コラム:映画館では見られない傑作・配信中! - 第5回
2019年8月29日更新
“エジプトのヴィン・ディーゼル”に完全ノックアウト!現代の中東映画事情に注目
映画評論家・プロデューサーの江戸木純氏が、今や商業的にも批評的にも絶対に無視できない存在となった配信映像作品にスポットを当ててご紹介します!
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とかくハリウッド系や日本製の新シリーズと独占配信映画にばかり注目してしまいがちなNetflixだが、その膨大な作品リストには、実は普段なかなか日本の映画館で上映されないどころか、ビデオもほとんど発売されない国の珍しい映画が数多く眠っている。
このコラムの第2回ではインドや中国語圏の新作の充実を紹介したが、今回はNetflixでは“中東映画”として紹介されているアラビア語映画、特に同映画圏のなかでも格段の製作本数(年間約40本程度)と質と歴史を誇るエジプト映画に注目したい。
エジプト、特に古代エジプトを舞台にしたハリウッド映画は数多いし、日本でも人気がある。だが、エジプトで製作された映画というと、「アレキサンドリアWHY?」(1979)、「炎のアンダルシア」(97)などが公開された巨匠ユーセフ・シャヒーン監督作品くらいしか思い浮かばないだろうし、ほかには映画祭や自主上映で作家系の作品が何度か上映されただけだろう。
だが今、Netflixで見られる約50本のエジプト映画は、基本アクションやサスペンス、コメディにホラーなどのエジプトはじめアラビア語圏市場向けの娯楽映画だ。こうした作品がこれだけたくさん日本語字幕つきで見られるのは、かつてなかったことだ。
私は20年前にインド映画「ムトゥ 踊るマハラジャ」を紹介した直後、日本であまり紹介されることのない中東映画圏の中心地、エジプト映画に関して調べたことがあった。しかし、当時も今もエジプト映画をはじめとするアラビア語映画の特に娯楽作品は、各国の映画マーケットで積極的に売り出されることはほとんどなく、英語字幕つきのビデオやDVDもあまり発売されていないので、その全体像を把握することはとても困難だった。この現状は基本的に今もあまり変わらず、英語字幕つきのアラビア語娯楽映画を見ることができる機会は一部の国際線の機内上映くらいしかないのが現状だ。
アラビア語商業映画が日本に輸入されにくい最大の理由は、言うまでもなく、作品そのものが日本市場向きではないからだ。映画の質の問題ではなく、イスラム文化圏の思想や習慣をベースにしたそれらの作品は、設定や物語、笑いなどに、日本人には理解しにくい部分が多々あり、世界共通商品として製作されるハリウッド系作品のように日本の観客誰でもが楽しめる作品ではないのは事実だ。だが、その理解に苦しむ設定や展開を“多様性”や“異文化体験”として国際的視野を持って楽しむ姿勢を持てば、100%の理解は難しいとしても、それらはとても興味深く、刺激的で、十分に面白い作品も多いのだ。
今回まず見てみたのは3本の比較的新しい作品。演技、演出、撮影技術、どれも国際レベルで予想以上のクオリティで、まさに刺激的な異文化体験だった。
「テロとの戦い」(原題:EL-KHALEYA/英語題名:THE CELL)は2017年に大ヒットし、当時エジプト映画史上歴代第2位の興行成績を記録したアクション大作。Netflixの中東映画リストの中でも特別大きく扱われている。主人公は警察の対テロリスト特殊部隊の隊員。作戦中に親友だった同僚を殺された彼が、テロリストのリーダーを執拗に追い詰めていく物語で、カイロを舞台にアフマド・エズ演じる主人公がスティーブン・セガールのように暴走気味に暴れまわる。
特殊部隊の訓練シーンから始まり、銃撃戦、カーチェイスときっちりこなしてクライマックスはカイロの地下鉄での大アクションとスケールの大きな見せ場も豊富だ。正直ハリウッド映画の対テロアクションのテンプレートに沿った作品だが、悪役のイスラム過激派を単純な悪としては描かず、彼らにもきっちりと主張させるのがイスラム文化圏の映画ならでは。ドラマ部分でテンポが落ちるのは残念だし、品よくまとまりすぎて驚きは少ないが、エジプト映画の力量を知るには十分な、見て損のないお手本だ。
「もういいかい?」(原題:KHALAWEES)は18年の社会派コメディ。アフマド・イード演じるタクシー運転手ハッサンの5歳の息子が、ある日裁判所のミスで逮捕され、15年の刑を言い渡されてしまう。ハッサンは刑務所内では近親者が同じ房に入れるという規則を利用し、息子を守るために微罪を犯して刑務所に入る。冤罪騒動がメディアで話題になり、社会不満が増大するのを恐れた政治家は、息子をすぐに釈放するが、ハッサンは逆に長期刑にされてしまう。その後、テロリストのボスの奪還作戦に巻き込まれて意図せず脱獄した彼は、あまりに理不尽な母国を捨て、息子を連れてヨーロッパに脱出しようとするが……。
幼い子どもの誤認逮捕からはじまる、予測不可能な事件の連続は、決して絵空事ではなく、“あってもおかしくない”エジプトのリアルとして繰り広げられ、ラストまでサスペンスを維持し続ける。基本はコメディだが、そこには国家権力や政治家たちの怠慢を痛烈に皮肉り、笑い飛ばしながら、庶民が抱える社会への怒りや不満を発散させるブラックなパワーが込められている。こんな驚愕のプロットが成立するのは、エジプト映画ならでは、何が起ころうと無邪気に動じない子役の可愛さと名優アフマド・イードの熱演で楽しませ、考えさせられる。
そして、まさに“衝撃の出会い”と言っても過言ではない、今月のコラムの目玉ともいうべき1本が、モハメド・ラマダンという俳優としても、歌手としても大人気のエジプトのトップ・スターが主演する17年のアクションサスペンス「逮捕状」(原題:JAWAB E’TEQAL/英語題名:DETENTION LETTERあるいはARREST LETTER)。
この映画、何と主人公はイスラム原理主義者のテロリストなのだ。主人公カリームは原理主義団体の戦闘司令官。純粋に神の教えを信じ、数々のテロ活動を行ってきた彼は年老いた宗教指導者ばかりの指導部の考え方に同調できず、弟まで組織に引き込もうとする指導部に反発していた。警察がテロの容疑者として彼の逮捕を狙う中、原理主義団体の内部抗争が勃発する……。イスラム教に詳しくない日本人の常識からすると、繰り広げられる物語のほとんどが想定外。誰が正義で、誰が悪なのか、わからないままハイテンションかつスリリングな展開でさまざまな葛藤とバトルが繰り広げられる。
教義にも恋愛にもあまりに純粋一直線。無表情に敵を殺害するだけでなく、嫌がられてもただひたすら幼馴染みのいとこに求婚し続け、その彼女に別な男が求婚したことを知ると、その男を拉致ってボコボコにするなど、ほとんどホラーな存在。後半の原理主義団体の権力抗争はマフィアもびっくりのまさに仁義なき戦いで、クライマックスは子どもたちを騙して自爆テロなどに導いたすべての元凶として、彼がある宗教指導者を暗殺しようとする。
警察に追われるテロリストが主人公なのも、イスラム教指導者が次々殺される展開も、違う宗教の人間が作ったら国際問題間違いなしだが、そのさじ加減が絶妙なのでなぜかラストにはこの主人公の一途で不器用な生き様に涙さえ誘われる。
エジプトの人々やエジプト映画に詳しい人からは今さら何をと言われそうだが、とにかく「凄いものを見てしまった」というのが第一印象。そして、“エジプトのヴィン・ディーゼル”とでも呼びたい、細&悪マッチョなイケメン、ラマダンの笑顔ひとつ見せない硬質な魅力に完全にノックアウトされた。
1988年生まれの31歳。まさに今、エジプトはじめ中東各地で大ブレイク中だ。彼のYouTubeチャンネル(https://www.youtube.com/channel/UCJCj2HtcnbOyCj1rmKaxwJg)を見ると、近年はラップ歌手としての活動に重点を置きはじめているようで、近作のミュージックビデオはどれも再生回数1億回を超えている。Netflixには「逮捕状」より前に作られた彼の出演作がほかにも現在4本あるので、こちらも要チェック。
このちょっと危険なカリスマ性にハリウッドが目をつけるのも時間の問題だろう。ひょっとしたら日本でも人気が出るかもしれない。いずれにせよ、ラマダンには要注目。しばらく私のエジプト映画探索も続きそうだ。シリーズ物にも興味深い作品が少なくないので、いずれ続報もお伝えしたい。
世界各国の娯楽映画の最前線がどんどん追加されているNetflixには、こんな驚きと発見がまだまだ眠っている。次は何を見るか!? エジプト以外にも、トルコ、インドネシアあたりはかなり探りがいがありそうだ。
筆者紹介
江戸木純(えどき・じゅん)。1962年東京生まれ。映画評論家、プロデューサー。執筆の傍ら「ムトゥ 踊るマハラジャ」「ロッタちゃん はじめてのおつかい」「処刑人」など既存の配給会社が扱わない知られざる映画を配給。「王様の漢方」「丹下左膳・百万両の壺」では製作、脚本を手掛けた。著書に「龍教聖典・世界ブルース・リー宣言」などがある。「週刊現代」「VOGUE JAPAN」に連載中。
Twitter:@EdokiJun/Website:http://www.eden-entertainment.jp/