キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのレビュー・感想・評価
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マーティンスコセッシの終わり
なんてことのない映画でしたわ。ディカプリオが女房に打ってた注射は裁判で言及されねーかよ😂マーティンスコセッシも年取ってこーいう社会派の映画作りたくなったんか?寒いことしてんじゃねえよ、え?「俺ちゃんとアメリカの歴史理解してまっせ、インディアンの人たちの惨劇をちゃんとみんなで知ろうな。」ってか?さみーさみー😂😂もういいってそーいうの笑
デヴィットフィンチャーの新作もクソつまらなかったがこの映画もここまでつまらなくなるとは思わなかったぜ。お金返して。
もうタランティーノの新作に期待するしかねえな。ほんでオッペンハイマーは日本で公開されるんけ?
多様性について考えさせられる問題作。
これは素晴らしかった。
「これぞ映画」という感じの映画。
スコセッシは長年にわたって映画を撮り続けている中で常に「今の映像」を提供し続けている。時代の空気やセンスにぴったり寄り添って作品を生み出す能力は驚異的だ。
1920年代のオクラホマ州。
油田を掘り当てて金持ちになった先住民のオセージ族の土地に、金目当ての白人たちが押し寄せる。
戦争帰りのアーネスト(ディカプリオ)は、叔父であるヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼ってこの土地にやってくる。そこで運転手の仕事をするうちにオセージ族のモリー(リリー・グラッドストーン)と親しくなる。
ヘイルからオセージ族の女と結婚すれば金が流れ込んでくる、と吹き込まれて、モリーと結婚する。
そして、オセージ族が次々と殺されていく。
というもの。
映画における多様性は、現在ではほぼ必須条件になっている。
先住民と白人が共存する町を描くことで、多様性は表現できている。そして、そこで血みどろの争いが展開される。我々は体裁だけを整えて、心の底では多様性など実現できていないのではないか。そんな問いかけがなされているのではないか。
構造としては、英雄がある土地にやってきて、ミッションを達成することで報酬を手に入れる、というよくある英雄譚のパターンを使っている。しかし、英雄譚なら英雄が主人公なのだが、本作の登場人物は英雄ではない。構造だけ使っているのだ。
思い出したのは、同じく登場人物が欲望に流されて歯止めが効かなくなっていく「グッドフェローズ」(1990年)だ。
あの作品の作りはスコセッシの必勝パターンなのではないかと思う。もちろんストーリーは全然違うのだが、構造が同じだ。わかる人は気がつくと思う。
ただ、「グッドフェローズ」と違うのは主要人物の感情が丁寧に描かれているところだ。ディカプリオやデ・ニーロはもちろんだが、リリー・グラッドストーンが素晴らしかった。彼女は言葉を発しなくても、かすかなしぐさや顔つきで多くを表現していた。
製作費2億ドル(300億円)。全世界では6700万ドル(100億円)の興行収入を達成しているとのこと。ただし、ネットで調べると、アメリカでのヒットの目安は、総興行収入1億ドル以上。年間トップ10を狙える大ヒットは2億ドル以上ということなので、どこまで伸びるか、といったところ。
ちなみに自分が観た劇場では542席ということだが、100人も入っていなかったのではないか。1回の上映の観客数だけで判断するわけにはいかないが、日本では苦戦するような気がする。
個人的にはすばらしい映画だと思う。3時間30分という長尺も必要だったと思う。テンポはよくて無駄に長いわけではない。ただ、この長さとIMAXで2700円というチケット代の高さを考えると、それでも観ようと思うのは、本当に映画が好きな人だろうとは思う。
天使の青い瞳
おかしな事だらけで感覚が麻痺する206分!
倫理観はもちろん、当時の制度にも、描かれる人物にも、ツッコミどころが満載すぎてグイグイ引き込まれていきました。
デカプリオ演じるアーネストがバカすぎて恐ろしい。「信念が無い」レベルではなく思考を閉ざしている。
見知らぬ土地で、ロバート・デニーロ演じるウィリアム・“キング”の世話になるところから物語が動き出しますが…
いや、もう自分の事を“キング”と呼ばせる時点でヤバイっしょ。
しかも冗談ではなくマジだから、なお恐ろしい。
素早く察知したアーネストはキングが望むであろう回答を探しながら会話を続け、この“従順で顔が良い”手駒を得たキングは釣り糸を垂らす…
見知らぬ土地で世話になるということ。
移民や難民のコミュニティで、否応なしに主従関係が生まれていく様を目の当たりにした気がしました。
そして、そんなアーネストに邪心は無い。
最初の会話から洗脳されているとも言えますが、私利私欲で動いているわけでは無いところが、ますます厄介。
思考の停止。戦場では命令の遂行に思考はいらない。心を麻痺させてただ絶対的な命令に従う戦士を生み出していく。アーネストは戦争の副産物でもある。
思考を停止した純真無垢な青い瞳。
神からの御言葉を疑うことなく伝える御使い。ピュアピュアな天使の眼差は、危なっかしくて思わず守ってあげたくなる魅力があります。
この青い瞳の天使に心を奪われる、モーリー役のリリー・グラッドストーンさんの演技が素晴らしい!
恋は盲目…相手を信じたい気持ちが目を曇らせる。
権力だけでなく、宗教や愛も時として個々の思考を閉ざす危険を孕んでいる。
しっかり現実を見て、しっかり考えて。
スコセッシ監督からのメッセージを感じました。
今の時代必要な映画
いくつかの点から面白かったので順に述べる。
まず、1920代のアメリカの田舎の生活。水は井戸から汲み、ウィスキーをがぶ飲みし、風呂にも恐らく入らず、毎日浮いた儲け話に興じ、邪魔者がいれば消す。この点だけでも観る価値はある。実写で撮れるところはギリギリまで撮ってるんじゃなかろうか。
コマが大物にいいように扱われる点。これは今の時代も変わらず、ディカプリオの間抜けさが、観客を緊張と共に引っ張るので、3時間を越える映画が、常にディカプリオと共にある。
インディアンの誇り高さと、土地に対する強い愛。同時に白人の愚かさと強欲さ。この映画では確実に白人が全員悪人であること。
更に、アメリカという土地に対する反省。アメリカは白人のものではなかったという事実。これは恐らくアメリカ人が忘れがちな事実であって、数年おきにこういう映画を放映する必要がある。特にスコセッシみたいな大物監督が取り扱うことに意味がある。
映画はエンターテイメントを遥か超えて、批判能力の高い文化装置である。このことがわかっていない人は「面白い」「面白くない」で判断したがるが、極めて底の浅い、無教養な批判である。
日本のごみみたいな人気俳優によるおちゃらけた映画を100本観てもなんの価値もないし勉強にもならないが、こう言う映画は100本みたら人生観が変わる。エンターテイメントを否定はしないが、限界がある、というだけの話である。
アメリカはひどい国だ、と突きつけることは、大事だ。自分達が最高だと思い込まないために。
同様に、日本もこのような映画をもっと作るべきである。同じ意味で。
この土地は、たくさんの人の血が染み込んでいる。その実感と理解が、明日を作る。知らない人には、できない。
面白いとか面白くないとかは、知らない。
だが、必要な映画だということは大声でいえる。
滑稽さもあるが不穏さも
ストーリーの前情報はあまり入れずに観に行ったので、なんとなくディカプリオが事件の犯人を探すようなものを想像していたのですが、良い意味で裏切られました。
ユーモラスさも混じりつつテンポよく進みながら、二人が悪意に翻弄される様子はやるせないです。
ディカプリオのどうしようもないダメダメ感は滑稽さもありましたが、悪意がなくとも自分の意思を持たずに流されるような状況は、今現代でも通じる不穏さを感じます。
夫婦の関係性も、複雑な想いを押し込めたようなリリー・グラッドストーンの演技も良かったです。
夫婦の人間ドラマとしても面白かったですが、やはりラストからは、虐げられた人々への視点、根深い差別意識に対する批判的な視点を持った作品でもあると感じました。
利権に群がる
オーセージ族の居住地に石油が出て未曾有の好景気に湧く。
戦時中糧秣をやっていたアーネスト(ディカプリオ)が職をもとめてヘイル叔父(デニーロ)の牧場へ帰ってくる。
ヘイルは石油の受益権を得るためにアーネストをそそのかして血統を片っ端から暗殺していく。
オーセージ族のモリー(Lily Gladstone)は血統一族だがアーネストと結婚したので暗殺者を愛するという二律背反な立脚点で苦悩する。
imdb7.9、RottenTomatoes93%と84%。
ディカプリオは肥えて丸みをつけ眉根を寄せるので凶悪さも見えたが、流されやすい弱さもかいま見せた。デニーロは安定の悪だった。
総じて白人サイドは全員底意地の悪そうな強面を揃え、インディアンサイドはおっとりした顔立ちを揃えた。
教訓にせず因果応報みたいなところにも落とさず冷徹に叙事を追っていく。ゼアウィルビーブラッドのように重厚で胸が騒ぐ映画だったが、ラジオ収録の体で後日談が語られることで重みがやわらいだ。珍しくスコセッシ自身も出てきた。
すべて実話であり、ヘイルが関わったものを含め1918年から1931年までに60人以上の裕福で純血のオーセージ人が殺害された。その後の調査で死者数は数百人に達した可能性がある、といわれている。
そもそも。
米国議会はオーセージに対し石油から得た富の管理を白人後見人が監督することを義務付ける法律を可決していた。
オーセージは自らの富をどう使うか、白人の後見人にお伺いしなければならず、この制度が搾取のきっかけとなり、その間、多くの白人男性がオーセージの女性と結婚し、死後財産を相続するための暗殺が横行した。
ヘイルはメーソンリーで“教会”の描写もあった。映画でフリーメーソンが描かれるのは珍しいのではないかと思った。
彼は強欲で受益権のためには何でもやるがじぶんは手を汚さずに誰かにやらせ慈善事業家のふりをして生きている。
すさまじい悪なんだけれど、いまにも通じる、と思うところがあった。
近年、公金ちゅーちゅーという言葉が一般化している。オリンピックや万博のようなデカいプロジェクトから有識者会議や一般社団法人に至るまで、殺生こそないが巧妙な“ストロー”を使って税金をちゅーちゅー吸い尽くす。
ウィキによるとインスリンの世界最初の臨床は1922年であり、牛の膵臓から精製した世界で数本しかない注射がモリーの糖尿病治療に使われたのは本当だろう。そのような高額な施術をする一方でモリーを衰弱させる毒を盛っているわけである。その無駄と無意味の印象は、わたしたちが万博のようなとち狂った箱物に感じる無駄や無意味の印象と同じではなかろうか。
表面化した(colabo問題のような)事案は氷山の一角であり、なんのことはないこの国はむしろヘイルみたいな輩だらけであり、それらの不正を取り締まるこの映画でいうとFBIのような上位機関もないわけで、この映画内の世界がとりわけ無秩序な昔話という感じはしなかった。
映画は2023年8月9日に亡くなったロビーロバートソンの思い出に捧げられている。
多数のスコセッシ作品でスコアを書き本作Killers of the Flower moonが遺作になった。ザバンドのころはよく知らないがソロ作はよく聴いた。Somewhere Down The Crazy RiverやSign Of The Rainbowが耳に残っている。
スコセッシとディカプリオの最強タッグによる、「花と月の殺人事件」
2017年に発行されたジャーナリストのデヴィッド・グランのノンフィクション作品
「花と月殺人・インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」
を原作としている。
実話なのです。
マーティン・スコセッシは映画化を模索する2019年には
オセージ族の首長と面談して
協力が得られるかを確かめている。
私の「アメリカン・インディアンの人々」のイメージでは、
西部劇で果敢なまでに白人と戦ったアパッチ族の、上半身裸と顔に
にペインティングして、
羽根飾りの付いた髪飾りを被り、白人の頭の皮を剥ぐイメージとか、
4分1先住民族との混血であるジョニー・デップの監督・主演作品
「ブレイブ」1997年、
ネイティブ・アメリカンの青年の苦悩を描いた映画から、
突然飛んで、
2017年作品「ウインド・リバー」の中では、
近年は先住民保留区と言う特区で、
作物も育たない痩せ地に追いやられ、
麻薬とギャンブルに溺れて働く意欲のない人々・・・
そんな偏ったイメージしか持たなかった・・・。
だから《石油の利権で金持ちになったインディアン像》には
少なからず違和感があり、意外さの方が強かった。
(こう言う先入感から見ると)
帰還兵で腹に銃痕を持ち特技も学問もない
アーネスト(レオナルド・ディカプリオ)が、
美貌と自信に溢れて
金持ちのオセージ族のカイル一家の一員
モーリー・カイル(リリー・グラッドストーン)の
美しさと財力に惹かれて結婚したのは
とても納得出来る。
そして町の名士で人望のあるのアーネストの叔父の
キング・へイルは
モーリーと結婚させてカイル家の財産を横取りする
野望を持つのだった。
この映画は石油がオセージ族の住むオクラホマ州オセージ郡から、
1920年には突然吹き出したことから、先住民族のオセージが
利権を得て財を成した事を題材にして、
カイル家の母親とモーリーの姉と妹2人が毒殺されたり、
銃殺されたりで殺される。
そしてたったひとり生き残ったモーリーもまた
糖尿病で夫のディカプリオからインスリン注射と一緒に
緩やかな毒物を注射されて、どんどん体力を失っていく。
しかし一族が次々と殺される危機を察知したモーリーは
自らワシントンに出向き、時の大統領に直訴する。
それがFBIのフーバー長官の耳に入り、
FBI捜査官トム・ホワイトが派遣されて、
本格的な捜査がはじまるのだ。
この事件によって、
オセージ群のオセージ族は20人〜45人位が殺されたとされるが
原作者のデヴィッドは、200人位が殺されてる筈だと言う。
アーネストは妻の毒殺を進めつつも、
片方で妻モーリーを愛していると言う
複雑でねじれた構図。
そして3人の子供はオセージと白人の混血。
とても微妙な立場にいる男だ。
娘のリトル・アナが死ぬと自分の子の死を、
身も世もない程に嘆き悲しむ、
それまで、キング・ヘイルの言いなりになっていたのに、
娘の死をきっかけにキング・ヘイルに不利な証言をするに至る。
すべてを正直に話し出す。
ズル賢い白人と結婚したことにより女系家族
カイル家の不幸が連鎖して、
やがてオセージ族はジェノサイドのように殺されていく。
そして聡明なモーリーですら、近代医学を信じずに
夫のアーネストを信じてのインスリンと毒入り注射を受け続ける。
この映画で特徴的なのは、オーセージ族の男女が100人程度が
演者として出演している点だ。
混血化が進んでる現在なのに先住民役の出演者は
一目でなぜかインディアンと分かるのだ。
女性は平面的で赤い皮膚と呼ばれる黄色で肉付きがよくて、
体格が良い。
そこにこの映画のリアリティの大半がある。
この原作に惚れ込んで企画を持ち込んだディカプリオは、
監督はもちろん最も信頼するマーティン・スコセッシを望んだ。
ディカプリオは当初、ジェシー・プレモンスが演じた
FBI捜査官・トム・ホワイトを演じる筈だった。
しかしディカプリオは愚かな甥であるアーネストの役を自ら切望した。
FBI捜査官役では、先住民を《救済する白人》の映画になると
危惧したのだ。
ディカプリオには愚かで駄目男アーネストこそがこの映画のテーマ、
搾取し迫害する白人の映画であり、
アーネストが悪事にどうしようもなく巻き込まれてしまって、
オセージ族迫害がエスカレートして行く
急速な流れを誰も止める事が出来なくなるのだ。
(一度燃え盛った炎は簡単には消し止められない)。
ディカプリオの代表作のひとつとなるだろうアーネスト役。
ディカプリオの頭の良さと俳優としての貪欲さを裏付けたと思う。
アーネストの愚かさを私たちは笑う事が出来ない。
欲の皮の突っ張った白人は、もしかしたら自分かも知れないのだ。
人間は一歩間違えば妻や夫の財産や生命保険金を当てにするのが
ごく自然にあり得る事なのだから・・・。
随所に黒白の小さなサイズでニュース映像が挿入される。
ラストのエピローグでは、ラジオ解説者の役で
マーティン・スコセッシ監督も登場して、
軽口のような饒舌さで、事件の顛末を語る。
戯画化されたそれは、無声映画の解説のようにユーモラスに伝えられる。
それにしてもスコセッシとディカプリオの6作目のタッグとなった本作。
2人はお互いの信頼と絆がお互いのチカラを最高に引き出すことを知る
最強のパートナーである。
アメリカ近代史の汚点である先住民族迫害の歴史。
世界を見ると、
スペイン人に滅ぼされたインカ帝国、
日本の北海道に住んでいたアイヌ民族、
オーストラリアのアポリジニ、
北極圏のイヌイットやアリュート、
先住民が人口の60%を占めているの南米ボリビアなど、
もある。
それにしてオセージ同士で話すインディアン語。
その意味の分からない言語がもたらす《響きと神秘性》
それがこの映画に途轍も無い恩恵を与えている・・・
そう、私には思える。
観ごたえがあることは認めるも いかんせん、やはり長い事は否めない
監督も俳優陣もお気に入りだし、当然興味を惹かれるので、気合を入れて鑑賞に臨んだものの....
冒頭で「駄目かな...」と感じつつも、観進めていくと段々と引き込まれていく感じになって、前半は「流石だな」と、良い感じだなと。
特に、丁度マット・デイモン似の(幼少時代役やった事あり)ジェシー・プレモンスが登場して、後半の事件の解明に動き出す辺りまでは面白かった。
普通、この事件の解決に向かう段階から”様々なことが明らかになって”終盤に向けて面白さが増して行くような展開を期待したいところだが、そうでもなかった。
そこから後半で、段々と”眠い目”状態に陥ってしまったのであった。
映画自体のことで言うと、
主演の二人は、特に近年流石な感じのレオナルド・ディカプリオ氏は今回もやはり良かったと思うが、その役柄的に残念ながら観ていて良い気分ではなかった。
ロバート・デ・ニーロ氏については、まあ、もはや「貫禄」って感じで、それ以上の”特別感”はどうかな?、と。
あと、登場人物が多いが、出ずっぱりではなく長時間に渡るため、理解(認識)しきれず。
それに加えて、「最後の最後に登場」状態の”ラジオ番組のプロデューサー =マーティン・スコセッシ”登場は、明らかに出しゃばり過ぎで余計の、興醒めでしか無い。
お陰でさらに、全体として、方向性がなんか変な感じになった印象を覚えた。
それと、Apple TV+が関わっていることで、初めから「配信ありき」の作られ方のような印象も。
例えば、大失敗作となった『天国の門』などのことを考えると、歴史上の出来事(の一部)を題材に描く長尺の大作作品として、あえて大型スクリーンでの鑑賞を切望したくなる”絵巻”とは違い、家庭用の受信媒体で見栄えすることも十分に考慮されて(寧ろそっちを重視?)いるかのように思えてくるからであろう。
(逆に『天国の門』はそれでも観に来てもらえずの結果となりましたが。)
個人的には、同じデ・ニーロ出演作品でも、表面上だけでない、むしろ人間の内側の”非情さ”、”残忍さ”までも突きつけて来たような、セルジオ・レオーネ作品の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のことを、今更ながら思い出してしまいました。
こちらは、長尺の大作作品らしく大型スクリーンでの鑑賞には見応え十分なスケールの作品でもありました。
更に、初期公開時の米国編集された「短縮版」以外に、「オリジナル版」、リバイヴァル公開「ディレクターズ・カット」(イタリアTV放映バージョンは4時間とも)という今作もビックリの長時間版まであったが、観ていてダレを覚えたことは無かった。
音楽のことに触れておくと、この『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』はエンニオ・モリコーネ氏の音楽もまた素晴らしかったが、今作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は、ザ・バンド解散の『ラスト・ワルツ』からマーティン・スコセッシ繋がりの、つい先ごろ亡くなった”元ザ・バンド”のロビー・ロバートソンによるものであり、恐らく今作が遺作となったと思われます。
あの世では、「生前確執のあった」ザ・バンドのメンバーたちと和解して、元のように仲良く、かつ穏やかに過ごされることを願うばかりです。
理解出来てないのに何故かつまらなくない
3時間半近い長尺をかけて、オセージ族の連続殺人事件と、その背景に潜む白人の企みをじっくり描いたサスペンス。
登場人物も多く、事件も複数起こり、心情や思惑も様々なので、半分くらいしかちゃんと理解出来た気がしません。
アーネストはどこまで分かっていたのか。
ヘイルが目指したのはただの金儲けなのか。
モリーは何を思ったのか。
もしかすると私の理解は全く的外れかもしれない。そのくらいまだ咀嚼の余地と、理解を深めることで感想が変わっていくであろう作品。しっかり理解ができていないし、派手さはなく長尺、それでも面白いと思えるのは巧みの技がゆえ。
壮大なオクラホマの自然を目と耳で感じ、なんとも言えない余韻を抱え、劇場を後にしました。
やっぱりこの監督は長い
ウルフオブウォールストリートの時に思ったけど、この監督さんは本当に長い!!
しかし、見終わってからは疲れた感じもなく作品がスムージに進んだからだろう。
映画の中に映る女優さんはなぜこうも魅力的に映るのだろう。艶かしい色気が映画館全体を覆っていた。
まさに目には目を歯には歯をという、人間悪いことしたらその清算をしないといけない至極真っ当な世界を映し出していた。だから長い。
2023 161本目(劇場14作目)
ゴールデンタッグ。つまらないはずがない。
作品はドラマだし、長尺だしどうかと思ったが
ディカプリオの素晴らしい演技を観るだけでも価値十分でした。
デ・ニーロの演技も良かったがやはりディカプリオの前ではかすみました笑
あと何作、スコセッシ×ディカプリオが観れるかわかりませんが次作も楽しみです
重く、長い
スコセッシ作品にディカプリオとデ・ニーロで期待が大きすぎたかも?
もう少しハラハラドキドキするかと思ったけど、途中少しダレた。
力作ではあるが、3時間半乗り切るには重かった。
演技や風景の描き方は素晴らしいし、劇場で観る価値はある。
上映時間ほど長くは感じなかったけど、トイレ対策は必須
今時の映画のテンポ感に慣れてる人にはキツく感じられるかもですね
タイトルから勝手にタランティーノぽいのとかサスペンス色の強い話を想像してたので、「あれ?ちょっと違うかも?」って途中でギア切り替えて観た
古き良き映画の雰囲気?だったのかな
アメリカのちゃんとした歴史は知らないですが、まぁそんな事はあっただろうね、、としか思わないので、実はそこまでショッキングな話には感じられず…誰に感情移入すべきかもよく分からないまま、長い上映時間経ってしまった
長くてしんどい事は無かったけれど、鑑賞後感は何だかグッタリした
何だろう、つい先日、北野武の首を観た時も同じ事思ったからか、、人間の野蛮さみたいなのは何百年前から何にも変わって無いよな…って
一瞬も飽きない3時間半!
my color・・・
予告編を観たときからインディアン対する新鮮な見方が出来そう。しかもスコセッシ+ディカプリオ+デ・ニーロなら鉄板でしょうと勝手に期待を大きくして、観たら期待以上に面白かった。
面白かったと言うとマーベル映画みたいな感じに聞こえちゃうけど、冒頭の何件もあるインディアン殺害が全く捜査されない描写から、エンド・クレジットが始まるまで全く緊張感が絶えなかった。そのサスペンス感が凄いのは脚本、演出もあるけど、この映画は特に説得力ある役者たちの演技がだと思う。
ディカプリオは本当に良い役者になってきたのと、ブレンダン・フレイザーが出ていてちょっと嬉しかった。嫌な役だけど。
ディカプリオの妻を演じたリリー・グラッドストーンのアカデミー助演女優賞は確実じゃないかな?
オイルマネーに群がる人々
オイルマネーに群がる人間たちとそのお金を持つ人々。
襲うのではなく、死肉に群がるハエの様に強かに近づき徐々にマネーという汁を搾り取る人たちを描く。
その渦に自ら飛び込み取り憑かれていく男の末路と同時にお金を手にし幸せというものを手に入れることが遠のいていく部族の人々の儚さを、社会の悍ましさと同時に描くことで彼らの選択のなさがとても悲しげに映る。
人間味溢れるって、世界共通
舞台は1920年代
オイルマネーにまみれた人間ドラマ。
ネイティブアメリカンとその財に目をつけた白人の話。
ヒロイン、モーリーの気高い聡明さと、
心広く優しさで包み込む感じ。
信じたいけど信じられない
けれど信じようとする芯の強さに胸を打たれた。
言葉にはしないけれど、
目を見ればわかるとはこのことか。
ディカプリオ演じるアーネストは、
一見どうしようもない欲望まみれの環境に
浸りきった卑しさと、妻を愛する純粋さをも持ち合わせる二面性が良かった。
けれど、最後の最後に。。。
ある意味浸りきったのも、純粋さから来るものか。
ロバートデニーロ演じるキングは言うまでもない。
存在だけで不穏な空気を醸し出す悪どさが秀逸。
ハードなハラハラさも感じないのに、
206分と言う長さを感じさせない脚本は
とても素晴らしかった。
個人的には、
エドガーの名前にピンと来てしまった。
そうだ、あの映画も、ディカプリオか。
良かったんだよな、きっと...。
評価も高いし、巨匠といわれている部類の監督さんだし、
観ておこうと思って、予告情報だけで鑑賞。
導入部のニュースっぽい映像と音楽に、
おっ!やはり良さげ!!と思ったんだけど、
さすがに、206分は、長いな。
途中、集中力途切れて、
ギルバート・ブレイク観たばっかりだったんで、
ディカプリオ、オッサンになったなぁ…とか思ってました。
一時間ぐらい削れなかったのか?
と、削れそうな場面を考えてみたんだけど、
それはそれで思いつかなくて…
どの場面も、きちんと繫がっていくから、
それはそれで匠みは巧みだなと思ったり、
やはり、実話を元にしているし、アメリカの人たちには、
ナイーヴな話だから大切に描きたかったのかなぁ…。
自分的に、長さのマイナスより、作品自体がプラスに思えたのは、
インディアンという部族を、無知故に漠然とカッコイイと思ってしまっているところと、
ディカプリオとデニーロと、リリーさんの俳優の力が過分に影響していると思います。
ヘイルの最初っから、腹に一物ありそうな顔つきに、終始イライラしたし、
アーネストのアホぼん気質にも同じくイライラしたっ!
しかし、モーリーはなんで、あそこまでこの男を信用してたんだ…。
そこが若干モヤっとしつつ、離婚してくれて良かったです。
と、ストーリーには、どっぷり浸かることができたからかな。
でも、長過ぎ感は拭えないな…。
なんで、自分でも、どっちやねんっ!みたいな感じで、本当に良かったのか???
なんとく良いって言わなきゃいけないような風潮に流されていないか?と思ったり…。
で、後でWikiったのですが、
なんやかんやいうて、
巨匠 マーティン・スコセッシさんの作品、正直、そんなに観てなかったです…。
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