コラム:若林ゆり 舞台.com - 第123回
2024年3月29日更新
第123回:濃いカリスマ、北村一輝が初のミュージカルとなる名作「王様と私」で「人生を変える」挑戦!
北村一輝が、ミュージカル「王様と私」の王になる! これはミュージカルファンのみならず、映画ファンにとっても驚きとともに「納得!」の配役なのではないだろうか。「王様と私」は1860年代にシャム(現タイ)の王室付き家庭教師を務めた英国人女性の半生を描いた、マーガレット・ランドンの伝記小説を原作とするブロードウェイ・ミュージカル。「サウンド・オブ・ミュージック」のリチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタイン2世の代表作だ。女優のガートルード・ローレンスのために書かれたが、助演のはずの王役、ユル・ブリンナーが圧倒的なカリスマ性を発揮して大ブレイク。1956年の映画版も大ヒットした、掛け値無しの名作だ。
日本では市川染五郎(後に松本幸四郎、現・二代目松本白鸚)が王様役として、65年の初演より長らく上演を重ね、東宝ミュージカルの代表作に。2015年には本場ブロードウェイでの公演に渡辺謙がケリー・オハラと主演し、ロンドン・日本公演でも喝采を浴びた。
この歴史ある、絶対的な求心力を必要とする役を誰ならできるのか。そう考えたとき、北村一輝の名が挙がるのは必然だろう。だが、北村はミュージカル未経験。最初にオファーが来たときは「『無理です』と、即、お断りしました」という。
「その後も熱心に口説いていただいたのですが、渋りましたね。悩んだなんてものじゃない。ミュージカルはやはり、歌がものすごく重要だと思いますし。そこが壁でした。他人様の前でお金を頂戴していいのか。自分なら観たいと言えるのか。それでも決断したのは、口説いてくれたプロデューサーが旧知の方で、20代の頃に声楽を習って発表会をしたときに、一緒に歌った仲間だったということ。そのときの声を覚えてくださっていて『絶対にできます』と言うので、その言葉に乗ってしまおう、と覚悟をきめました」
やると決めたからには「最高のものをお見せする」ため努力は惜しまない。それが北村の、プロとしての矜恃だ。これまでも「今夜、ロマンス劇場で」の俊藤龍之介役や、「地球ゴージャス」の舞台「ささやき色のあの日たち」などでミュージカルっぽい歌も披露し、歌唱力は証明済みだが、「それは本格的ミュージカルじゃないから」。目指すハードルを高く置き、毎日「カラオケ行こ!」を実践しているそう。
「昨年の夏に返事をしたとき『とにかくすぐにボイストレーニングを始めさせてください』とお願いして、できる限り通っています。レッスンに行けない日も毎日ひとりでカラオケボックスに行っています。この頃は、『レ・ミゼラブル』と『オペラ座の怪人』をたくさん歌います。そういう作品で主演される方は、もう最初のワンフレーズだけで全然違うじゃないですか。だからもう、ここを目指さないと。本格ミュージカルとしての歌からいかないとだめだと思っていて。毎日やっているのは、腹筋と喉の筋肉を使って毎日歌うことが大事だと声楽の先生に言われたからです。どこまで伸びるかわからないですけど、やってみせます(ニヤリ)。できるかできないかというより、もう『うまいから聞きに来てくださいね』と強気で言って、自分の首絞めてやるぐらいじゃないといけないなと思っています」
幼い頃から映画が大好きで映画を観まくり、映画俳優になるためにあらゆる努力をしてきたという北村。根っからの映画人を自負するだけに、これまで舞台に対しては「自分の居場所じゃない」というアウェイ感がぬぐえなかったという。
「これまでに何度も舞台はやらせていただいていますし、稽古場で役を掘り下げていくという過程ではもちろん学ぶことも多かったから、いい経験になったと思っています。でも、映画をやっているときほど自信がもてないままだったり、自分の立ち位置を探っているうちに終わってしまったりということもありました。でも今回は、作品づくりを楽しめている自分がいて、自分でもちょっとびっくりしています(笑)」
ミュージカルを観るのは好きで、よく行っているという。
「ハマったのは映画です。若い頃に『ウエストサイド・ストーリー』や『サウンド・オブ・ミュージック』、『グリース』などが大好きで、何度も観ました。そのうち舞台も観に行くようになって。ニューヨークで『レ・ミゼラブル』も観ました。やはりミュージカルは、歌の力が命だと思いますね。感情の波動を伝える力が強い。そこが好きなところです。だからこそ、自分がやるとは想像もしていませんでしたね」
筆者紹介
若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。
Twitter:@qtyuriwaka