コラム:韓国の人がぶっちゃける、made in KOREA - 第4回
2011年4月26日更新
私たちの住む現実の仕組み、不当取引
突然ですが、海外映画や海外ドラマを見ていて、「この役者は演技が下手だなあ」と感じたことはありますか。「演技がうまい」「歌がうまい」と表現者を評価する行為は、決して生意気ではないと思っています。表現者は演技や歌の勉強をしたことがない人に向けて、自らの役を演じているからです。表情、声のトーン、話し方など完璧にキャラクターになりきってはじめて、うなるほどの演技力と称されるのでしょう。
しかし、洋画を見るときには字幕を目で追う作業が加わる上、その国特有の発声法や話し方を知らない場合がほとんどであるため、「上手」「下手」と判断する余裕がぐんとなくなってしまいます。韓国にも、話にならない大根役者は存在しているのです。
私はリュ・スンワン監督の「生き残るための3つの取引(原題:不正取引)」を見ながら、「この映画の良さは海外でも伝わるのだろうか」とずっと気がかりでした。リュ監督作品に見られる俳優の演技力には、深い感銘を受けます。もちろん、“トラウマ製造機”と定評がある監督なだけに、庶民の暮らしを驚くほどリアルに表現している点や、社会や人間の汚い部分をさらけ出した作風も特徴です。リュ監督は、リアルすぎる演技力を持った俳優を選び、育てることにたけているのです。
リュ監督の作品に出演する役者は、実の弟リュ・スンボムは当然のことながらエキストラでさえ、映画のちょっとした欠点なら隠してしまうほどにリアルな演技を見せます。今作では、リアルさの追求のあまり救いのない展開に疲れたり、多少ドキュメンタリー化してしまっている印象を受けました。その欠点でさえも、「リュ監督がリアルな映画を作るのがうまいからだ」と考えることもできるのですが。
韓国には「アジョシ」に登場したウォンビンのような“アジョシ(おじさん)”ばかりが暮らしているのではありません。むしろ、ウォンビンのようなアジョシはどこに住んでいるのか指名手配したいくらいです。よりリアルな姿を見せてくれているのが、「生き残るための3つの取引」に登場するアジョシたちでしょう。
役者の演技は、発声、トーン、仕草、どれを取っても現実的です。露骨に残酷な場面や濡れ場があるわけではないにもかかわらず、韓国で19禁というラベルが貼られたのは、リアルな要素が多すぎるからではないでしょうか。社会の不当な側面、権力と金に従うしかない現実、いらだたしさや歯がゆさ、そしてメディアの力の強大さと情報操作の恐ろしさ。「ちょっとしたホラー映画よりも人間社会の方が恐ろしい」ということを、見せつけてくれました。
私が中高生の時に鑑賞していたら、価値観が変わっていたかもしれません。世の中、純粋できれいなだけじゃないと知った今となっては、「幼いうちからこういった映画を見ておけば免疫になって悪くなかったかもしれない」とも思います。華麗なアクションや男女のロマンスはないけれど、非常に出来の良い(しかし後味は少々苦い)作品だと思います。