そばかすのレビュー・感想・評価
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【良かった点】 2022年個人的邦画ベスト。アセクシャルの方の生き...
【良かった点】
2022年個人的邦画ベスト。アセクシャルの方の生き方の難しさ、理解されない苦悩を見事にエンタメに昇華していた。全てを理解せずとも、歩み寄ることはできる。個人的に最高の映画は、観た前後で自分の言動に変化が起きる作品だと思っていて、この映画は自分が今までに行っていた恋愛に対する無自覚な攻撃を浮き彫りにした。製作陣のアセクシャルに対しての向き合い方も真摯で、とても信頼性、納得度の高い作品になっていた。幸せは人それぞれであり、それをテンプレートのように何かの型にはめて語っていいものではないのだ。
【良くなかった点】
文句なし!
わからないけど好感が持てる
異性同性に関わらず恋愛の感情が湧かないという感覚を持つ三浦透子の主人公と、それを理解できない周囲のギャップが複層的に描かれる本作。画作りも脇役に至る役者も含めて丁寧な作りには好感が持てる。ただそうした感覚を持つ主人公の主張は頭では理解できるものの、その痛みが理解できなかったというのが率直な感想。
見合いをきっかけに意気投合した、一般的にはかなりいいヤツのラーメン店主も、恋人としては受け入れられない。しかしラスト近くに知り合う北村匠海演じる同僚が自身と類似した感覚の持ち主かと仄めかされ時点で彼女が得た安心感、これはもしかして恋愛に近いものと言えないのか?などと考えてしまった。
前田敦子は非常にいい役で、このくらいの助演の方がいいのだが、例え地方の選挙であっても演説中に大声をだして近寄るというのは安倍元首相の銃撃事件後では有り得ないのではと思った。
その他、坂井真紀に田島令子(私にとってはクイーンエメラルダス)、三宅弘城に伊藤万理華の、色々言い合う温かい家族描写は最近ではむしろ珍しくて良かった。
そして本作も「よだかの片想い」と同じメ~テレ制作の(not) HEROINE moviesとのこと。「LOVE LIFE」も含めて良作で存在感を増して来ており頼もしい限りだ。
真デレラの続きが気になる
あえて言う。特別な話ではなかった。
悩みの中身は違っても、『普通』とのズレに戸惑い、苦しんでいる人は沢山いる。
佳純が出会う人たちは、家族含めて“理解”どころか“共感”もしていない。
ゲイを告白した八代や、よい友人関係を築けた真帆ですら、“受容”しているにすぎない。
そんな中で最後に出てくる天藤だけが唯一の共感者であり、それが佳純を軽くした。
そのあたりの描き方が明瞭なのがよかったし、家族の食卓でそれ以外の救いや支えも示してくれる。
『少数派』ではあっても『異常』ではない。
共感した天藤だけが“正しさ”ではないという描き方が好ましかった。
本作は演技の立体感が素晴らしく、特に家族間の会話は「長年の積み重ね」を感じる自然さでした。
全員に、それまでの人生が垣間見えるよう。
時折挟まれる笑いのセンスもよく、特に浮気の話をしてる最中に聞こえるTVの音声は、音量も込みで絶妙でした。
それまでの自然さに対して、ラストカットにやたら演出臭さを感じたのだけが少し残念。
個人的にはもっとナチュラルに締めてほしかった。
曇りのち晴れ
とても優しい物語だった。
必要以上に寄り添うわけではなく、かと言って突き放すわけでもない、そんな登場人物との距離が愛おしかった。大好き。
ホントにおもしろかったんだけど、そういう価値尺度じゃなくて、ずっと大事にしていきたい作品に出会えました。
女優陣が素晴らしい
昔ほどではないにせよ、結婚してこそ一人前みたいな圧は今でもあると思うし、誰かと付き合ってないとダメな人みたいな雰囲気は感じる。
そういう感情が希薄な自分は、蘇畑さんの窮屈さに共感した。
脚本が良い、台詞の言葉のチョイスがとても好き。
三浦透子さんは『ドライブマイカー』後の大事な初主演ながら、クセのある役柄を選ぶところが素敵。
前田敦子さんは『コンビニエンスストーリー』『もっと超越した所へ。』に続いて、個人的に当たり。以前なら事務所的にNGだったかもしれない役柄だろうに、独立して自由度があがったからか、とても魅力的な女優さんになってきていると思う。
そして"ミス仏頂面"伊藤万理華さん、今回も良かった。予告編にあった「ダッセー名前だ」のキャラなのかと思っていたら、前半は可愛い妹で、その不安定が素晴らしい。彼女もハズレ無し。
最近の多様性とか結婚観とか扱っているけど、押し付けがましくなく、重くもない良作だと思う。
大共感。親であっても自分の望まない人生を押し付けられたくない。私は映画があれば一人でも生きていけるけれども、確かに何処かに同じ思いの人がいると知ることは勇気を貰えるな。
①シネリーブル梅田は「空中庭園」のあるビルに入っているので、映画館を出た途端、クリスマスでもあるせいか、カップルの長蛇の列。これが世の中のメインストリームの姿なんだな、と思いつつビルを後にした。
②三浦透子が実力発揮、映画を一人で支えられる女優になっている。
“恋愛や結婚なんてどうでもいい”と言うから友達だと思っていた男から好きだと言われた時のリアクションのリアルさには舌を巻いた。
彼女は決して悪くないのにコンプレックスから謝ってしまう気弱さ。男の方も傷ついたかもしれないが、同じ思いを共有できる友達と考えていたのに裏切られた彼女もショックだったろうに…
③私も因習深い田舎に育ったので、親はもとより親戚や周りの人達は「人間は結婚するのが当たり前。結婚していない人間は半人前」と考える人ばかり。心の中では反発していたけれたども、見合いの話がくれば気弱さから断れず何回かしたが結局こちらから断ってばかり(イヤなものはイヤと言えば良かったと今では反省。相手に悪かったなあ、と。何様だと思われただろうなあ。)。40を過ぎると流石に見合いの話も無くなってホッとした。恋愛をしたくなればするし、結婚をしたくなればするからほっといてほしいというのが正直なところだった。色々あったけれど、結局一人で生きていくのが自分にとって一番楽だからそういう生き方を選んだだけ。“一人は寂しいだろう”とか“年取ったら一人は寂しいよ”とか言われるけど、大体「一人だと寂しい」という事自体理解出来ない。そういう意味では変わっているのだろうけど、これが自分だから仕方ない。だから佳純の気持ちはよくわかる。“I know exactly what you feel.” ってところだな。
④佳純とは違う観点からではあるが、マジョリティーから外れた者を許容しようとしない・理解しようとしない世間というものに対してキッパリと物言う真帆も清々しい存在だ。前田敦子がこんな良い女優になるとは思わなかった。
⑤佳純と真帆とで改作した「シンデレラ」の紙芝居、最後まで観たかったな。でも、途中で怖くなって止めてしまう佳純の気持ちもよくわかる。私だったら、今の歳であれば“最後まで行ったれ”と思うだろうけれど、若かったらやっぱり止めるだろうなあ、
しかし、「シンデレラ」等の白馬の王子様ものが{男視線}で、“王子様にめぐりあって(選ばれて)メデタシメデタシで人生が終わるわけが無く、その後の人生の方が大変なんだよ”という真帆の見方は私もいつも心の中で思っていることで全く同感。まあ、おとぎ話に噛みついても仕方ないんだけど。
⑥子供達の親の動揺は分からないでもないが、真帆の父親の代議士候補の言葉には腹が立つ。“多様性は分かるが、子供のうちには先ず基本的な価値観を教えるべきでしょう”って、「基本的な価値観」って何?子供のうちから世の中には多様な価値観があることを教えないといけないんだよ。年取って頭が固くなってから(特に四十過ぎたら死ぬような目にでも逢わなければ変えることは殆ど無理)では遅いんだよ。
私の通っていた小学校は地域がら「同和教育」の授業があって、「日本人が日本人を差別している」という事実というか現実社会にショックを受けて、生まれや育ち、階層・階級、人種、障害、今の言葉でいうとマイノリティーということ等々では絶対に人を差別しない、と強く思った。一応この歳までその思いは変わっていない。
⑦
心地よく、耳に流れる音
砂利をふむ足音が、寄せては返す波の音が、そして何より、透き通るような三浦透子の声が、とても心地いい。ずっとこの世界に浸りたいと思える映画だった。
主人公の生きづらさは理解できるが、「友人に恵まれていないだけ」とも思えてしまう
「普通」とか「常識」とかといった価値基準を押し付けられて、自分の思うように生きられない主人公の姿からは、息苦しさや閉塞感がひしひしと伝わってくる。
特に、その場の空気の微妙な揺らぎを捉えて、人と人との思いがすれ違う様子を的確に切り取った長回しのカメラワークには引き込まれる。
その一方で、時々映し出される主人公の家族の掛け合い漫才のようなやり取りは、重苦しくなりがちな雰囲気を和らげる効果を上げていて、絶妙である。
ただし、男女の友情は成り立つと考えている立場からすると、女性を性的な対象と見なさないで、純粋に友人として接することのできる男性はいると思うし、ましてや女性同士ならば、結婚していようがいまいが、友情は成り立つと思えるのである。
その点、この映画の主人公は、単に、そのような友人に恵まれていないだけのようにも思えてしまい、今一つ、共感することができなかった。
そんなシンデレラもいいじゃない
いい雰囲気の映画ですねー
もうさー人の目なんか気にせずに好きに生きたらいいじゃない。人生1回きり。自分が思うとおりでいいじゃない。窮屈すぎるんだよ、この世の中。普通ってなんだよ。そんな鬱憤を晴らす感じ。後半のクスクス笑える雰囲気もいいですな。
三浦さんの普通さと、前田敦子のヤンチャな感じとどっちも好きです。
当事者(かもしれない)として
アセクシャル、アロマンティック、ノンバイナリー、次々と増えるカタカナの分類名がもうよくわからない人に見てもらえたらいい作品が出てきたな、と思い嬉しいです。
私が自覚したのは約10年前、飛鳥井千砂さんの『アシンメトリー』という作品を読んだ時に脳内に稲妻がピカリ。「これだったのか〜!」と今までのすべてに辻褄が合う経験をしました。
それからは佳純のように生きています。まさにあんな感じ。擬態まではしないけれど謎な部分を多くしてカモフラージュ。
結婚を催促されるのは万人共通、好意を向けられたとき相手の望むとおりの「異性愛者の演技」をすればいいのにできずに関係が消滅したり、レズビアンだよねと聞かれるのもまさに実体験。
必要ないし求めてもいない、ただそれだけのことでありながらも、わかりやすい"難"がないと異性(同性)のパートナーがいないことがなぜなのか、興味を持たれて解明しようとされてしまう。とはいえたったひとりで荒野で生きるわけにもいかず、人間社会で生きていくには自分がどういう人間かわかってくれる人が多い場所を自分で作るしかないんです。
この在り方に寄り添ってくれる作品が出てきたのなら、それもまた良いことなのかなと思いつつ、映画と同じくまだ答えは出ていません。
理想は『千と千尋の神隠し』に出てくる銭婆のような穏やかでひとりでも大丈夫な老後。
さて、そうなれるのか、一寸先は闇の人生になりそうだなと思います。今アセクシャルやアロマンティックを自覚している人も、もしかしたら違う人生を歩むかもしれない。性自認とは難しいものです。
全体的に書き言葉なところ、ちょうどいい存在がポンポン出てくるところが引っかかってしまい、佳純が保育園で働く描写もちょっと微妙だなと思いつつ、恋愛や婚姻、生殖、生命を育むことを拒絶しているわけではない、というスタンスの説明には最適だったのかもしれません。
あの作品はまあ、上映環境がわかった時点で引っ込めて普通のやつを出しますね、私なら。その方がリアリティがあったかも。
マジョリティの否定ではなく、ただそっとひとりで生きていくことはできるし、案外歴史や文学の中に同志らしき人たちがいるんですよね。
とにかく、鑑賞できてよかったです。
あちらこちらに自分のような人間を代弁するキャラが出てこなくてもいいとは思っていますが、あるとやっぱり嬉しい。製作していただきありがとうございました。
人肌に触れたい と思わない人もいる
周囲から当然の如く求められ、余計なお世話を焼かれ
逃げたり、思い遣りを拒否することに傷ついたり
相手への欲求は、信頼と同じ意味ではない
別にある
人はそれぞれ一人だから自分を大切にしたいし
他に生きている人と、同じ世界にいたんだと
心を共にできたら
多様性が求められる時代 お互いに尊重して生きていく👏
趣味も好きな食べ物も価値観も考え方もライフスタイルも人間関係も、みんな人それぞれ。
人間が100人いれば、100通りのそれら(人生)があるのは当然のこと。
「みんな違う」ことを理解し、なるべくコミュニケーションを頻繁に取り、お互いがお互いを尊重していく、これからの時代はそれが必要。
みんなで焼き肉を食べている場面と演説を"妨害"する場面、それぞれの思いを思い切り相手にぶつける様子は見ていてとても心が動いた。
「人生は一度きり」「人生は選択の連続」
1つ1つの行動はなるべく考える。ただ、考えても仕方がないものは思いきって堪や運に任せ、素早く行動してしまうことも必要かもしれない。
恋せぬふたり 劇場版
アロマンティック・アセクシャルのことはNHKのよるドラ「恋せぬふたり」(岸井ゆきの&高橋一生)で予習済だったので、そこのところはすんなり。シンデレラのデジタル紙芝居、自分からヤバいと思って途中でやめてしまって残念。続きを最期まで観たかった。保育園の上司は春日さん。そばかすコンビでした。
前田敦子が市会議員候補の娘で元AV女優で、蘇畑佳純の中学時代の同級生世永真帆役。砂浜にシックなワンピースにサングラスで登場。
いよっ、待ってました。
気が合う女友達。一緒に住むマンションの内覧をしたのに、元カレとよりを戻してのドタキャンはNHKの夜ドラとまんま同じ展開。
元AV女優はちと似合わないんですが、コメディなんで仕方ない。オヤジにキレる街頭演説のシーンとってもよかったです。狭い町で娘が元AV女優の市会議員候補は当選確実?低~い投票率が上がることは間違いないですな。
伊藤万里華はかすみの妹で5ヶ月ぐらいの妊婦役。下腹に手を当てて、触り過ぎの演技が気になった。ちょっと!ソコはもうオマタでしょうよ!
ラブホのライター持ち帰るおバカな旦那にキレて、マシンガンのような立て板に水のセリフ回し。
旦那役は恋せぬふたりにも出てた。
シアター内に笑い声がポツポツと沸き起こるほっこりホームコメディでした。
冒頭の合コンで黙々と食べてたのに帰りにラーメン&餃子&サービスの半熟煮卵。合コンの次の日、コールセンターの屋上で7倍サイテー男だったといってたのはぎぃ子?
このところ気になってる女優さん。
なかなかのカメレオンぶり。
お見合いの相手が煮卵サービスしてくれたラーメン店の青年。好きな食べ物は和食全般ですなんて言ってて、実は全国ラーメン食べ歩きが趣味なんて、一本スジが通っていて真面目だったのに可哀想でしたね。
三浦透子の無愛想な謎めいた表情はこの設定に鉄板でした。
みんな違ってみんないい
怖がらずに多様性を受け入れよう
他人と違う恐怖
同じ考えのときの嬉しさ
理解者が離れていく恐怖と寂しさ
他者を認め応援すること
色んな人と出会い、相手を知ることにより価値観を経験することで共感する価値が広がります
情報社会で勇気を出して自分を知ってもらうために多様性が広がり、これからの多様性社会は個々の考えを受け入れる時代になります。
“普通”という無言の暴力
主人公の蘇畑(三浦透子)はアセクシャル、つまり他者に対して恋愛感情を持たない人という設定。
だが彼女はアラサー。
結婚しろと周りはうるさい。
それで彼女は、何かと周囲とぶつかってしまう。
それは、異性を好きになって当たり前、結婚して当たり前という“普通の”価値観との摩擦でもある。
そう、蘇畑を苦しめるのは、“普通”という価値観だ。
“普通”結婚するべき、恋愛するべき。
だって結婚は女性の幸せ。だから王子様を見つけましょう。…
社会に溢れている“普通”という価値観が、無言の暴力となって彼女を傷つけている。
それでも、蘇畑を新しい仕事に誘った八代(前原晃)や再開した中学の同級生の真帆(前田敦子)、父親(三宅弘城)など彼女に理解を示す人はいる。
さて、この映画の男性の描かれ方に注目したい。
冒頭の飲み会の男性は、一緒に飲んでいた蘇畑の同僚によって「サイアク」と評される。
蘇畑とお見合いをした男性はフラれる。
真帆の父親は、真帆によって公衆の面前で罵倒される。
妹の夫は不倫している。
彼らは、みな社会的な責任を果たし、おおむね“男らしい”男たちであるが、決していい描かれ方をしていない。
一方、蘇畑に優しい男たちはどうか?
八代はゲイで、一家を支えるべき父親はメンタルを病んで仕事を休んでいる。
彼らはそれぞれ事情を抱えていて、そして“普通の男らしくない”。
この脚本上のメッセージは明らかだ。
決して、世界の全員が“普通”ではない。
そうであるなら、“普通”という価値観の押し付けは、暴力になり得る。
蘇畑だけではない。
八代はゲイであるために小学校の先生を辞めたことが示唆されるし、父親はメンタルを病んでいる設定。このように、“優しい男たち”もまた、“暴力”にさらされ、傷ついている。
そのような中にあっても、ラスト、蘇畑は走り始める。
彼女の好きな映画「宇宙戦争」のトム・クルーズのように、それは何かから逃げるためではないだろう。
蘇畑は強い。
だが、その強さは、いわゆる“男らしさ”のようなものとは違う。
そういう強さを持った女性を、三浦透子が実に巧く演じている。
俳優はもちろん、テンポ感や、笑えるところもある演出は巧みで非常に良...
俳優はもちろん、テンポ感や、笑えるところもある演出は巧みで非常に良い作品でした。アセクシャルをテーマにしていながらも、トゥーマッチじゃない感じ、キャラ一人一人をちゃんと立たせる感じとかすごく良くて、最後のぶれながらのカメラワークは共感からの解放を感じさせる良いシーンだった。個人的には三浦さんと前原さんの保育園のシーンが非常に好きだった。
走るトム、走る三浦透子
そんなに大きな出来事があるわけでもない。どちらかといえば、日常の延長なのに引き込まれてしまう。押し付けがましくない脚本が三浦透子の魅力を引き出しているようにも思えるし、自然体で演じることができる三浦透子と物語がマッチしているようにも感じる。
性や恋愛に関しては、成年同士であれば自由でいいんじゃない。というのが僕のスタンスですが、積極臭かったり、性的マイノリティだけの物語だと違和感を感じる。『そばかす』は、その辺のバランスがいい。
トム・クルーズの『宇宙戦争』をダシに使うなんて、なかなか面白い。走るトム、走る三浦透子。
三浦透子の透明な歌声が聞こえてくるエンドロールは、誰も立とうとしない。そりゃそうだよね。
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