茜色に焼かれるのレビュー・感想・評価
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ちょっとついていけなかった…。
尾野真千子と永瀬正敏の演技力の高さには目をみはるものがありましたが、ストーリー展開に取ってつけたようなところがあったり、ありきたりなイメージに安易に乗っかっていると感じられるシーン(スローモーションでの跳び蹴り、夕焼けと堤防と二人乗り自転車etc.)が気になりました。
主人公に意味不明な長ゼリフをたびたび吐かせる意味が分かりません。何度も出てくる「まあ頑張りましょう」という決めゼリフも、理屈やコンテキストを超越していて当惑するばかり。
終盤に主人公たちが悪者を懲らしめる場面で、加勢する仲間が絶好のタイミングで現れるのがあまりに唐突で不自然に感じました。真実味を持たせる工夫が足りないような気がします。
そんなこんなで、作品の世界についていけないという感覚が最後までぬぐえませんでした。
東池袋で起こった事件を下敷きにしたと思われる設定がありましたが、あれは官僚一般に対する世間の偏見を助長する演出ではないでしょうか?
実際に起きた事件をヒントにするのはかまいませんが、もう少し配慮すべきだと感じました。公務員のみなさんは心を痛めているのではないでしょうか。
それと、事情があって収入が少ない人が公営住宅で暮らす権利はすべての人に保証されているはずです。そのことについて息子から尋ねられたヒロインには、あいまいに言葉を濁して済ますのではなく、「税金に支えられて生活していることをとやかく言われても気にする必要はない。堂々と胸を張っていればいい」ぐらい言ってほしかったです。
コロナ禍でつらい思いをしている人たちのこと心に刻むことの大切さは感じられました。もう少し時間をかけて細部を練り上げれば、さらにすばらしい作品になったのではないかと思います。
こんな理不尽な世の中でも生きなきゃです
これは好きだった。涙が流れた。深く感動した。
7年前に理不尽な交通事故で夫を亡くした母・田中良子と中学生の息子・純平をメインに、厳しい環境で生きる人々を描いた。
母が息子にかける言葉に涙した。
自分も親なんだなあと改めて思う。
息子がいれば生きていけるという母、お母さんのことが大好きだという息子。どんなに理不尽な世の中でもこの二人なら大丈夫。これが幸せというものだろう。
これは尾野真千子さんの集大成となる作品ですね。
石井裕也監督にとっても代表作になるかと。
今年の日本映画のベストワン候補だ。
今、このタイミングで映画館で観る意味のある作品だと思う。ずーっと、...
今、このタイミングで映画館で観る意味のある作品だと思う。ずーっと、世の不条理というか、理不尽なことばかり起こる展開だけど、なんだか前向きな力がある良い作品だと思った。今、映画館で観てほしい。
【不条理極まりない世の中、強い愛を抱える女性が”マア、頑張りましょう。”と芝居をしながらも、人としての筋を通しながら生きる姿を描く。現代社会への警句も盛り込んだ石井裕也監督の手腕にも、脱帽した作品。】
ー 今作には、虫けら以下の男が多数、登場する。だが、田中良子(尾野真千子)は、そんな彼らや様々な不条理を抱える世の中を”芝居の上手な”彼女は”マア、頑張りましょう・・”と言う言葉を頻繁に口にしながら、生きていく。激烈なまでに愛した男の13才の息子純平(和田庵)と共に・・。ー
<Caution! 以下、一部内容に触れています。>
◆冒頭、画面の右端に斜めに、”田中良子は芝居が上手だ”と言うテロップが流れ、物語は始まる。
・田中良子が激烈に愛した男(オダギリジョー)は、7年前に元官僚が起こしたブレーキ踏み間違いの事故で、自転車に乗っている最中轢き殺される。
ー その官僚の葬儀に呼ばれてもいないのに訪れた良子の言葉、
”何故、彼は30歳で殺されたのに、殺した相手は天寿を全うして、夫の葬儀とは桁違いの立派な葬儀で送られるのか・・”
”謝罪の言葉を一言も言われていない・・。”
遺族たちの迷惑そうな顔。遺族が雇った弁護士(嶋田久作)は、これ以上関わると警察沙汰にする・・、と良子に警告する。
似たような、事件が近年あったな・・。人を殺した側がいつの間にか、被害者になっている・・。格差社会の歪みも描いているシーンである。ー
・田中良子は貧しい仲、昼はホームセンターで、夜は風俗で働く日々。
ー ホームセンターの若き店長らしき愚かしき男。ルールを守れと頻繁に良子に言いながら、本社から来た上役に指示され、上取引先の娘を入社させるために、30日前通告をせずに解雇を伝えるシーン。ここでも、世に蔓延る不条理が描かれる。ー
・良子が働く風俗に来る虫けら以下の男達の姿、言葉。
・夫のバンド仲間の男(芹澤興人)に、夫の命日にセクハラまがいの事をされても、作り笑いをしてやり過ごす姿。
ー 愛した男の友人だから、我慢したのだろうか・・。ー
・中学時代の恋仲だった愚かしき男クマキに、一時的に惹かれてしまった背景は、キチンと描かれているし、クマキに対しての怒りの理由も・・。
◆だが、彼女の世に対する姿勢は揺れ動きながらも崩れない。
夫を殺した官僚の”謝罪の言葉を伝えない”息子らしき男からの賠償金は
”汚れたお金だから・・”と受け取らず、
亡き夫と愛人との間に生れた非嫡子の子には養育費を払い、
亡き夫の父親の介護施設費用も全て、自分で働いたお金で賄う筋の通った生き方を貫いているからであろう。
何より、愛した男の息子純平には、”芝居をしながら”夫の口癖、”トップのトップを目指せ”と激励しながら、苛めに遭っている息子を守ろうと、学校に乗り込む姿。
・・あれは、モンスターペアレントではない。息子を守るための彼女の筋を通した行動である。・・
そこで、担任から告げられた、純平が全国トップクラスの頭脳を持つ事を知った時の良子の驚きと一拍置いた後の嬉しさを隠しきれない、誇らしげな表情。
”激烈に愛した男との間に出来た自分が全力で守って来た息子は、本好きの父の血を引いた、聡明な子だったのだ!”
<風俗の同僚、哀しき女性ケイ(片山友希)との間に友情が育まれていく過程の描き方。風俗店の怪しげな店長(永瀬正敏)の漢気にも、痺れた作品。
何よりも、良子の母としての息子への全力の無償の愛、世の不条理に屈しない気概と気高さを貧乏ゆすりをしながら維持する姿を、圧倒的な演技で魅せた尾野真千子さんには、敬服する。
勿論、冒頭のテロップの入れ方や、夫をひき殺した官僚の弁護士が、最後良子の弁護側になるという現代社会への皮肉も盛り込んだ脚本を手掛けた石井裕也監督の手腕にも、脱帽した作品である。>
始まってすぐに後悔して 帰りたくなった これは苦手なタイプ 苦しく...
始まってすぐに後悔して
帰りたくなった
これは苦手なタイプ
苦しくて悲しくて
気持ちが重たくなって
涙が出てくる
今に限らず
いつの時代にも
弱者を虐めたり
見下したり
つけ込んでくる輩はいるよ
カフェを再開する夢と
最愛の息子がいなければ
とっくに潰れてしまう
ギリギリのところでもがいてる
養育費も養父の施設費も
そんなに抱え込むのやめようよ
吐きそうになるほど
辛い風俗もやめようよ
思春期に入りたての純平くんが
この先も真っ直ぐに逞しく
成長してくれますように
切実な思い、あの涙の意味を理解する
パンデミック下に嘆かない、投げかける。人が何に生きる意味を見出し生に執着するのか、その深遠を浮き彫りにする心理描写を余す事なく収めた渾身作。ルールに裏切られ理不尽が積み重なる日常に記す“命の家計簿”は、正に現代の闇である「見えざる貧困」ありのままの姿を問いかけた記録だろう。艱難辛苦、その先の沈まぬ夕焼けを目指しペダルを漕ぐ、その横顔に“頑張りましょう”の真意が滲んでいた。
まあ、がんばりましょ。
マスク着用が日常となった昨今。抗いきれぬ不条理という痛みに、ようやく馴れてきた毎日。そんな現実をそのまま切り取った映画だった。ほんと、我慢に耐える人間が損をする世の中だよ。ズルをしてのさばったり、弱い人間にマウントをとってくる奴らは憎らしい。そいつらを庇うつもりはサラサラないけど、そうなっていくのもちょっとわかる。弱さなんだろう。その点、守るものがある人間は、そこで意地を張って踏ん張れるんだろうな。
「まともに生きていたら、死ぬか、気がちがうか、宗教に入るしかないでしょ?」そう割りきって、ケツを捲った人間の強さがここにある。
最近、びっくりするほどの茜色に染まった夕焼けを見ることがある。そう、この映画の空のような。これがこの世の色か!ってほどに見惚れてしまう。これまでだってそんな夕焼けはあったはずだが、その空に気付くようになったのは、自分の中の感情の幅が広がったせいなのだろう。この母子を見つめながら涙がこぼれるのもそのせいだ。
この先この母子が生きていく姿を見届けることはできないが 、たぶん、びっくりするくらいの底力で生きていくんだと思う。そして、いつかまた潰れそうになったら 、その時も励ましあうのだ。精気を得、救われた良子はまたもやこうねだるだろう。「純平、も一回、同じこと言って」と。
田中良子は芝居が得意だ・・・という字幕がでる。 ほどなくして、男性...
田中良子は芝居が得意だ・・・という字幕がでる。
ほどなくして、男性がひとり、交差点で交通事故に遭い、死亡する。
それから7年。
死んだ男性の残された妻・田中良子(尾野真千子)が、元上級官僚の加害者老人の葬式に出席しようとしたところ、遺族から「嫌がらせをするつもりか」と追い返される。
「どうして葬式に行ったのか」と中学生の息子・純平(和田庵)に問われるが、「夫を殺したひとがどんな顔をしていたか忘れないように、最後に顔を観に行った・・・」と答えるが、良子の脚は瘧(おこり)のような震えが止まらない・・・
そして、葬式の帰り道に「香典代 10,000円」という字幕がでる・・・
といったところからはじまる話で、ここまでの冒頭の演出から、社会的弱者である女性のドラマであり、弱者としての根底には貧困があることが示される(ことあるごとに、そこにどれだけの金額がかかったかが示される)。
鑑賞前の予感は、ケン・ローチ的な映画かしらん、といったところだったが、それは半ば的中し、半ば外れていた。
良子の口癖は「ま、(とにかく)、がんばりましょ」である。
彼女は1000円に満たない時給でホームセンターの花売り場で働く傍ら、時給3600円ほどでピンサロで1日6時間働いている。
風俗店で働くというのは、これといった特別な才能や技能を持たない女性たちの最終的な金の稼ぎ方で、底辺といっていいだろう。
職場には、幼い時分から父親から性的虐待を受けてきて、常にインスリン注射が必要な1型糖尿病を患っているケイという若い女性(片山友希)が働いており、良子にとって、「あるところまでは」肚を割って話せる相手だ。
しかしながら、「あるところまでは」という枕詞がつかざるを得ないあたりが、みている方としてもどうにもこうにも、もどかしい。
良子の生きづらさは、夫を亡くしたことだけでなく、ある種の正しさを通そうとしていることにあり、それは、ひとつは事故の加害者から慰謝料を受け取らなかったこと。
加害者側から一言も慰謝の言葉を得ていないのに、慰謝料は受け取れない。
パンクロック(と思われる)で、世間に対して、挑み続けた夫を裏切ることは、やはりできない・・・
もうひとつは、夫が残した「もうひとりの子ども」に対して、養育費を払い続けていること。
もうひとりの子どもは、良子の息子よりも3歳ほど年上で、高校生だと後にわかるが、この年齢関係から考えれば、亡き夫は幼い子どもがいたにも関わらず良子に転心したわけで、ひと昔前に言い方をすれば「略奪婚」。
つまり、後ろめたさ、申し訳なさのようなものが養育費になっているのだろう・・・
と考えていくと、良子の口癖「がんばりましょ」は、「正しく生きていきましょう」なのだろう。
良子は良子なりに「正しく」生きていこうとしているわけだが、それを許さないのは男たちの偏見であり、劇中の台詞「シングルマザーと風俗嬢は簡単にヤれると思っている」に代表される女性蔑視。
とにかく出てくる男どもがろくでもない。
ほとんどが先の台詞のような思考回路で、同性としても唾棄すべき存在。
そんな男たちをやり込めるのが終盤のクライマックスのひとつだけれど、それが溜飲を下げるカタルシスまでに昇華されない。
(ま、昇華されるほど、この世の中は甘くはない、ということなんだけれど)
先に、ケン・ローチ的な映画を期待したが、それは半ば的中し、半ば外れていた、と書いたが、それは、監督の良子に対する距離感で、ローチの初期作品のように突き放すわけでもなく、近作のように共感し抱きしめるわけでもない。
良子に寄り添ったような物語にしたいが、そんな方法は、現在の社会を鑑みると安直で安易である・・・
映画を撮りながらの石井裕也監督のそんな苦悩が映画から溢れているように感じました。
鬼気迫る演技
コロナ禍で示された日本人の悪い部分、日本の闇がすべて詰まっていました。
主人公である一人の主婦・田中良子(尾野真千子)と、その息子(和田庵)と、良子の女友達(片山友希)の3人に、いま日本中で起きている理不尽でひどい事件に似たことが、次々に襲ってきます。
冒頭の「池袋暴走自動車事件」を模したエピソードに始まり、コロナ禍、シングルマザー、DV、親が子をレイプ、非正規雇用不当解雇、新興宗教、不倫、老人介護、風俗・セックスワーカー差別、HPVワクチン未接種、末期癌、いじめ、いたずらの範疇を超えた傷害・放火……
最初の方は「一人の身にあまりに事件が頻発するのが現実感なさすぎる」と思っていたのですが、途中から違うことに気づきました。
短編映画『隔たる世界の2人』と、構造が似ているのかもしれません。
あれは、いろんな手段で殺された複数の黒人の死に方を、一人の黒人がタイプリープで何度も体験する作品でした。
同様に、本作の主人公は一度きりの人生ではあっても、日本中にいるたくさんいる「社会的弱者」そのものが、一人の人間という形に凝縮された存在なのだろうと。
数千、数万の、怒りながらも媚びを売り、惨めな気持ちを胸に秘めて、笑ってやりすごしながら、歯を食いしばって生き、公助の一切もなく自助だけで懸命に踏ん張っているこの国の人々の化身なのでしょう。
人によっては、一種の活動家向けフィルムと思われてしまうかもしれません。
特に、「日本はすごい」「日本は幸せな国だ」って幻想の中で暮らしたい欲求が強く、長いもの(体制側)巻かれたい人~ネトウヨやレイシストには、「日本を貶めるとはとんでもない奴だ」と嫌悪感を抱かれ、この映画を否定すると思います。
『万引き家族』『新聞記者』へクレームを入れていたような人々ですね。
もしくは、映画にエンタメしか求めない人には、ドラマ性が薄く、メッセージ性が強すぎてつまらない映画にしか思えないかもしれません。
でも、私は尾野さんの魂込めた、いや鬼気迫る演技に引き込まれました。
涙や怒りをため込んで貧乏ゆすりをしながら、気丈に笑う姿に衝撃を受けました。
真っ暗になる直前の時間帯、逢魔ヶ刻の茜色の夕暮れに、まるで地獄の劫火に焼かれて瀕死の姿に見えながらも、笑った顔のまま涙を流し「頑張ろう」という姿。
戦争で何もかも失っても立ち上がった、朝ドラ『カーネーション』での尾野さんにも重なりました。
彼女の姿に、日本はこのまま様々な問題を放置して、弱者を見殺しにし、夜を迎えていいのであろうか、と考えさせられました。
社会派ぶってるけど作家の視点はどこにもない、語る価値もない映画
尾野真千子さんが舞台挨拶で泣いて映画愛を訴えたという話題を聞いて、プレスリリースを見る限り東池袋自動車暴走死傷事故やコロナ禍のことまで描いている社会派な作品に思えましたので鑑賞しました。
しかし、結論から言うと社会派ぶってるけど作家の視点はどこにもない、語る価値もない映画でした。
出てくる社会問題は東池袋自動車暴走死傷事故やコロナ禍だけではないんです。
シングルマザー家庭の貧困
中学校のいじめ
老人介護
正規雇用者から非正規雇用者へのパワハラ
風俗で働く女性の問題
子どもの貧困と教育格差
1型糖尿病
実父による娘への性暴力
DV
堕胎
子宮頚がん(日本でワクチン接種が進まない問題)
若者の自殺などなど
ストーリーは社会問題の幕の内弁当状態ですが、いずれも作者がストーリーを都合良く展開させるための道具でしかなく、わざわざそれを取り上げたことに対する作者の視点は、どの社会問題に対しても一切ありませんでした。
何も考えずに観られてただ面白かった、で終わりのバカリズム作品や福田雄一作品ならこんな野暮なことはいいません。
しかし、被害者もいれば加害者もいる、簡単に解決できないけど今日も誰かが泣いて暮らしているような社会問題をただの娯楽でしか無い映画に引用するのであれば、そこに作者の視点を明示するのが最低限のマナーだし、作家の矜持だと思います。それこそが表現の自由ですよ。
誰もが心に思っている事柄を、再認識させ共感させる。
誰もが知りながら心で見過ごしている事柄を、改めて再認識し実感させる。
人に知られていない事柄を書き表して、そこに意味を発見し光を当てる。
これだけの社会問題を引用しておいて、それらに対しての作家の視点が一切感じられない。
そして、最終的な終わり方が「子宮頚がんを苦にして自殺した子から運よく大金もらえたから、貧困母子家庭でも、なんとか生き延びられます。ハッピー」じゃねぇだろと。
シングルマザー家庭の貧困を舐めてんのか。
正直、この映画監督の薄っぺらさがたまらなく気持ち悪い映画だなと思いました。
他にも、ご都合でキャラとキャラが何度も偶然出会ったり、所々セリフが冗長だったり、ただの説明台詞だったり、テロップやナレーションまで用いて説明過多だったり、片田舎の話と思いきや自転車で渋谷まで行けたり、尾野真千子が死んだ旦那のことを今でも想っているのかと思いきやポッと出のモブキャラを好きになったりと、自主映画みたいにレベルが低い箇所が散見されていました。
上映時間がとにかく長いですけど、もっと描きたいものに焦点を絞れば、編集の精度をあげれば120分には収まったと思います。
まぁ、監督が何が描きたいとか整理できていないから社会問題の幕ノ内弁当状態だったんでしょうけど。ラストシーンもおもくそ蛇足でたまげました。その前で終われるし、終わらない神経を疑います。
この映画はまさに一般peopleの日常である。
不条理を受け入れ、耐えるしか他なく、嫌なら死ぬしかない現代日本の縮図を本作に見ました。
生きれば生きるほど悲しみ、苦しみ、涙が蓄積されていく。
頑張りましょうのフレーズは単なる掛け声なんかじゃなく、何とか生き続けるための結界を保つのに必要な魂の叫びなんじゃないかと思えます。
生きるってのは楽じゃない。けど、生きちゃってるんだもん
いやーなかなかな重っ苦しい現代社会を映し出したような作品ですね。
今の日本の悪いところ洗いざらい出しました!て感じです笑
他の映画で言ってたセリフですが、私たちはルールや法律に守られてるんじゃない、縛られてるんだ。というように、ある意味ではルールは悪用される。そこを利用する人たちのまー胸糞悪いこと^^;
でも、人生、わるいことばかりじゃないよ?と、何かしら遠回りに伝えてくれてる…気がする映画でした。
なんでしょうねー嫌な場面ばかり見てるはずなのに観終わった後には何かしらほんわかした気分になれるのは…不思議な映画だ!
とりあえず、ケイちゃん役の子、素晴らしい!
今後に注目したい役者さんですね!
エンドロールの尾野真千子の文字に涙
コロナ時代に現実に起こっていることをテーマにした斬新さは満点5点。
こんなことある?ってくらい、これでもか!と試練と不幸の連続。
どれも中途半端で消化不良と言うレビューがあったが、あえてその先の未来は視聴者に委ねてるのかもと、公開初日から数日経って思えるようになった。シリアスな中に息子目線のユーモアもあって、苦しくも救われ、スッキリした気分になる。映画で色々考えさせられるってあまりなかったので、何日もたってもこの映画の事が頭から離れない。
尾野真千子は本当に力のあるすごい役者。
くたびれた主婦にも、人を騙す妖艶な人にも、高貴な品のある人にもなれる稀有な女優さん。
今回は特にこんな難しい役を、静も動も使い分け、力強い演技を魅せてもらった。
彼女なしでは、この作品はない。他の人では出来ない。(嘘っぽくなりそう)
エンドロールの大きな尾野真千子の文字を見て、
「この文字に負けてない。当然。」
と思ったのは私だけではないだろう。
題名は何を意味するのかな
茜色は沈んだ赤色で、夕暮れ時の空の形容などに良く用いる、とあります。
この作品の中では、終盤の親子関係の確認の場面を指すのでしょうか。
立場の弱い人を見下し利用しようとするクズの人間だらけの中で、信頼しあう親子関係の描写はちょっとした安堵感と心地よさをもたらします。
ただ、率直に言って、主人公の行動様式が理解できませんでした。
自分達親子の生活を犠牲にして、義父はもとより愛人の子供の世話をする・・・
あと、「まあ、頑張りましょ」と主人公は口癖のように繰り返すのですが、上級国民が決めたルールを守りながら頑張ったとしても、虐げられる立場から抜け出すことはできないのになあ、と思ったのは自分だけでしょうか。
○○の喪主を務めた鬼畜の父親に対し、何かアクションがほしかった。
放火した△△に対して、何かアクションがほしかった。
感じ方は人それぞれとは思いますが、親子関係の描写を除いて、作品は決して心地よいものではありませんでした。
コロナ禍の中で作品を作るのは大変苦労したと聞きますので評価はちょっと甘目です。
尾野真千子さんの女優魂✨
迷いながらも信念を持って生きるシングルマザー良子を演じた尾野真千子さんの感情豊かな演技にラスト迄魅せられました。
風俗店店長を演じた永瀬正敏さんの、チラリと覗かせる優しい眼差しがいい。
健気に懸命に生きる風俗店同僚のケイを演じた片山友希さんの演技も素晴らしい。良子に投げ掛けた言葉に心が揺さぶられました。良子と二人心を寄せ合う姿が涙を誘います。
母親の庇護の元、何となく日々を生きてきた中学生の一人息子純平(和田庵さん)が、自分なりに考え行動していく姿に胸が熱くなりました。
懸命に生きる彼女達に対する周囲の心ない言葉の数々や態度に、とてもやるせない気持ちになりましたが、ラストで純平が母に向けた言葉に希望を感じ、温かな気持ちになれました。
尾野真千子さん、そして片山友希さんの渾身の演技を是非映画館で。
映画館にて鑑賞
コロナ禍の今と正面から向き合った意欲作
池袋で起きた交通事故なども連想させつつ
コロナ禍の今を描いた意欲作。
飲食店倒産、シングルマザー、風俗…次々と襲いかかる理不尽に対してし強く生きる良子を尾野真千子が体を張って熱演。
弁護士の態度や息子の先輩からのイジメなど多少過剰と感じる部分もあるけど、実際は自分が想像するより世の中は不条理で溢れているのも事実。
作品の中で一番刺さった言葉は
ピンサロ店長中村を演じた永瀬正敏の言葉。
「どうしてそんなに苦しい思いをしてまで生きるのか」
本当にそう思う。今の日本は生きる希望を次々に奪う。このコロナ禍で大した補償もなく休業要請や自粛により倒産や廃業、失業した人は今をどう感じているのか?
繰り返される緊急事態宣言。コロナ対応で疲弊する医療現場や保健所。先進国でも圧倒的に遅いワクチン対応。そんな中、五輪開催に拘泥する政府と東京都。困窮している人達にとっての五輪開催の意義とは?
そんな中、歯を食いしばって愚痴ることなく前向きに強く生きる良子の姿はそっと背中を押してくれます。
そして同じピンサロで働くケイちゃんの最後の行動はとても素敵でした。共感してもらえないかもですが。
息子純平くんの存在がこの作品最大の希望。とても秀才なので良子さんの未来は朝日のように眩しく輝き出すと確信してます。
悔し涙が……
心がきゅっと締め付けられるようなお話しだったけど、こんな時期だからこそ、劇場で観れてよかった映画。
映画を観て、悔し涙を流すのは初めてだったかもしれない。不条理な世の中で、生きる目的、生きる術を模索する親子に、然るべき報いがありますように。
万人におすすめというわけではないけれど、
観てよかったと心から思います。
(こういう世界を知らずに育った人にとっては、
ちょっと衝撃的かもしれないけど…。)
明日からまた、頑張りましょ。
池袋暴走事件を彷彿とさせるやつ
尾野真知子はクソみたいな人間達の中で息子という一筋の希望のために必死に生きている役だった。
人間なんてみんなクズだが、そゆなクズの中でも救いようないクズしかいない世界線。
唯一マトモなのは働いている風俗店の同僚と店長という皮肉
観てて心がしんどくなってしまう作品だが最後は一応スカッとジャパンだった。
オリジナル脚本だからこそ時代を切り取った、稀有な作品
人として当然の道理を、権威や経済力や腕力から遠い「弱者」が求めた時、いかに無残な扱いを受けるのか。
道理を曲げて人生を捨てることは自分を殺し、愛した人を2度殺すこと。
苦しながら生き続けることの意味とは?
聖母誕生の物語。聖母が現れる時とは、いくたの悲劇が繰り返される時代。
そこに響き渡る雄叫び(雌叫び?)はあまりにも人間臭く、胸の奥に届く。
それにしても、出てくる男がことごとく情けない。男どもよ、‘しゃんとせい‘とカツを入れられたような。
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