パスト ライブス 再会のレビュー・感想・評価
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アーサー!!(涙)
もはや途中からアーサーのことばかり考え、アーサーの心配しかできなくなっている自分がいた。
ノラとヘソンがニューヨークで再会しても「ノラ、ヘソン、どうかアーサーを傷つけるようなことはしないでお願い…!」とアーサーの心配ばかりする始末。
バーのシーンでヘソンがノラに24年越しの思いを伝えているところでも、画面外に追いやられているアーサーがどんな気持ちでいるのか想像してしまって仕方がない。
見送りの別れ際、タクシーくるまでの2人が見つめ合うところ、かなり緊張した。ノラがヘソンと一緒に韓国へ戻ったらどうしよう、と部屋で彼女を待っているアーサーのことを考えると気が気でない。
最終的にアーサーの元にヘソンが戻って良かった…。
ノラとヘソンの関係はね、もうずるいじゃん。
美しい思い出と決着がついてないお互いへの好意だけが残ってる状態なわけじゃん…。
初恋でお互い好きだけど物理的距離が邪魔して一緒にいられなかった。
12年経って連絡取れるようになってからもお互いを特別だと思っているのもわかっていて。
そんな2人さらに12年経って対面で再会するって。
…そんなのノラの結婚相手・アーサーからしたら心配しかないじゃないか!!嫌じゃん普通に!!
途中まで思いっきりノラを引きずるヘソンを眺めながら「そうだよね、まだ好きなんだよね。男性は引きずるっていうしね」とか思いながらヘソン寄り視点で観ていたんだけど、アーサーがノラに「僕は2人にとって邪魔な悪者だ」とか胸のうちをこぼしたあたりから完全にアーサー視点になってしまった。
自分は悪くないのに、ノラと母国言語が違うこと、韓国にいる会ったこともないノラの初恋の男性(ヘソン)に引け目を感じているアーサー。
そうでなくてもどこか自分に自信がなさそうなアーサー(体格もそんなによくなくて、グイグイくる感じでもなくて、作家でゲーム好きで、ってもうそれだけで彼のパーソナリティがなんとなく見えるように描かれてるのよ…)。
でもその初恋の男性がニューヨークに来たら「会うのを自分が止める権利はない(これはもはや行ってほしくないって言ってるじゃんね…)」と送り出すアーサー。
片言の韓国語でヘソンを出迎えてパスタ食べようって言ってくれるアーサー。
2人が韓国語で話してるの気にしてるくせにそこに割り込むこともなく「気にしてないよ」って言っちゃうアーサー。
ノラがヘソンを見送りに行くの、同行しないくせに心配で外階段で待ってるアーサー。
もうアーサーこのお人好し!!(涙)
美しいシーンもたくさんあって他に感想言うことあるだろって思うけど、最終的にアーサーのことばっかり思い出してしまう。
(アーサーばっかりの感想になってしまった…。)
涙がこぼれる、たった一言
公開前からずっとずっと観たくて、やっと観ることが出来た。
ただただ切ない。
感情の、表せられない涙がこぼれる。
悲しいとも違う、感動とも違う、心の奥深くの何かに触れる涙。
誰かのレビューや評判を聞いて期待値MAXで臨んだので、
静かで美しいふたりの物語を割と淡々と観ていた自分がいたのだけれど、
最後の最後、ずっとどこか遠慮しがちな目を向けていたヘソンが、ノラを真っすぐに見つめてかける言葉。
あの言葉を聞いた瞬間、すっと心に入り込んで、どうしようもない気持ちでいっぱいになって、涙を止めることが出来なかった。
タクシーが来るまでの短くも長いあの瞬間、その時のふたりの表情、ふたりの間の距離、ヘソンが振り返ったと同時に一瞬はさむ過去のふたりの姿……なんて素晴らしいシーンなんだろう。
NYで強い女性に成長したノラが子供の時のように泣きじゃくる姿を見て、もう、ほんと、運命って、縁って、人生って何なんだろうと心に来た。
今までの自分の選択や現在の幸せを後悔することは絶対にないけれど、自分ではどうしようもできなかった一つ一つのこと、自分という人間、捨てることはできない大切な志や意思、口から出た言葉、頭に浮かんだ考え、そんな自分を形作るすべてについて思いを馳せてしまう感じ。
きっとノラの夫は、ノラがその涙を見せてくれたことにどこかで心救われただろうと思う。でもそのきっかけは自分ではない、自分は共有することはできない、不可侵の、思い出や想いや縁。
その夫の切なさも想像できてしまって、そんなところにも涙腺が緩んだ。
前世、今世、来世、繋がっていく縁、
もどかしい反面、諦めにも似た“希望”がある。
素敵な考え方だ。
ノラとヘソンはきっともう会うことは無いだろうと思う。
連絡をとることもないかもしれない。
時々SNSに「いいね」をしあったり、お互いの名前をどこかで目にして近況を知る程度になるかもしれない。
ふたりはこれからどんな人生を送るのだろうか。
どんな選択をして、どんな人と出会うのだろうか。
ヘソンの最後の言葉をノラは忘れないだろう。
いや、忘れてほしくない。
あの瞬間をヘソンはきっと時折思い出す。
思い出してほしい。
そしていつか必ず、ここではないどこかで、再会を果たしてほしい。
ロマンチスト or リアリスト。あなたはどっち?(笑)
『パスト・ライブス』は、” 前世” を意味するらしい。
韓国・アメリカ合作のラブロマンス、と言ってもR指定はなく、安心して家族で見られる内容だ。
アカデミー賞作品賞、脚本賞にノミネートされたことがセールスポイントになっている。
セリーヌ・ソンの長編デビュー作で、自身の体験をもとに脚本を仕上げている。2人の男と1人の女によって物語は進んでいく。
映画は、
午前4時のバーで3人が飲んでいる姿を見て、向かい側の見知らぬ客が3人の関係性を推理して楽しむところから始まる。
◆ノラ(セヨン)役にアメリカ生まれのグレタ・リー
◆幼馴染ヘソン役はドイツ生まれのユ・テオ
◆ノラの夫・アーサーにはジョン・マガロ
顔のアップが多く表情がクローズアップされる中、皆とても良い演技をしている。
作品の中に、
「輪廻転生」、「前世」、「袖触れ合うも…」という言葉が出てくるが、これらはオカルト的要素ではなく、縁(えにし)を語るためのキーワードだ。
前述の通り、人物のアップ(寄りの絵)が多用されているだけでなく、小声の会話さえ大きめの音響で聴くことになる。
なかなかの圧迫感だった。
家のテレビで見たなら違う感想になったかもしれないが…
恐らく、ですが、
ラスト5分は、監督による渾身の演技指導が入ったのではなかろうか、なんて思いながら見てました(笑)。
好き/嫌い、合う/合わない、
が明確に分かれそうな映画だ。
私、ですか?(苦笑)
主演の二人が連日スカイプでやりとりするシーンが、まあまあの尺を使って流されるのだが、
心の中で「オレは何を見せられてるんだろう?」と自問してました、とさ。
グレタリーは合ってない
この映画は「本来なら白人女優が演る位置の役をアジア人が演った」事が全てだと思う。
グレタリーは大好きな女優だけど、この演出下で求められている芝居は私から見たらだが全く出来ていなかった気がします。
どうしたってすれ違う人というのは誰しもいますが、何となくしっくりきませんでした。
縁の有無が人生の別れめなのか!?
12歳、24歳、36歳、と、それぞれの年齢時におけるノラとヘソンの恋愛ストーリーで、
私は最初から引き込まれて最後まで観ることができました。
冒頭のBARのシーンで、「あの3人ってどういう関係だろうね?」というBARの客と思しき人物のセリフから
導入になるのは、そうきたか〜と思いました。
そのセリフ、ごもっともという感じです。
12歳、実に初々しい二人が微笑ましく、ノラのご両親の都合によりカナダへ移住することになり
突然の別れがなんとも切ないです。
それが下校途中の家路の分かれ目と重ねて見せているところに、グッときました。
野心的な監督だなと思いましたね。
24歳、facebookで好きだった子を探すというのは、共感できるというか、実際に私もやったことがありますし、
facebookのおかげで小中高の友達とまた繋がることができた経験があるので、余計に気持ちがわかります。
ただ、Web上の会話だけでは長続きしないですし、お互い「こっちに会いにきてくんないかな〜」とだけ思っていて
そう発言もしているのだけれど、そう容易くはないわけです。
この時会っていたら、この後のストーリーは成り立たなかったでしょうね(笑)
でも、最初のWebでの会話は本当に楽しそうで、お互いキュンキュンしていたこと間違いないですね。
36歳、もうお互いいい大人です。ノラはアーサーと結婚しているのですが、どうも「グリーンカード」が決定的な
判断軸だったということもわかり、少なくともノラは本当の愛情での結婚ではなかったのでは!?と勘ぐりました。
36歳での再会は、ノラはアメリカナイズされていて積極的にハグしてきて、ヘソンはおっかなびっくりで戸惑うところが面白いです。
で、いろいろデートしてラスト近くのBARのシーン(これが冒頭とつながっています)、アーサーをガン無視しての二人の会話。
アーサーはアーサーでそれはそれで理解はしていたのでしょうね。
私自身、恋愛ではなくともこういう扱いを受けることが過去にあったので、アーサーの気持ちはよくわかります。
相当、自分の中で葛藤があったことでしょう。
そして、タクシー乗り場でのシーン。今度は積極的にハグするヘソン。ノラからはできないですよね。そりゃそうだろうと思います。
ラストシーンのノラの号泣は、今までの想いが溢れ出て止められなかったのでしょう。
そのノラを優しく抱きしめるアーサーが、今作No.1の良い人だと思いました。アーサー、すごい!えらい!!
ノラもヘソンのことが好きで好きでたまらなかったのですね。そして自分が24歳で判断したことも思い出していたのだろうと思います。
この二人は来世で縁があるか?
それは鑑賞客に委ねられたと思いました。
※愚痴です。本日、宮崎キネマ館で鑑賞しましたが、マナーが悪い観客が多かったのが至極残念でした。
上映中のスマホ。ただでさえ狭い館なので超目立ちます。
エンドロールに入った途端、おしゃべりを始める中高年と思しき女性客。
せっかく良い作品なのに、環境がよろしくありませんでした。
Past Livesってそういう意味だったのね
これは米国在住のアジア人ならみんな刺さるやつなのでは!
(アジア人じゃなくて他の地域からの移民でもそうかも)
脚本を書いたセリーヌ・ソン監督の実体験をもとにしたストーリーのようだけどとても普遍的な話に思えた。私は移民じゃないけど、何だかすごく感情移入してしまった。
幼なじみの2人の間の距離感や過ごし方がすごくリアル…
そして心の動きの繊細な描写がすごい。ノラとヘソンだけじゃなくて、アーサーの複雑な心情を深く描いていたのが印象的だった。時間の流れやリアルな会話や距離感はすごく「恋人たちの距離」に通じるものがあり、あのシリーズが大好きな私にはすごく好みだった。美しいニューヨークの風景と、洗練された音楽にもうっとり。
残酷な運命
幼馴染で初恋の相手同志の二人、24年ぶりの再会!ハッピーエンド!!
…とはならずに、非常に現実的でシビアな展開になります。
ナヨンの上昇志向や過ぎ去った時間がヘソンにのしかかります。
男性目線で見るとナヨン酷いことするなーと思うけど、女性側からすると仕方ない!ってなるのかな。まぁヘソンもやってることが中途半端だけどね…
映像が綺麗で間を大事にしている映画なので、普通に鑑賞するには観やすいと思う。
男性はメンタルにダメージ食らうかも。
生まれてきたのも偶然だし
変にロマンチックな作品ではなく現実的な作品だったのは、監督が女性であり自伝だということが大きそうですね。長く生きてきて思うのは、好きな人より夢を選んだ方が後悔がないかな?です。ノラはアメリカで夢を掴みましたが、夢が叶うかどうかも運と偶然に左右されます。
《今生では縁がなかった》という言葉は自分を諦めさせて納得させるにはいい言葉だと思いました。
私が生まれてきたのも偶然ですし、地球が誕生したのも偶然ですよね。そう思うと自分の思い通りにならないことは当たり前なのかな。
初恋は、ちょっと苦い
12歳の頃に離れ離れになった初恋の相手と24年ぶりに再会し、NYで数日間を一緒に過ごす。
自立してNYで仕事し結婚もしているノラと、韓国でそれなりに人生を重ねつつもノラを捜し続けていたヘソン。
大人になって久しぶりに会っても、やっぱりお互いは特別な人であることが言葉にしなくても伝わってくる。でも、確実に以前の2人ではなく、変化している。それもまた伝わるので、理想と現実の差も実感してしまう様が、絶妙な主演2人の演技で感じ取れます。
初恋の相手と再会し、お互い大人になったけど好意は感じる…そんな状況ならドラマチックな過ちをおかしてしまいそう。
だけど、本作はそんなことは起こらない。リアルであり、共感ができる。切なくて、だけど清々しい。ビターだけど、ロマンチック。
大人の男女の気持ちの揺れ動く様が伝わり、ラストシーンには涙が溢れそうになりました。
NYの素敵なロケーションも相まって、心に響く味わい深い作品。細かなところまで物凄く練り込まれた造りで、あっさり淡々と進んでいくのに、最後まで見入ってしまいました。
もう少し切なくなりたかった
どうしてもタイミングが合わなかった二人、仕事や夢、他のパートナーと言う人生で大切だと思うものといつも天秤になるが負けてしまう。とはいえ毎回天秤にかけられるそんな二人の関係を最終切なく締めくくる
正直そんなシナリオならもっと切なくなれそうだったんだけど、気の強い主人公や、どれくらい夢や恋愛などに想いがあるのかというところもあんまり伝わってこなくてなかなか入り込めなくて残念
旦那様の寛容さと、最後の二人だけで話すところもなんか自分勝手で嫌だなって感じつつ、その自分勝手さを持ってしても惹かれ合うのか?でもいかないのか?と入り込むというよりは観客目線になってしまった
センチメンタル
なんとも言えない世界観映像音楽。
1人で静かに見に行きました。
ずっと好きだったんだなって。
兵役の時も、大学の時もなにか穴が空いたような日々を過ごしていたし、
やっと連絡できても後少し手を伸ばせないもどかしい気持ち。
20年後もこうしておけば、あーしておけばと思う気持ち。
アーサーの気持ちも切ない!
映画館でもう一度観たい。。
初恋の記憶は美しいままで……
もしもあの時こうしていたら
会っていなかったら
あれを言っていれば……
誰もが一度はそう思って生きてきたことだろう。
人生は選択と偶然の積み重ね。
韓国とニューヨーク、初恋で幼馴染の男女の12年後、さらに12年後を舞台に、一筋縄ではいかない愛と“縁”の不思議が描かれている。
“12歳の私はヘソンのもとに置いてきた”
人生は常に変化し、人は成長していくもの。
ラストは切なかったけれど、このラストだからこそ味わい深い。
誰しも昔の思い出、とりわけ初恋の思い出は美化したがるもの。とくに男性の場合それが顕著に出るということを、本作を見て実感した。
さすがA24。
映像も美しく、カメラワークも目を見張るものがあった。
エターナル・サンシャイン
なんか真面目で薄めなラブストーリーだなぁ
…鑑賞直後の印象はそんな感じだったのに
2、3時間経った途端決して恋愛体質ではない私にも清々しく穏やかな余韻が押し寄せて来たんです
韓国で生まれ育った12歳のナヨンと同級生のヘソン互いに恋心を抱く2人の物語を3つの時間構成で綴っている
12歳時代の2人が階段の上と坂の下お互い反対方向に向かう人生の岐路の切なさに2人を優しく抱き締めてあげたくなった
やがて36歳になったナヨンは今ではノラとして作家の夫アーサーと結婚し自身も劇作家として理想の人生を送っている
そんなナヨンの現在を知りながらもヘソンは彼女に会う為に渡米する
ナヨンとヘソンそしてアーサー…三角関係特有のドロドロやドキドキを下世話な展開を予想してしまいがちであるのだが
違うのだ!ナヨンの夫アーサーは韓国語でしか寝言を言わず韓国男性特有の性質を語る妻に不安と寂しさを抱きながらも初恋の男性との再会を優しく見守る…人生を受け入れ妻を丸ごと愛する姿勢に通常のメロドラマを更新した優しき人間ドラマに仕上がっている様に
この先恋愛至上主義のラブストーリーが霞んでしまうのでは位の感覚に浸りました
恋愛体質でないからこその感覚?かも
2人が歩くNYのノスタルジックな街並みも素敵でした
物語のキーになるイニョン…偶然や必然
静かなる運命が重なり合って繋がれる大人のラブストーリーを明日改めて観直す事に致しました
最後の涙の意味
まず、オープニングが面白いんですよね。
二人の物語のはずなのに三人でいるから、この時点では二人は結ばれていないのが分かるの。
なので、この映画はそこが二人の行き着く先なのか、その先が有るのかを観る映画になるんですよね。
それで、いきなり話が飛ぶんですが、ラストシーンのナヨンの涙がなんかしっくり来なかったんです。
だけど、鑑賞後にパンフレットを読んだら監督があのシーンについて語っていたの。
さよならをしたのは、ソウルに置いてきた少女の頃の自分に対してなんですね。
監督自身の経験をもとにした映画なので、監督が言うならそうなんでしょう。
それを分かってから映画を振り返ると、ノラがヘソンに今更会った事も、なんか納得できるんですよね。
十二才のナヨンが、心の全部を移住先に持って行けるわけないですもんね。
パンフレットを読まなかったら、この映画しっくり来ない作品になっていたかもしれません。
それから、ちょっと話は戻るのですが、バーでの二人の会話の中のヘソンの考え方で、なるほどと思ったのが有ったの。
その人のとるであろう行動を含めて好きになるのだから、もしも◯◯だったらと考えてしまう時点で、結ばれる運命ではないのでしょうね。
寝言は母国語
アカデミー賞最有力!という予告やポスターの謳い文句の割に授賞ではほぼスルーされたっぽい本作だが、絞り込んだ登場人物に淡々とした展開、落ち着いたカメラワーク、ロングの構図で見せてくれるNYの景色など、観ていて疲れない好感のもてる作品だった。
初恋の人と大人になって再会するという少女漫画っぽい話ながら、いい歳して12歳の思いを引きずり続ける男ヘソンに対して、女のナヨンは演じるグレタ・リーの目力が表すとおり、窮屈な祖国を離れノラとなって自立し、とっくに先へ、別の場所へと行っちゃってるというのが、A24らしい今どき感だった。とはいえ、24年ぶりの再会でのぎこちなさやラストどーなっちゃうの?の長回しでのドキドキも楽しめた。
袖摺り合うも他生の縁をネタにしているので、日本語サブタイトルをそのまま「パストライブス/前世」としたらどうかと思ったが、かなりエル・カンターレっぽいな…。
初恋は辛く美しく、失恋もまた辛く美しい
いやぁ、泣かされました。
あるシーンから、ラストまで、ずっと、‥‥
初恋とか、失恋とか聞いて、何か感じるところのある人は、何も調べずに、迷わずご覧になることをお薦めします。
あとは何を書いてもネタバレになりそうなので、‥
そうそう、本作、『エブエブ』や『ボーはおそれている』のA24が配給、韓国のCJ ENMとアメリカのキラーフィルムズと2AMが製作なので8割方アメリカ映画です。
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【以下ネタバレ注意⚠️】
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冒頭に、2024年の3人を映したショットに
「この3人は、一体どんな関係なのだろう」
というナレーションをかぶせたプロローグがあります。
ナヨンとヘソンはソウルの学校の同級生。
成績はともに学年一位を争う仲。
それにお互い好意を寄せるあいだがら。
ところが、ナヨンは、映画監督の父と画家の母とともにカナダに移住することになり、母の勧めで、最初で最後の一日デートをヘソンと楽しんだ。
ナヨンは、妹とともに、自分たちの英語名を決めることになり、父の発案によって、レオノーラ、略称ノラと名乗ることになった。
姉妹は、飛行機の中で、英語の挨拶の練習をふざけてし合うほど、新生活には期待がいっぱいだった。
12年後、ヘソンは兵役のための入隊も経験し、仲間と飲む機会も増えたが、ずっとナヨンの行方をネット上で探していた。
ノラの方は、ヘソンのことなど忘れかけていたが、たまたまFacebookで友達探しをしている最中、ようやくヘソンの名前を思い出した。
検索してみると、父の映画ブログにヘソンは、
「ナヨンを探しているが全然見つからない。知っていたら教えて欲しい」
と書き込んでいた。
早速、ノラの方からヘソンに連絡を取る。
ノラのパソコン画面に映ったヘソン。
もともと12歳の頃から泣き虫だけれど、サバサバした性格だったナヨンに対して、ヘソンは自分の思いを方に出せない内気なところがあった。
今や母親でさえナヨンとは呼ばなくなったノラの挙動は、すっかりアメリカ人のそれとなっていた。
ところが、画面越しに再会したヘソンは、まさに「含羞」を絵に描いたような、もじもじしながら、目も逸らしがちな挙動不審さを隠せない。
いやぁ、ここからですよ。
涙があふれて来たのは、‥
韓国の兵役と会社勤めは同じだとヘソンは言う。
どちらも、ボスの仕事を片付けるまで帰れず、そのための残業手当さえ出ないという。
日本でも、最近でこそ、「働き方改革」の恩恵で、働いた分の残業代が正規に支払われるように大勢はなったが、12年前はと日本も変わりなかったはず。
両親がいるカナダから、作家になるという夢を実現するため単身NYに移住したノラは、バリバリと自分の行くべき道を切り拓いている。
しかし、ヘソンは社会に対しても、自己実現に関しても、もっと受動的な生き方しか出来ていない。
特に兵役の過酷さ、‥‥
‥‥ノラに「兵役は好きになれた?」と訊かれて、それに対してだけは「いや、嫌いだ」とハッキリ答えていたのが印象的。
韓国で、兵役に関して、好悪を表明することは、別にタブーではないのかな?
話していくうちに、どんどん打ち解けていくヘソン。
話す内容も、ナヨン(ノラをそう呼ぶことを彼女から許された)への隠しきれない思いも、いじましくて、可愛らしくて、痛々しくて、泣けて泣けて仕方がなかった。
ところが、ノラは、日課となったヘソンとのネット上のおしゃべりを、きっぱり辞めると突然宣言する。
自分がNYに出て来たのは、夢を実現するためだから、と。
こう切り出された時のヘソンの受けたショックが、画面の表情からも痛いほど伝わって来る。‥‥
‥‥また、泣ける。
ノラは、アーティスト・イン・レジデンスの制度を利用して、NYの東、モントークのレジデンスに入居した。
執筆活動に専念するためだったが、ここに後から入居して来たのが、ユダヤ系アメリカ人で、やはり作家志望のアーサー。
初対面の二人は、美しい環境のなかで、すぐに打ち解け、ノラは、韓国で人と人が出会う奇しき縁(えにし)のことを「イニョン」と言うのだ、と説明する。
この世で、結婚するような相手とは、8000層(だったかな?)も重なるほどの、前世( past lives )からの「イニョン」があるのだと韓国では信じられている、と。
この「イニョン In-Yun 」、日本語で言えば「因縁」でしょうね。
単純に「縁(えん)」と言っても「えにし」と言っても、ほとんど意味は変わらない。
ノラが、「仏教から来た考え方」と言ってる通り、仏教の基本理念の一つ、「因縁説」または「縁起説」に由来するものでしょう。
韓国は、日本より、儒教の影響が強く、仏教の方はさほどではないのかと思っていたので、この話には、ちょっと驚いた。
現代の日本では、「親の因果が子に報い」とか「因縁話」とか「インネンを付ける」とか、とかく「因縁」という言葉はマイナスイメージをともなってしか使われない。
また、「縁」の方だって、「縁結び」とか「縁切り」とか「御縁がなかった」とか、比較的軽めのニュアンスで使われている感じで、前世からの縁がどうこう言うのは、お能か歌舞伎の舞台でしか耳にしないと思います。
中村元先生の『原始仏教』によれば、縁起説とは、ものごとには必ず何らかの原因によってもたらされるのだから、苦しみから脱却するには原因の省察が必要だという、言わば科学的思考の勧め。
前世とか来世とか、輪廻転生とかいう、ふつう仏教的とされる概念は、大乗仏教の段階になってもたらされたものだというのが中村元流の釈迦仏教の捉え方ではありました。
閑話休題。
ここでは、ノラは、アーサーに「イニョン 」は、仏教から来た考え方で、輪廻転生と関係していると説明しているので、ここではそれに従いましょう。
ノラは、それは極めて韓国的な概念だ、と言って、自分では信じていないらしい様子。
案の定、アーサーに、
「だったら、僕たちの間には、強いイニョンがあるってことだね」
と口説き文句に使われ、二人はキッス‥
男女の仲は自然に進み、やがて夫婦に。
アーサーとの会話のなかで、ノラは、ヘソンのことを、「ものすごく韓国的なのよ」と繰り返す。
自分を含めて、アメリカ育ちの韓国人は、コリアン・アメリカン(韓国系アメリカ人)だけど、彼はコリアン・コリアン(韓国の韓国人?)なのよ、と訳のわからないことを言ったりする。
つまり、ノラにとって、恋愛における「イニョン」説とヘソンは「韓国的」という点で結びつき、アメリカンな今の自分とは異質だと感じている訳です。
ところが、ヘソンも、同じ「イニョン」説の話を友人たちとするが、彼の方は、どこか「イニョン」が重なった強い前世からの結びつき、というものを信じているところがある。
それも、自分が12歳の時から、ずっと思いを寄せて来たナヨンその人に重ねて。
ナヨンこそ、自分の運命の人だと。
だから、ようやく巡り会えたナヨンとの再会・交信を、彼女の側から突然拒絶された時の彼のショックは、いかばかりかと胸が痛む。
ノラの方は、アーサーと結婚し、夫婦ともに作家及び劇作家として成功している。
ところがヘソンの方は、意に染まない仕事に就き、恋人も出来たものの、結婚話が出た途端に自分には資格がないと、付き合いを辞めてしまう。
その恋人というのも、どこか本気になれず、かりそめの付き合いといった感じが強かったのではないか。
彼女は結婚後、里帰りを兼ねて韓国を訪ね、ヘソンにも連絡を取ったらしいのですが、彼からはナシのつぶてだったらしい。
自分にも恋人が出来たから、というより、とても結婚したナヨンに会えるような精神状態ではなかった、ということだったのでしょう。
それが、さらに12年後、二人は36歳という人生も中盤の壮年期。
ヘソンも、ようやく心の整理がついたのか、ナヨンに会うために、休暇を利用してNYに飛ぶ。
いい大学を出ているはずなのに、英語が下手なヘソン。
NYに着いても、どこかオドオドして相変わらず挙動不審です。
ホテルの部屋でひとり落ち着いて、ナヨンに会うためにパリッと着替えてみても、彼の姿は、どう見ても引っ込み思案な韓国人です。
そんな彼が、24年ぶりに実際にナヨンと顔を合わせるのです。
公園で指定の場所でナヨンを待つヘソン。
あれ、
本当にここでいいのかな?
自分の身だしなみは可笑しくないかな?
と、やっぱり、オドオド、キョドってると、
「ヘソーン!」
とナヨンの呼ぶ声に気づき、一気に表情が明るくなるヘソン。
ナヨンからハグされ、戸惑うヘソン。
この間、ヘソンにはひと言のセリフもないのに、彼の心のうちが全部、手に取るようにわかる。
すばらしい演技、
すばらしい演出です。
観ているだけで、
やはり涙、涙‥‥
アーサーも誘っての3人の会食(後のバーかな?)、
ヘソンは、ナヨンと話すのに夢中で、アーサーはそっちのけ。
‥‥これがプロローグで使われたシーンです。
ノラが中座した際、ヘソンはそのことをアーサーに謝ります。下手くそな英語で。
「いいさ、君は彼女と24年ぶりに会ったんだから」
アーサー、いいヤツ過ぎます。
また泣けます。
たっぷりと濃厚な時間を過ごしただけに、別れはつらい。
ヘソンは、アーサーに、
「今度は韓国で会いましょう」
と声をかけ、Yes の返事をもらいます。
ところが、ナヨンとの別れ‥‥
彼は、二人の様子を見て、
「アーサーがいい人だから、僕は苦しい」
と珍しく本音で言いました。
彼は、いまだに、ナヨンのことを恋して、恋して、好きで好きでたまらないのです。
だから、二人と出会って、実際に話してみて、ヘソンは心に決めたのでしょう。
ナヨンと別れるときに、ヘソンが言います。
「僕たちが、本当にイニョンで結ばれているなら、来世で会おう‥‥」
そう、彼は、アーサーに言ったこととは逆に、今後、二度とナヨンには会わないことを彼女本人に誓ったのです。
たとえ、二人がイニョンで結ばれていたとしても‥‥
何という初恋でしょう!
何という失恋でしょう!
ヘソンと別れたノラは、アパートの前で待っていたアーサーの胸に飛び込み、初めて泣き崩れます。
この別れは、ノラにとっても初恋だった、そしてその初恋が失恋に変わったときだったのだから‥‥
実際には、12歳のときの初恋の相手を、そのまま24年も変わらずに恋しつづけることなんて、できっこないと正直思います。
しかし、本作の二人にとっては、それはかけがえのない初恋であり、同時に、失恋であった。
そのことを思うと、今でも涙が止まりません。
本作、1988年、ソウル生まれでNYで活躍する劇作家セリーヌ・ソンの初監督作品だとか。
プロフィールをみると、ほとんど彼女の自伝的な作品だということがわかります。
脚本も彼女が執筆。
豊富な劇作、演出の経験が本作にも生かされているのでしょう。
アカデミー作品賞、脚本賞ノミネートもうなずけます。
ノラ=ナヨン役のグレタ・リー(1983- )は、ロサンゼルス出身の移民2世のまさしく韓国系アメリカ人。
驚いたのが、どこから見ても純韓国人にしか見えなかったヘソン役のユ・テオ(1981- )が、ケルン出身のやはり移民2世の韓国系ドイツ人だったことです。
いやはや、だとしたら、物凄い演技力の持ち主ではないですか。
カメラは、常に一定の距離を置いて、対象となる人物、ノラ=ナヨンとヘソンを見守るような落ち着いた絵作りが心地よく、あるいは、やはり小津安二郎を参照しているのかな、と思いながら観ていました。
音楽も良かった。
東アジア系アメリカ人による作品は、『ミナリ』とか『エブエブ』とか、最近かなり出て来たようですが、私は本作がいちばん感動しました。
アジアの要素を、作劇の中心に据えたのも、かなり冒険的だったのではないでしょうか。
掛け値なしの大傑作、
また忘れかけた頃に何度でも見返したいものです。
味わい深い
私は個人的に恋愛映画はあまり観ないのだが(特に邦画)、今作は良かった。観終わった後の「パストライブス」というタイトルが沁みる、切ない映画。
邦画のように泣かせに来る(私の偏見です)のではなく、落ち着いたしっとりとした、大人の恋愛もの。結ばれないのって、現実はそうだよね。すごく、劇的なことはせずに、自制心を持って…
映像も美しい。そして、韓国のイニョンという死生観が、前面に出てて、来世で会おう、は切ない。
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