コラム:若林ゆり 舞台.com - 第49回
2016年11月8日更新
第49回:「カイロの紫のバラ」の翻案で映画ファンの夢を体現する緒川たまきの揺れる思い!
映画ファンなら「特別な作品」と思っている人も多いのではないか。映画館で映画を見ることで現実逃避をしている平凡な主婦が、映画のスクリーンから飛び出してきた登場人物と、その役を演じた俳優と恋に落ちる。ウッディ・アレン監督の「カイロの紫のバラ」は、映画ファンなら共鳴せずにはいられない、ビタースウィートなファンタジックコメディだ。その名作を、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)が1930年代の日本の、とある田舎の港町を舞台に翻案し、さまざまな意匠を懲らした舞台が「キネマと恋人」。
「カイロの紫のバラ」ではミア・ファローが演じたセシリアに当たり、妻夫木聡が演じる2人の男性とつかの間の恋に落ちるハルコに扮するのは緒川たまき。彼女にとっても、「カイロの紫のバラ」は大好きな、思い入れの大きな作品だという。
「この映画は90年代にビデオで観ていたんですが、残っていた記憶が断片的だったんです。ご覧になった方はおわかりだと思うんですが、印象的なシーンが積み重なるように作られている作品で。スクリーンからスターが出てくるとか、ヒロインがいつも同じ映画を見ているとか、旦那さんに乱暴されて泣きべそをかいているとか。そういう印象的な画が頭の中にこびりついていて。でも自分の中でほかの映画の記憶と混ざり合ってしまったところがあって全体像を見失っていたんです。でも10年くらいしてから見直したときに、『これ、これ!』って捜し物が見つかったみたいにピースが繋がって。ああ、そうそう、こういう映画でこんなところが好きだったんだって、ちゃんと自覚できるようになりました」
再会した「カイロの紫のバラ」を深く愛するようになったのは、意外にも映画ファンの立場というより、舞台女優という立場と経験によって理解が深まったからだそう。
「出演者側の観点からいくと、映画というのは、今日はあるシーンを撮影しに行く、終わったら明日のシーンに備えるということを繰り返し、少しずつ積み重ねる作業です。でも舞台はそのときそのときでどっぷり集中して、その作品世界の登場人物になりきる。作品のトーンの中に入り込んで、その2時間から3時間を過ごして幕が閉じたら『ああ、終わってしまった』って思うんです。オープニングで聴いた曲は遙か彼方の過去のように思えて、実際の2時間とか3時間よりも長いときが過ぎてしまったような感覚で。その人物の人生を、その世界で生きたという疲労と喜びとが残る。そして次の日にはまた1からその人物を生きるということを、毎日、公演期間中は繰り返すわけです。セシリアは映画を見ている間は日常を忘れて、終わるとまた日常のいろいろなことで頭がいっぱいになって。でもまた映画館に行くと、その世界に1からどっぷり入り込んで日常から離れられる。それを毎日繰り返しているんですね。『カイロの紫のバラ』でセシリアが体験していたスイッチの切り替えみたいなものが、舞台をやったことでより実感できるようになったんです」
映画館で熱い視線を送っていた映画の登場人物とスターが、現実世界でロマンスの相手になる。もちろんこの登場人物とスターが魅力的でなければ、この作品は成立しない。そこへいくと、この作品の妻夫木聡は完璧だ。緒川は目をキラキラさせながら「妻夫木さんが演じる2人は、どちらも『どうしようかしら?』と思うほど魅力的なんです!」と絶賛する。
「映画の登場人物のほうはすごく純粋無垢な心の持ち主で、すべてを新鮮に受け止めているし、ハルコさんのことをまっすぐに見てくれる。黒だか白だかわからないグレーじゃなく、本当に真っ白なんですね。彼が言うことには疑いを持ちようがない。でも彼は夢の世界にいる世間知らずの人だから、現実の世界に住むハルコさんにとっては力にならないという(笑)、その苦しさ。一方で俳優さんのほうは、いつかはもっと大きなスターになろうという野心があるからピリピリしたところがあるし、チャンスがあれば人を押しのけてでも前に出ようという人で、恐いようなところもある。でもハルコさんの大好きなコメディの世界でスターを目指していますから、すごく気が合うんです。ハルコさんにとってはすごく刺激的な人なんですよね」
筆者紹介
若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。
Twitter:@qtyuriwaka