。彼は音楽に関する膨大な百科事典のような知識を持っていて、いろいろな意味で音楽保存主義者でした。音楽を通じてアメリカ文化が保存されるように努めていて、当時の多くの人々にとっては、フォーク音楽の高僧のような存在だったと思います。ディランやジョーン・バエズと同世代の若い世代に話を聞くと、彼らは彼を精神的な存在として見ていました――友人ではなく、別の意味で、彼らの中で高貴な存在だったんです。ジム(=ジェームズ・マンゴールド)は映画の中で、それをうまくとらえていたと思います」
シーガーはディランの良き理解者だったのだろうか? シーガーは、ディランにフォーク・ミュージックのバトンを渡した人物であり、ニューポート・フォーク・フェスティバルの「マギー・ファーム」でエレキ・ギターを弾く際のディランの“変化”にも立ち会った人物でもある。
ノートン「歴史や文化史は、ある意味で1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでのエレクトリック・ギター演奏を強調するために、物事を縮小する傾向があると思います。でも同時に、ピート・シーガーはディランがエレクトリックに移行していく過程で、多くのディランの音楽を本当に愛していたと思います。あの夜、何が彼らを苛立たせたのかについては、さまざまな証言があります。でも、根本的には、ディランもシーガーも、あの夜について永続的に否定的な感情を抱いていたという証拠は、私は見つけたことがないんです。彼らはお互いをとても大切に思い、感謝し、賞賛していたと思います」
伝説のフォーク歌手でディランと交際していたジョーン・バエズの人生は“記録”として残されている。40枚のスタジオ・アルバムとライブ・アルバム、ロックンロールの殿堂入り――昨年はドキュメンタリーも公開された。バルバロにとってジョーン・バエズを演じるための入り口は何だったのか?本人に会って話をしたのだろうか?
バルバロ「ジョーンへの入り口は、リサーチすることがたくさんありました。その中で、まず音楽面でも大きな仕事をこなさなければなりませんでした。私は歌手でもギタリストでもないので、まずは2つのトレーニングに取り掛かったんです。それが私の初期の仕事の多くでした。撮影中、ジョーン・バエズと話す機会がありました。短い会話でしたが、彼女は自分自身について、そしてこの時期に起こったことの全てについて、とてもオープンに答えてくれました。そして私は、何が起こっていたのか、本当によく理解することができました。彼女はいつも魂をさらけ出しているんです。彼女を知るための入り口や機会がたくさんあるように感じられました」
ジョーン・バエズにとって、ディランはある意味、アフリカ系アメリカ人公民権運動の仲間のような存在だ。だが、ディランは“交際と別れ”で彼女の心を傷つけたこともあった。彼らが共に演奏したとき“魔法のような瞬間”を作り上げられたが、彼らの関係をどのようにとらえているのだろう。
「私の仕事は、可能な限りジョーンらしく、正真正銘の姿を見せることでした。ティモシー・シャラメと一緒に仕事ができて幸運でした。私は彼の作品が大好きだし、ディランとして登場する彼を完全に信頼できると思いました。私たちの下準備は、ボブとジョーンを理解するため、私たち自身のある種のサイロ化(組織や情報が孤立し、共有できていない状態)された経験、それから一緒になって、脚本のページに書かれた状況とお互いへの理解を、演技をするうえで利用しました。それは座りながら、2人(=ディランとバエズ)の関係を理論的に考えたり、その特徴について話すようなものではありませんでした。私たちは、ミュージシャンとして吸収し、ただ目の前に現れて、目の前にあるものを受け取ろうとしていたんです。シャラメは全体的なことを気にしていたんです。あくまで、私たちはその場にいる“ディランとジョーン”になりきっていたんです」
「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」は、1960年代ニューヨークの再現、脇を固めるノートンとバルバロの演技も秀逸。さらに「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」でジョニー・キャッシュを描いたことのあるマンゴールド監督の演出は見事で、全ての分野において、高い水準を叩き出した映画に仕上がっている。
筆者紹介
細木信宏(ほそき・のぶひろ)。アメリカで映画を学ぶことを決意し渡米。フィルムスクールを卒業した後、テレビ東京ニューヨーク支社の番組「モーニングサテライト」のアシスタントとして働く。だが映画への想いが諦めきれず、アメリカ国内のプレス枠で現地の人々と共に15年間取材をしながら、日本の映画サイトに記事を寄稿している。またアメリカの友人とともに、英語の映画サイト「Cinema Daily US」を立ち上げた。
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