ケイコ 目を澄ませてのレビュー・感想・評価
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悪いとは思わないが過大評価?
岸井さんをはじめボクシングジムのキャストの演技は上手いと思う。画も雰囲気が合って良いと思う。岸井さんの演技を観たのは99.9とCMくらいだったが、これはとてもハマっているとは思う。岸井さんの努力も感じる。が、映画として魅力がない。勿論、格闘技に全く興味がないのを差し引いてもだ。
ジムの会長の妻がケイコに話した後のシーンと後半の弟の彼女とのシーン、ラストの仕事場のシーンは良かったが、そのくらい。
ダメな所というほどの所もない為この評価。何がテーマかよくわからないがケイコの心の成長がテーマだったのだろうか?
高い読解力が求められる
とにかく情報が少なく静かな映画なので、些細なしぐさや繊細な心情の移ろいをとらえきれないと意味不明な映画
だから、自分にとっては意味不明でした
どの辺が世界中の映画祭で絶賛されるポイントなのか教えてほしいです
鑑賞動機:岸井ゆきの10割
『愛がなんだ』や『前田建設ファンタジー営業部』でのコミカルでちょっとダメな人イメージが強かったけど、ここではガラリと違う硬質の人物像で、こんな顔をするのか、と新しい発見だった。
最後はちょっと成長したってことかな。
聴覚障害のある女性ボクサーの日常。 障害をほとんど苦にせずに生きて...
聴覚障害のある女性ボクサーの日常。
障害をほとんど苦にせずに生きている姿は下手にお涙頂戴モノにすることなくよかったと思う。
所属ジムの閉鎖に加えて不運な敗北を喫してやる気をなくしそうになりながらも、再び前を向くラストも勇気づけられた。
賛否あるのはよく分かる
ボクシング映画ではなくてケイコの努力の積み重ねと挫折を描く作品。
なのに後味がいい。(否の人は後味が悪かったのだろう)
岸井ゆきのはプロボクサーを演じるにあたりコロナ禍でのトレーニングのためマスクをしながら挑んだそう。「トレーニングをマスクでして、撮影は外して行ったので、撮影の時の方が楽に感じました」との事。
撮影後もボクシングの練習は続けてるらしく、「今もまだボクシングは続けているけれど、あの日よりも体重が落ちて、パンチが軽くなってしまったことが悔しい。でも、軽い分早いパンチが打てるかもしれないので、なんとかケイコに勝てないかな」とインタビューで笑顔で話してたらしい。
間違いなく岸井ゆきのはケイコでした
岸井ゆきのの演技力に脱帽!
生まれつきの聴覚障がい者でありながら
ボクサーとして力を注ぐ。
原作者の自叙伝的なストーリーですが
間違いなく岸井ゆきのはケイコでした。
声を発しない演技を違和感なく見せてくれて
抑揚のないストーリーでありながら
ずっと作品に引き込まれてしまいました。
実在する本人が演じているのかと勘違い
してしまう程の演技力と佇まいでした。
ボクシングのことはまったく分からないので、ボクシング技術や業界から見たらなんやコレとなるかも知れませんが、素人が見たら感銘を受けてしまいます。
主人公が言葉を発することはほぼ無いので、必然的に画面を注視してしまいます。
その注視に耐えうる主人公の空気感というか佇まい、表情や仕草、凄いです。
主演を支える他のキャスト陣も素晴らしく、会長の枯れ感、トレーナーさんのホンモノ感、家族との関係も描かれて、それが気持ちよく描かれています。
殻を破る主人公なのか
どことなくATG映画と寺山修司さんの時代の映画のように感じながら観てました。見事な映画だと思いますが、好きな映画ではなかったです。
画面から、なんと言う表現がいいのかわかりませんが、生々しさ、しずる感、身近さ、ジメジメ感、痛さ、暗さ、人間の汗臭さ、いろいろなものを感じました。最近の作品にはないものでした。
ただ、舞台がわたしが24歳まで住んでいた実家の周辺だったので、それらが既視感ありと言うか、どーも余り気分の良いものではありませんでした。
岸井さんは見たことないような主人公を見事に演じていたと思います。仙道敦子とか久しぶりでした。
聴覚障害のある方、今回、その苦労を身にしみて感じました。対面したり、通り過ぎるだけでは、認識できないことに気づきました(コンビニのシーンとか)。
感想と考えたこと
はじめ生活音がよく聞こえると思った。
ジムの練習の音がクリアに聞こえて、心地良いリズムを刻んでる。
そこに字幕が入って主人公には聞こえてないのがわかる。
ボクサーの練習は自分を追い詰めて孤独な闘いってイメージがあるけど、音がないのを想像すると余計に孤独を感じそうだと勝手に考えて、でも最初から知らなければそんなこと考えないよな、と思い直したり…。
騒がしいくらいの練習音の中、トレーナーの動きに目を凝らして黙々と練習する主人公。
私は、自分の引き出しのすぐ手の届くところにある言い方で「目を凝らす」って使うけど、タイトルにある「目を澄まして」がほんとにしっくりくる。
言葉ではなく動きだけなので観客も目を澄ます。
心地良いリズムのミット打ち。
カメラが他を向いてて、映ってなくても音が聞こえる。聞いてるだけで練習を感じられた。
しゃべらないので彼女のキャラクターがわからないが、大変そうながら楽しんでいて、よかった。
暗いシーンがある。
生活音とかほんと音がよく聞こえて、asmrのように私は音を楽しんでた。
聞いてると音で何してるかわかるから。
観客はとことん音で感じる。音の情報量が多いのを感じた。
普段の生活で耳からの情報はとても多くて、でも自覚できてなかった。
目を澄まして映画を見てたら、画面に映ってる所と映ってないけど音だけでわかるたくさんのことがあり、耳を澄ます映画。
でも、周りの人の表情や態度とか彼女の感情がわかるのは映像からだから、やっぱ目で見るのも大事。
会長は目が悪くてほぼ見えてない。
音に集中してみるとこは会長と同じ感じ方になって、同じように耳を澄ましてた。
コンビニや警察のシーンをみて、ままならないコミュニケーション、先にコミュニケーションを諦めたのは健常者か彼女か、と考えた。
他のジムに通ってた頃は干されてたようだし、新しいジム探しでも苦労する。
悩みとか、内省だけで消化するのは苦しくて大変で話せばいいのにって思うけど、彼女に限らず話さない人は多い。
私自身も話すの難しい。でも人には話した方がいいとアドバイスしたくなる。
私は臆病からで、でも彼女は違って、解決しないしと言っていた。我慢して諦めてるように感じた。
弟が言う、自分の中で抱えられる「強さ」はそうなってるだけで、ほんとは話すことができない、だったのかな。
彼女の気持ちは周りの人に伝わってなくて気づいてもらえなくて、もどかしくなった。
終盤の練習ノートで、真顔の彼女が日頃思ってたことがわかって良い。全然伝わってないよ。
最後の方笑顔が増えてきて、コミュニケーション取っててうれしくなった。
相手がいるから試合ができる。
ボクシングには練習の相手がいる。
抱えてる気持ちを発散できる。
発散する以上に意味があって、言葉で言えなくても、ボクシングはコミュニケーションの場だったのかな。
会長とのトレーニングは楽しそうだった。
負けるな!
キネマ旬報ベストテン第1位他、各映画賞で絶賛。
主演の岸井ゆきのが同賞や日本アカデミー賞などで多くの主演女優賞を受賞。
2022年の邦画最高傑作と言われた本作。やっと鑑賞。
題材は、ボクシング。
古今東西、ボクシング映画には傑作多い。その理由は以前『春に散る』のレビューで触れたので省略。
邦画も例外ではなく、本作と同じく女性ボクサー主人公の安藤サクラ主演の『百円の恋』もある。
となると、本作もあの“名試合”に匹敵するものを自ずと期待。
これについては賛否分かれる筈だ。何故なら『百円の恋』のような、白熱とエキサイティングとハングリー精神タイプではないからだ。
ボクシングが題材だが、ただそれだけには非ず。まるでジャブ打ちのようにじわじわと余韻が効いてくるタイプだ。
まずは何と言っても、岸井ゆきの!
ファーストシーンから彼女に惹き付けられる。
その眼差し、表情、佇まい、内に込めた感情の一つ一つ。
それらがただ演じているのではなく、あたかも“リアル”にそこに存在しているかのよう。
『愛がなんだ』で存在を知ってから気になり続け、その演技力や魅力は紛れもなく確かなものだった。『愛がなんだ』も捨てがたいが、間違いなく現キャリアベストパフォーマンス!
言葉を発しない役柄なのも彼女の巧さを引き立たせている。
彼女が演じた役柄というのが…
生まれつき耳が聞こえないケイコ。
実在の聴覚障害の元ボクサーがモデル。(モデルであって、彼女の半生を描いた作品ではないらしい)
ひたすらボクシングに打ち込むケイコ。
ボクシングを始めたきっかけなどは描かれない。聴覚障害故、子供の頃いじめられていたとか一時期グレていたとか触れられ、理由はそんな所からだろうと推測。
自身の置かれた逆境への抗い。
ボクシング映画の主人公の定番のようであるが、熱血タイプとは違う。
会長宛にジムを休む手紙を書く。それを出せずにいる。
勿論ボクシングには魅了されているが、何かを抱えて打ち込んでいる。即ち、
自分は何故、ボクシングをするのか…?
聴覚障害で言葉を上手く話せないので、コミュニケーション下手。
が、決して人嫌いではなく、会長やジムの皆、家族、親しい友人とは自然に接する。ホテルの客室清掃員の仕事をしていて、人間関係は良好。先輩として後輩の面倒も。
ひと度そのフィールドの外に出れば…、聴覚障害者の生きづらさ。
音が聞こえるって我々には当たり前のような事だが、それが如何に生活に浸透しているか。
携帯のコール音にも気付かない。光で知らせるとは言え、玄関のチャイムにも気付かない。水が溢れた音にも気付かない。苦労を察するなんて、他人事みたいに軽々しく言えない。当人にとっては一生の障害。
それはボクシングに於いても。“致命的”と会長は言う。セコンドのアドバイスやレフェリーの声も聞こえない。まるで無音の中で、何を頼りにしていいか分からぬまま、孤独に闘っているかのよう。
警官に呼び止められた時も、今の自分の状況を伝えられない。
時に罵声を浴びせられても分からない。通行人とぶつかり、“失礼”と言ってるのかと思いきや、実際は“気を付けろ!バカ野郎!”。
相手が何を言ってるか分からないから、こちらも内に込めてしまう。
いやそもそも、耳が聞こえないからと言って周りが私を拒むからだ。
そこに追い討ちをかけるように、コロナ。
聴覚障害者は相手の口の動きを見て、何と言っているか推測する。が、コロナでマスク生活となり、それが出来ない。
密も避ける。人とのコミュニケーションがますます失われ…。
モデルになった方はコロナ前に活躍されていたようだが、コロナ禍に於ける聴覚障害者たちの実体現も反映されているのかな…? これは気付かなかった。
コロナ禍の閉塞感。
言葉で気持ちを伝えられないもどかしさ。
生きづらさ。息苦しさ。
悩んで、悩んで、悩んで、それでも答えが見出だせない。
そんな時…
日本でも最古のこのジム。会長に病魔が忍び寄り、ジムを閉める決意をする。
それを知ってケイコは…
内心動揺を隠せない。
ボクシングを続けるか否か悩んでいたのだから、踏ん切り付ける絶好の機会の筈。
しかし、どうにもならない現実を突き付けられると、人というものは必死にもがく。
そして、気付く。それが自分にとってどれほど大事で、尊く、好きだったか。
それは話せないケイコが自分の気持ちを書き記している日記にも表れている。
ジムを閉める事が信じられない。許せない。
それを聞いて会長は…。
ケイコがボクシングを続けていたのは、自分を受け入れてくれた会長やジムの皆、このジムそのものが好きだったからでもあるだろう。
ジムを閉めるからと言って、ボクシングもそこで終わりという事はない。別のジムに移籍して続けられる。実際、ケイコは有望なボクサーで、会長らの尽力あって別のジムから受け入れのオファーもあったが…。
ケイコはしょーもない理由で渋る。
煮え切らない態度に苛々してくるかもしれない。ボクシングを続けたいのか否か、自分は今何をしたいのか、何と闘うのか、何を目指すのか。
ボクシングのみならず何かを続けるには人に言われるのではなく、自分なりの沸点となる理由があって。
闇雲に模索していた時、ようやくケイコにも一筋の光を見出だす。
もう一度、試合に挑む。
そう決めた時から、ケイコの心情に変化が。
闘病の合間に会長と練習。トレーナーとスパーリング。
生き生きとした表情を見せ始める。
仕事の同僚や弟とその恋人とも。
笑顔を見せ始める。
例え言葉で伝えられなくとも、大切な気持ちがあって、人はまた闘える。走り出せる。
そして迎えた試合の日ーーー。
ここで驚いたのは、本作がよくある劇的なボクシング映画ではなかった事だ。
一度主人公が悩み、どん底に落ち、そこから再起。クライマックスの試合でドラマチックに勝利する…。
が、本作では奮闘虚しく、負ける。しかも、TKO。
勿論試合シーンの迫力はあるが、カタルシスや勝利の栄光の欠片もない。それが見たかった人にはこれまた期待外れだろう。
映画だからと言って何でもかんでもご都合主義や予定調和になるとは限らない。
時には打ちのめされる。そう都合通りにはいかない。
夢もなく、厳しい現実のこの世界…。
そこでまた落ち、立ち止まるのか。
監督・三宅唱が描きたかったのは、そこだと感じた。
実際、ラストシーンでケイコは…。
三宅唱の演出は省略の美学だ。
説明描写はほとんどナシ。見る者に考えを委ねる。
これは私の解釈だが、例えばラストシーン。会長はもう亡くなったのではないか。ジムを閉鎖しての記念写真。あの場に会長が居ないのはやはり変だし、入院中だったら奥さんは付きっきりの筈だ。
ケイコも会長から貰った赤い帽子を被って走り出す。
それらの点からそう感じた。
16ミリフィルムで撮影されたドキュメンタリーのような臨場感ある映像。それから、音。スパーリングの音、縄跳びの音、ペンで書く音、周囲の自然音も印象的。
映画で聴覚障害者を描く時、手話と同時に字幕が表示されたり、何かに書くとか通訳が配置される。本作もそれらで表現しつつ、ユニークだったのは、サイレント映画のような黒画面に字幕表示。
岸井ゆきのの熱演が話題だが、周りも好演。
会長役の三浦友和。ボクシング映画の会長って、暑苦しいガテン系が多いが、穏やかな人柄。自身の病気に直面しながらも、悩むケイコに寄り添うように。
会長の奥さんの温かさ、トレーナー二人も厳しくも力になってくれる。
殴られるのが怖い。だから試合の時、後ろに下がってしまう。
それは人間関係でも。言葉や気持ちを伝えられないから、こちらから引いてしまう。
ラストシーン。ケイコが土手で会った思わぬ相手。その言葉に、涙と感情が込み上げてくる。
怖れず、一歩踏み出せば、自分も相手も同じリングに立つ。
皆、同じなのだ。
この息苦しい世界。生きづらい人生。
それらに負けるな。
不条理に負けるな。
自分自身に負けるな。
久々の名作
アマプラで何故か最初に出てきたので、何気なく見てみたが、久々にいい映画を見た。おそらく今後何度も見ることになるだろう、そんな作品。捉え方は人それぞれだと思うが私はとても清々しい気持ちになった。主人公は耳が聞こえない障がいがあるが、それが主題ではない。障害があろうとなかろうと、関係なく物語は進んだように思う。途中でこの映画には音楽がないことに気づく。そして聞こえるのは車もしくは電車の音だけで、それがこの映画をさらに印象深いものにしている。主演の演技も素晴らしい。壮大な話でもなければ、かわいそうな人の話でもない。誰にでも身近な日常でよく起きること。心の動きもそう。障害はあまり関係ないから、すっと心に入ってくる。この女優さんの今後にさらに期待です。
岸井ゆきの、熱演
昨年(2022年)の暮れ(12月)に公開された映画だが、ちょうど2022年ベストテンを選んでいた頃に本作予告編を見てスルーしたら、なんとキネマ旬報の日本映画第1位となった三宅唱監督作品。ようやく鑑賞🎥
……という経緯でだいぶ経ってから観たものの、自分には合わなかったので感動や共感できるような作品ではなかった(^^;
耳が聞こえない女性ボクサー(岸井ゆきの)がボクシング練習に打ち込む話で、確かに昼間働いて勤務時間以外はボクシングの特訓するという姿は「すごい!」とは思う。
自分にはこの映画からたくさん聞こえて来る様々な音が聞こえるが、この主人公は聞こえないんだな。それってどういう感覚なんだろう…と思ったりしながら観た。
岸井ゆきの、熱演であった。
<映倫No.122812>
2回見ると!
ボクシング、岸井ゆきのさん、三浦友和さんの3大好きなものが詰まっててあえて予備知識無しで見に行って、独特の雰囲気と静かすぎる映画に、想像と違いすぎて、う〜ん?となったけど、2回見るとジワジワこの映画の良さが身に沁みる素晴らしい映画でした!!
あの春、いちばん静かなリング。 確かにこれ、目を澄ませてないと眠っちゃう…💤
聴覚に障害を持つ女子プロボクサー・小河恵子の心情の機微を描き出すヒューマン・ドラマ。
監督/脚本は『きみの鳥はうたえる』やドラマ『呪怨:呪いの家』の三宅唱。
主人公、小河恵子を演じるのは『悪の教典』『愛がなんだ』の岸井ゆきの。
実在する元プロボクサー、小笠原恵子の自伝が原案。この自伝は未読であります。
本作の白眉はなんと言っても、主人公・ケイコを演じた岸井ゆきのさん!!
ドキュメンタリーかと見紛うほどの真に迫った演技は本当に見事。
本作出演にあたり7〜8キロほど増量しボクサーらしい体型を作り上げたらしいが、彼女を捉えたファーストショット、そのカメラが映す広背筋の美しさには息を呑みましたっ!💪✨
この映画を観るまで岸井ゆきのという女優のことを知らなかったので、インタビュー映像などを見てそのギャップにビックリ。普段はあんなに小柄で柔らかい雰囲気の人なんですね。全然ケイコとは違う。やっぱり女優ってすごい!
この映画、掴みが非常に良い。
見事な広背筋を披露した後、ミット打ちに挑むケイコ。
トレーナーのかざすミットに吸い寄せられるかのように、ケイコは標的に向かって正確にパンチを繰り出してゆく。
静寂に包まれるジムに鳴り響くパンパンパンパンパンパンパンパン…という破裂するかのような衝撃音。彼女は脇目もふらずただ黙々とその作業を繰り返す。
この数分にも満たぬ僅かな時間内に、本作がどういう映画で何を描こうとしているのかが端的に表れている。
この瞬間に流れる詩的な感覚。このセンスの良さというのは全映画に見習ってもらいたいほどであります✨
本作で描かれているのはコロナ禍真っ只中の東京。都市開発により目まぐるしく変わる街並みとコロナ禍という一時的な混乱。それがパッケージされた、この時代にしか作れない映画になっている。
マスクによって隠れた口元。口の動きから他者の言葉を読み取らなくてはならないケイコにとって、このマスクはコミュニケーションの大きな障害となる。
コロナ禍という想定外の災厄が、ケイコの苦悩や葛藤を表すアイテムとしてのマスクを齎し、結果としてこの映画のテーマを深めているということは怪我の功名といえるのかも知れない。
詩情に溢れた映画であるし、黙して語らず、伝えたいことは観客が勝手に読み取れというストロングな姿勢には大いに共感する。
…が、いかんせんつまらない🌀
99分というタイトなランタイムでありながら、とにかく長く長く感じてしまった。
観客も目を澄ませていないと、たちまち眠気に襲われてしまうことだろう…😪💤
松山ケンイチ主演のボクシング映画『BLUE/ブルー』(2021)を鑑賞した時にも思ったが、邦画のボクシング映画はボクサーの人生に重きを置き過ぎていて、肝心のボクシング要素に面白みが感じられない。
メンターが病に倒れる、聴覚障害者が登場するなど、ライアン・クーグラー監督作品『クリード チャンプを継ぐ男』(2015)と要素だけを取り出してみると割と似ているのだけれど、映画の味は正反対。
クリードが一種漫画的なボクシングの面白さを提供してくれたのに対して、本作ではまぁとにかく真面目というか辛気臭いというか、ボクシングのジメーっとした部分ばかりがフィーチャーされており、そんなんどうでもいいから「はじめの一歩」ばりにおもろいボクシングを見せてくれよ、なんて思ったりしちゃいました。
まぁこれ『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)みたいなもんで、ボクサー映画であってボクシング映画ではない!ってことなんだろうけどさ。
やっぱりある程度の娯楽性は必要だと思う。どれだけ詩的で美しかろうと、つまんないもんはつまんない。
聾唖者の若者を描いた映画といえば、やはり北野武監督の『あの夏、いちばん静かな海。』(1991)こそ至高。
自分はこの映画が好きで好きで…。多分邦画の中では一番好きな作品だと思う。高校生くらいの時に鑑賞したんだけど、とにかく一から十まで美しすぎて、あまりの衝撃で頭のネジがぶっ飛んだことを覚えている。
また、ボクサーを扱った映画といえば同じく北野武監督作品の『キッズ・リターン』(1996)がパッと思い浮かぶ。この映画も好きで、特にあのラストシーンは映画史上最高の幕引きの一つと言って過言ではないでしょう。
本作はこの二つを足して二で割ったような映画。…なんだけど、なんで全く面白く感じなかったんだろう?久石譲が居なかったからかな?
とにかく、本作は完全にNot For Meな映画でした。寝落ちせずに完走した自分を褒めてやりたい。
なんだかんだ言っても、やっぱり映画は娯楽じゃなきゃ。
※最後にひとつ。昨今の映画界の流れとして、聴覚障害者は実際の聴覚障害者が演じるのが良しとされている感じがある。オスカー作品の『コーダ あいのうた』(2021)や『エターナルズ』(2021)なんかはまさにそうでしたよね。
これに関してまぁそうだよね、と言いたい部分もある。聴覚障害を持つ役者の仕事を健常者の役者が奪っている、という見方も出来ますから。
しかし、だからと言って健常者が障害を持つ人を演じてはならない、ということになってくるとそれはそれで芸術的自由が損なわれていることになりやしないだろうか?
もちろん、監修や指導者など、映画の裏方には聴覚障害の当事者を配するべきだと思う。ただ、だからと言って表側の役者にまでそれを求めるというのはお門違い。全てはその役をどれだけパーフェクトに演じることが出来るのか、という演技力の問題であり、そこに障害の当事者かどうかというのは関係無いんじゃねぇかな?実際、本作で岸井ゆきのさんは完璧な演技を披露していたしね。
とはいえ本作の制作にあたり一点気になることが。
映画のモデルとなった小笠原恵子さんがこの映画を初めて観たのは初号試写。インタビューによると、その初号試写には字幕がついていなかったらしい。
…いやいや、小笠原さんが観ることは事前にわかってるんだから字幕くらいはつけておこうよ💦そういうとこやぞ!…まぁ詳しい事情はわからないからあんまり強くも言えないんだけどさ。
「字幕がないから邦画は観ないけど、本作で初めて邦画を観て感動した」という小笠原さんの発言もあったが、この「字幕がないから邦画は観ない」という発言について、邦画界はこれからもっと考えていかなければならないのでしょうね。
引き算の美学
色々なものを引いていった分、細かい部分が浮き彫りになる。
日常の些細なことや、自分が日頃見過ごしていた部分をしっかり見て聞こうと思えました。
岸井ゆきのさんの演技力が素晴らしく、これだけでもみる価値があります。
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