658km、陽子の旅のレビュー・感想・評価
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生を取り戻すための658kmの旅
658kmとは陽子が暮らす東京から故郷の青森までの距離のことだ。
その青森までヒッチハイクをしながら車で旅をするロードムービー。
陽子(菊地凛子)は18歳の時に親の反対を押し切って東京に出てきた。
夢を持って出てきたのだが、現実は在宅の仕事でほぼ引きこもりのフリーターで年齢も42歳になってしまった。
そこへ、父(オダギリジョー)の訃報が伝えられる。
陽子は出棺を見届けるために叔父(竹原ピストル)の車に同乗し青森に向かうのだが、サービスエリアでのあるトラブルにより、逸れてしまう。
荷物を車に置いたままでお金もないため、ヒッチハイクで青森に向かう旅が始まる・・
陽子は引きこもり生活で人とうまくコミュニケーションが取れないまで心が疲弊している。
18歳の時から24年、実際の距離は658kmだが時間軸の距離は658kmよりもっと、とてつもない距離が出来てしまったのかもしれない。
陽子の旅は青森に近づくにつれ心の距離も取り戻していく。
ヒッチハイクを成功させるには人とコミュニケーションを取らないといけない。
人間は生きるか死ぬかの局面では逞しくなる。
それは本来の生きる力だ。
陽子は旅で出会う人々、その中にはかつて喧嘩別れした父の幽霊も含まれるのだが、それらの人とのやりとりにより人間力を取り戻していく。
父の死を見届けるための旅で自身の生を取り戻していく姿が印象的。
幽霊の父が見える陽子は死に近づく存在で、父との決別が父が陽子を再生させるための最後の愛情だと思うと胸が熱くなる。
菊地凛子が渾身の芝居を演じている。彼女の代表作の一つになるだろう。
そして旅で出会う人々
人気のないサービスエリア
旅の途中に通り過ぎる東日本大震災の被災地
寒々しい海岸沿いの道
雪の中にポツンとある青森の実家
人と風景が素晴らしい。
はたして父の出棺は見届けることができるのか、しかと見届けてほしい。
叫び
この「旅」はもちろんメタファーなので、「ああすればよかったのに、こうもできたのに」というツッコミは無意味です。
私も陽子と同じで、「あなたが努力しなかっただけでしょ」と言われ続けた世代です。
置いていかれ、排除され、嘘をつかれ、こちらの責任でないことの責任を取らされ……
本当に、ただ生きているだけで何度叫び出しそうになったことか。
困っている人がいたら車に乗せてあげるなんて、人間として当たり前のことじゃないですか。
困った女一人が車に乗ってきたからって、恩を着せたり、代わりに体を要求したり、そんなことしないのがまともな大人でしょう。
でも、二言目には「あなたが悪いんでしょ」。「人のことなんて知らねーわ」。
違いますよ。車に乗せてくれなかったおじさんとおばさん。
あんたたちの世代の失政や不作為の尻拭いを我々はさせられたんだ。自分の人生を犠牲にするという形でね。
「ここまで来られたのは皆さんのおかげです」なんて感謝、本当はしなくていいんですよ。
しかし、この社会と和解するには、そうとでも思うしかないんですよ。
今更ながら人はひとりで生きていくには
引きこもり生活の女性、若い頃にはやりたいこともあり夢もあった、くじかれた時に方向性を変えられる柔軟性がないばかりに引きこもり生活。現代には多いと思われるが、やはり人との関わりこそが人が人たる所以で、関わることをやめたら生きてる事の実感すら感じないだろう。
そんな問題を抱えた人間を菊地凛子が本当に演じきっていて観るに連れて引き込まれていく。
ヒッチハイクするに至る理由は無理があるが、最初は行く事にさえ面倒だと感じてたのも人と触れ合うに連れ自分を変えたい、父親の最期を見送らなきゃならないと思うようにもなり心の変化の過程を見事に演じていた。
風吹ジュンは最近老夫婦の役では右に出る者はいない。
それにしてもオダギリジョーはここのところ故人の役が多いのはなんでだろう。
この映画良かった、世の中捨てたものじゃない、けれど一部には弱みにつけ込む悪いやつもいる。
それでも人と関わることの大切さをしみじみと伝えてくれた。
自分と重なり少しツライ
菊地凛子さんの演技、存在感が全ての映画でした。
引きこもって暮らす42歳の陽子。
青森の父の葬儀に向かう途中、トラブルもありヒッチハイクで向かうことに。
道中いろんな人との出会いがあるが自己肯定感の低さゆえ、目の前の目的を果たすために間違った判断をしてしまうことも…
わかるわぁ、、、その感じ!と陽子に共感して辛くなる。
しかし従兄弟(竹原ピストル)の非常識な言動にイライラ!
いくら子どもが怪我したからってサービスエリアに置き去りにする?!
再開しても謝罪も気遣いもなし。どう考えてもおかしいやろ!
居心地わるい
、科白聴き取り難い、画はイイ、これが熊切監督作品への印象。でも今回は大分観易かった。ちょこちょこ出るオダギリ父さん、ちょっと笑えたし。
引きこもり・コミュ障を脱するのは、自分を含めヒトなんだと感じた。
イカ墨パスタがすでに物語っている。
人生を諦め引きこもって暮らすコミュ症の陽子、42才。疎遠だった父の死を知り急遽東京から故郷青森へ向かうことに。その距離658km。
従兄の車で向かう途中トラブルが起き、一人でヒッチハイクする羽目になってしまう。
見ず知らずの自分を車に乗せてくれる人。その旅路で自分自身や突如幻影のように現れる父親と対峙してゆくことになる。陽子の孤独、絶望、疎外感。その反面きっと本心では誰かと繋がりを求めている。そんな複雑な人物像を見事に演じた菊地凛子の為の658kmだった。
陽子とほんの少しだけ交差する人達。好きな俳優さんばかりでシーン毎にとても豪華で見応えがあった。そして若き日の父にオダギリジョー。海辺のシーンは父娘の愛情が見えてきてジーンとした。ちょいちょい無理矢理展開もあったけど、とても情景が綺麗なロードムービーでした。
あんなに車の来ないパーキングエリアって有る?
東京で暮らす42歳の独身女性・陽子は、フリーターとしてなんとなく日々を過ごしてきた。そんなある日、20年以上疎遠になっていた父の訃報を受け、従兄の茂やその家族と故郷の青森県弘前市まで車で向かうことになった。しかし、途中のサービスエリアで陽子は置き去りにされてしまい、所持金もなくヒッチハイクで青森を目指すことになった。道中で出会ったさまざまな人たちとの出会い・・・てな話。
まず、置いてきぼりをくらったらもうちょっと必死で連絡取ろうとしないか?
寂れたパーキングエリアなんだろうが、あんなに車が立ち寄らない所って有る?
ヒッチハイクするにしても、男1人に乗せてもらうか?
少しずつコミ障っぽいのが治っていくところを見せたかったのかな?
海で潮が満ちて来て、身体がベチャベチャになってしまったのに服いつ乾かしたんだろう?
色々とよくわからない所が多かった。
菊地凛子の演技は素晴らしかったし、見上愛は可愛かったが、それだけ。
ちょっと変わったロードムービー
高校卒業で上京してやりたいことを目指すものの、うまくいかず、コミュ障になっている陽子。20年会っていない父親が亡くなり、従兄弟の車で青森に向かうものの、SAではぐれて所持金2000円そこそこで放り出されてしまう。
ヒッチハイクするしかない状況に追い込まれ、コミュ障でまともに会話もできず、せっかくヒッチハイクで乗せてもらっても失礼な態度を取ってしまう。出棺の時間が迫ってくるので焦ってくるのと、だんだんコミュニケーションが取れるようになってくる様子がすごく伝わってきた。
目を合わせようとしない表情が脳裏から離れない。
ヒッチハイクでドイツ人を乗せたことがあるが、危険もはらんでいる。
乗る方も乗せてもらうからにはコミュニケーションをしっかり取って楽しい車内にしたい。
蜘蛛が出てきたが、真冬に蜘蛛はいない。そこはツッコミたかった。
これは観ているのがしんどい
自分には全く刺さらなかった。菊地凛子のコミュ障っぷりは演技力が高いだけにリアルを通り越して不愉快。何度席を立とうと思ったか。その不愉快なまでのコミュ障がヒッチハイク体験を通して自分を取り戻す(?)物語らしいが取り戻した結果を全部セリフで説明してしまった。こんな脚本が賞をとった?信じられない。主人公にとって救いとなる最初のきっかけは優しい老夫婦との出会い(これもまたありきたりすぎな展開で驚くが)、その優しいおばあちゃん役が案の定風吹ジュンで(笑)他にこういう役できる人いないのかね?老夫婦と出会ってちょっと救われたかと思った主人公がその直後、青森ナンバーの夫婦になぜ乗せてくれないのかと癇癪起こし始めて「なんだコイツ」とまた醒めてしまった(あのシーンは本当に何の意味があったんだろう?せっかく改心した主人公を乗せてくれない他人の冷たさってこと?それは作り手の勝手な意見すぎない?客観的にどうみても不審者で、俺でも乗せないいわあれは) 置いてきぼりにした竹原ピストルは再会した主人公に謝りも気遣いもしない、到着しただけで亡父との再会を描かない演出(わざとだろうけど物足りない)、号泣してるのに出ない涙(俺この演技大っ嫌いなのよ。テレビドラマならともかく劇場の大画面に映すのになんで世の中の監督はこれにOK出しちゃうんだろう)、ほぼ全てが口にあいませんでした。同じ監督で前に観たのは「私の男」で、これも合わなかった(後で原作小説を読んだら大変面白かったのでそもそも監督とそりが合わないのかもしれない)。
TVのドラマか配信で十分。千円以上を支払って映画館で見るほどではない
ノルウェーの森以来の菊地さんを目当てに見に行きました。さすが菊地さんの演技は見事ですが、それ以外は安っぽくてダメ、俳優さんの責任ではありません。構想が安っぽいのです。
まず、オダギリさん、不要です。この映画では父親は遺体以外では出てくる必要がありません。
次に、バイクを降りたときは道路に落ち葉があって、踏切を渡って家に着いたら積雪ウンcmの雪景色、やっぱりラストは冬にしようと思いつきで撮り直したのでしょう。
ネタバレになるので書きませんが、ラストはご都合的に甘い、昔ならともかく、今は出棺の時刻は正確です。
これでしたらTVのドラマか配信で十分。千円以上を支払って映画館で見るほどではない。
一生懸命、ただ、北を目指す
小さな失敗の繰り返しで自分に自信がなくなり人とのコミュニュケーションを避けていたことで、普通に人と会話することもむずかしくなってしまった主人公・陽子が、無一文でヒッチハイクしながら父の葬儀のため青森を目指す物語。
あらすじ以上のことはほぼ起きず、ひたすらヒッチハイクを繰り返す陽子の道中を追いかけていきます。
前半の陽子は、見ていてイライラしてしまうくらいのコミュニケーション下手。ちょっとした会話はもちろん、お礼や挨拶さえままならない。ヒッチハイクで乗せてくれたり、食事をご馳走になっても、態度がまぁーひどい。これじゃあ気分を害すのも分かるわと、観ている側も不快指数高め。
でも、少しずつ少しずつ、陽子の心のリハビリが出来てきて、少しだけ頑張ったり、めちゃくちゃ頑張ったり、そんな後半の陽子は応援したくなりましたし、きっと何かが変わったのだと感じることができました。
道中、ヒッチハイクで出会う人々は、めちゃくちゃ良い人もいれば、めちゃくちゃクソな人もいるし、まぁまぁ嫌な奴、普通の人、色々。でもどれも極端ではなく、どんな人なのか説明もほぼなく、風景や少しの会話で読み取っていく。この辺りの表現が、車に乗っている陽子とリンクして面白かったです。
とにかく風吹さん夫妻が良かった…心が浄化されます。
すごく面白いかでいうとそうじゃないけれど、なんだか印象にとても残る作品でした。菊地凛子さん、さすがでした。
「色々手遅れになっていて、取り返しの付かない事になっていて・・・」
今作に於いて、一番の台詞というか、自白、懺悔、そして吐露したい願望が詰まった台詞だったと自分は痛い程伝わった 多分世の殆どの人が、何とか巧く世間と折り合いを付けている(と、少なくても自分にはみえる) 勿論、それは不断の努力の結果であり、本来の思い描いた理想とは違う挫折を乗り越えての貴い礎故の現実かもしれない だから今作のような所謂"コミュ障"の人、若しくは本来普段の努力を怠った卑怯者に対しての他人の風当たりは強い そしてそれは痛い程本人達も自覚している そして卑怯故、家族や親族に庇護を求める 勝手な理解キボンヌだ そんな甘えの構造を今作はどう物語化するのだろうという興味を元に観賞してみた
先ずは、時間を追う毎に主人公に同化するかの如く、気持のアダプテーションが進んでしまう 感情移入が止まらないのだ 自分も他人に対して劇中の如く、ゴニョゴニョした聞き取りにくい発声を起こしがちを自覚している 全く以て自信が無い、そもそも他人の前に現われるなぞ不遜の極みであり、自己卑下&自己否定の権化と成り果ててしまっている 自死できないのは死ぬのが恐いからという消極的意思故 そんな主人公の唯一の攻撃対象は父親 もう其処にしか自分の落とし前を擦り付ける場所がないからである だからこそそんな想像上の諸悪の根源が突然病死してしまったことの落とし前を初めは着けるつもりだったのだろう しかし、そうは問屋が卸さない 幼少時の父親が、想像上に一緒に行程を共にすることで、父親からの叱咤が出現する 『亜麻色の髪の少女』を空で歌う竹原ピストルは大変贅沢な演出だ そしてかの歌は幼き頃、主人公が歌っていた事に"うるさい"と叱責した父親が、その後、親族にとって想い出になる程熱唱していたという事実を突きつけられての主人公の溶解を徐々に作劇してみせた制作陣に頭が下がる 他のネタバレサイトに腑に落ちる考察があったが、主人公の夢は『芸能界』だったという事 そしてその夢は努力の甲斐もなく、しかも現実には躰の提供という倫理観の欠如を強いる出来事に心を壊されてしまった成れの果てであると言うイマジネーションに深く合点がいく 自分なんぞ依り、何倍も努力と犠牲を払ったのだ そしてその結果としての下層位置 スマホが故障中、強がりのプライド、そして父への決着 そんなないまぜが今作に於いて一片に怒濤のように訪れての、あのロードムービーなのだろうと、そのストーリーテリングに感嘆する 神か父親の差配か、主人公を襲う地獄は、同じ属性として、居たたまれない極悪な状況の連続である 過去の黒歴史である"枕営業"※勝手な妄想ですのですみません、自分よりも若いヒッチハイカーの生き生きとした行動、バイタリティ溢れる女性の行動等、その全てをまるでザッピングの如く体験する事で、今迄の澱を溶かすかの如く主人公の精神と躰をデトックスしていく 心優しい老夫婦に癒しを施して貰い、そして未来へのヒントを与えるなんでも屋の女性との邂逅の中で、一皮剥けた主人公が取る行動は泥臭い、そして自分本位な青森へのヒッチハイクの懇願 12時迄には青森に着きたい 父親の手を握りたい その一心は、自分の今迄の見て見ぬ振りをしてきた逃避を自ら断じる覚悟を充分演出してみせたと思う
だからこそのサプライズとしての、本来は火葬予定時間だったのを、延長した親族の計らいに、主人公のちっぽけなプライドが、一気に氷解したラストだと涙する もっと甘えて良いんだと、そしてだからこそその恩返しは後の世代へ続けていくものだと、その循環に頭の下がる作品内容であった 今現在の自分に相似する内容に有難みが倍増である
主人公は、青森に戻って、リセットして欲しい そう願う自分は間違っているのだろうか?。。。
コミュ障の女性が658㎞の旅で自分の殻を破って行く感じの邦画。 本年度ベスト級。
観賞後、コミュ障と自閉症の違いをググったけど、陽子は自閉症なのかと医者でもないけど自分的に判断(笑)
菊地凛子さん目当て。
そんなに思い入れのある女優さんでは無いけど彼女の演技に引き込まれた。
コミュ障で人に会うことを避けながら生活している42才の陽子。
ある理由で断絶していた父が他界。親戚の車で青森まで葬儀に向かうストーリー。
スマホも壊れ僅なお金しか持っていない陽子。
高速道路のサービスエリアで親戚とはぐれヒッチハイクで青森まで向かう展開。
コミュ障の陽子が他人にヒッチハイクを頼む事が難しい中、色んな人に出会い助けられ青森まで向かうロードムービー。
良い人ばかりではなく悪い人もいる中、終盤で陽子が自分の殻を破って行く感じに引き込まれる。
感謝の気持ちを言葉では無く握手するシーンが印象的。
今まで喋る事もままならない陽子が全てを吐き出す様に喋る姿に泣ける。
美しい風景に期待するもそれ程でもなくリアル感を出していた感じ。
ってか福島の滞在時間が長過ぎる(笑)
ヒッチハイカー役の小松菜奈さん似の見上愛さんが可愛くて印象に残る。
スマホ等の位置情報も無いのに目的地まで辿り着いたのは凄いと思いました( ´∀`)
そうはならんやろ。
映画のタイトルを聞いて最初の印象は、随分スケールが小さいなと感じました。たかが658km、しかも徒歩じゃなくて車でしょ?そんなに人間変われるもんかいな、と。普通に走ったらあっという間に着いてしまうけど、どうすんのかなと思っていたら案の定、郡山ナンバーがあんなに走ったのにまだそんな所にいるの?!みたいな。兎に角前半はダルいです。あらすじ聞いて、こんな感じの映画かな?と想像したらその通りでした。コミュ障の陽子はあたかも地蔵のようです。もう早く終わらんかなと何度か時計を見てしまいました。物語が熱を帯びるのは後半から。菊池凛子さんの長回しで撮った演技は流石の一言。しかし演出という面から観るとあそこで語りだす必然性は全くないし、なんかお手軽ですよね。全般に陽子の変化に対する説得力が足らない気がしました。夢が破れてコミュ障になったって言うのもどういうこと?多くの人は夢に挑戦する事なく一生を終える。或いは挑戦したい夢さえ見つけられず、終える事だって珍しくない訳で。それって不幸なんでしょうかね?陽子の存在にどうしてもリアリティが感じられませんでした。シリアスな映画なのでその辺がとても大切だと思うのですが…。うーん、ちょっと不満が残った映画でした。
これからの陽子に
旅の途中で陽子は、度々選択を間違えます。普通はこうするだろうと思うところですが、
きつと今までも選択を間違えてきた故に引きこもりなのだろうと納得します。
ヒッチハイクで出会う人々は親切だけれどちょっと意地悪だったり。両方持っているのが人間だなと思ったり。
最後のヒッチハイクでの独白は素晴らしく、こんなに自分の気持ちをわかりやすく話せるなんて・・・きっと引きこもっている間にずっと自分に向き合い、整理できていたのだな。
この人は自分の置かれた状況を人のせいや、社会のせいにせず、自分のせいだと言う。
間違った選択でも、自分で決めてきたからこそ言えること。
これからは自分にとっての最良の選択をしてくれるに違いないと思う。
42歳女性の再出発に期待とともに大きなエールを。
ようこそようこ
田中陽子は1年弱で消えたので、実はよく知らない…
ようこそようこも実は見てない
前作のアイドル伝説えり子は好きだった
当時は田村英里子の大ファンでした
実写版ドラゴンボールは勿論観てない…
冒頭から脱線しないで
今作は「TSUTAYA CREATORS' PROGRAM 2019」脚本部門で審査員特別賞を受賞したらしいけど、個人的に「TSUTAYA 脚本映画」ってチープな印象が強い…
今作のPRで、脱力タイムズに出てた菊地凛子は超美しかった
だがしかし…
劇中の菊地凛子は、幸薄顔で超コミュ症の、近寄りがたい怖い顔だった
完璧な役づくり?
ひたすら熱演に引き込まれる
少し歯がゆい
少し怖い
ややカオス
暗めの邦画でよく見るワンルームアパート
「エゴイスト」でも見た様な…?
コミュ症なので在宅勤務なのね
ノートパソコンを横にして動画鑑賞
動画鑑賞あるある
トイレットペーパーを、テッシュ代わりにカスタマイズ
素敵な巣ごもりワンルーム
もう出れない…
簡単に壊れるiPhone
手帳型カバーしてないのね…
人生に何度かある、強烈に不幸な出来事
こういう時って、負の連鎖で、悪い事が重なる…?
そう思いたいだけ…?
「最後まで行く」も、負の連鎖で超ハマった
詳しくは書けないが、物凄く自分の経験と被って、のめり込んでしまった…
脱線しないで
東北弁が良い竹原ピストル
竹原式?
南部式ならあるけど、竹原式は銃刀法違反
ステップワゴンやキャンバス…スポンサー縛りが無くて良い
対向車の車種を連呼して言い当てる男児
こんな子は嫌だ
絵本を読む女児
車内カオス
こんな長距離ドライブは嫌だ
死んでから現れるオダギリジョー
最後の最後でうらめしや…
キャンバスの黒沢あすか
陽子を待たせて1人で食事
妙にリアルだが、パンのプレゼント
他人なのに、車内で食事はOKなのね…
やはりお金は貸さなかった
このシーンの陽子が面白い
喉から手が出てる
付かず離れず…お上手ですね
花のあすか組とは無関係
脱線しないで
ヒッチハイカー見上愛
爆音着信音だがガン無視
着信拒否はしない
ウザい
美人風味…?
ヒッチャーは嫌
ルトガー・ハウアーは大好きだった
リメイク版は観てない
久々の浜野謙太
リアルすぎるレイプマン
コミュ症なのにサクッとヤられちゃう…
割とショッキング映像だったが、ヒッチハイクあるある?
知らんけど
そして海辺で殴られる…
愛は強し?
ネギをそのまま車内に入れてる老夫婦
ネギ臭極まりない
風吹ジュンの真骨頂
軽トラに乗る、軽トラ顔の仁村紗和
中古の軽トラはアメリカで大人気
渡米すればいいのに…
削除しないで
中盤、被災地の海沿いの埋め立て地域
全然進んでない…
「夕方のおともだち」のラストでも観た気がする
大号泣のラストだった…
エクストレイルの初老夫婦に、逆ギレしてブチ切れる陽子
ネクストカオス
恐怖極まりない
巣ごもりアパートから無理矢理飛び出した、手負いのコミュ症系熟女
ヒッチャーである…
最後のヒッチハイクで、出棺に間に合わず、自暴自棄でよく喋り出す陽子
42歳なのね…
こんな話、聞きたくない (運転手・談)
見た事ないオレンジ色のバイザー付きヘルメット
エリア88みたい
EDテロップに「ただの あっこ」
只野和子と勘違い…
知らんがな
雪国地方独特の、ガラスフードの二重玄関
喪服のネクタイが短い竹原ピストル
役柄そのままの見た目
置き去り事件を謝罪しないのね…
「出棺、待ってもらってるから…」(そんな台詞だった気が)
役柄そのままの台詞
この台詞で思わず号泣…
僕は雪国東北人なので、強烈に沁みるラストだった
観て良かった
文句ばかりなのに感動してしまった
長らく会っていなかった父の葬儀に出席するために青森へ向かう陽子のロードムービーなのだが、色々と文句が浮かんでしまう。
まずはヒッチハイクをすることになった経緯。子どもの怪我はわかるけど、陽子を残して全員で病院行くか?妻と娘をサービスエリアに残して夫と息子だけ病院に行けばよくない?
それに所持金がないのはわかるけど、実家には電話できるだろ。番号覚えていないのかと思ったら、中盤つながるし。もうなにかの苦役を自分に課したかのような展開に少しつらくなってしまっうし、陽子の選択が間違いだらけで少し苛ついてしまった。
あと陽子のキャラもキツい。コミュ障すぎるのも苛立つところ。車に乗せてもらったのにまったく話さないわ、ありがとうも言わないわ。そんな彼女がヒッチハイクなんて相当ハードルが高いのもわかるけどさ。こんな苛立ちを感じるのも自分が陽子のような生き方をしていないからなんだろうな。最低限のコミュニケーションもできない人がいることも知っているから、それを受け入れないとこの手の映画は観れない。でも、他人の車に乗る怖さもわかるけど、他人を車に乗せる怖さもあるんだぞ!
父であるオダギリジョーが幻覚のように陽子の周りに登場するが、あの父娘に何があったのかがハッキリしないままなのも少しモヤモヤする。
そんな文句がたくさんある(書き出したら思った以上にあって自分でも驚いた)のに、最後の陽子の独白や彼女の態度の変化、そしてラストに感動させられてしまうんだから自分のチョロさに嫌気がさす。そもそもロードムービー好きだしな。他人にはあまり勧められないが印象深い映画になってしまった。
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