茜色に焼かれるのレビュー・感想・評価
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・開始2分くらいで事故死してしまうオダギリジョーの扱いが酷い。 ・...
・開始2分くらいで事故死してしまうオダギリジョーの扱いが酷い。
・そのオダギリジョーの妻と愛人に下心丸出しで迫るバンド仲間が気持ち悪い。
・尾野真千子の中学の同級生の男、妻と子どもがいたことを黙っていたとはいえ、ぼこぼこにやられてヤクザに売り飛ばされるほど悪いことをしただろうか?
見ず知らずの片山友希にいきなり殴り蹴られて、「誰だよ?」ってなっているのが笑えた。
・息子をいじめ、放火までした悪ガキどもが結局最後までお咎めなしというのはすっきりしない。
・一人劇「神様」はとんだ茶番。
作品に出てきたキーワードが散りばめられているけれども、何のためにあのシーンを入れたのかさっぱり分からない。
石井裕也イズムにあふれた人生賛歌
ようやく観られた。いつものことながら、タイトルやあらすじだけでは到底判断できない、意外な展開に巻き込まれる。
単純なドラマではない。ベタなメロドラマでもお泣かせ作品でも、もちろんない。
登場人物の肩書きや状況だけを一瞥すれば、それらはとてもシリアスなものなのに、なぜか作品からは一貫してあたたかさが感じられる。
主人公の良子がつぶやく「私にもわからない」という言葉。この言葉の重みを感じた。生きていくということは、つまりそういうことなのだろう。
これが映画であり、人生の縮図。石井裕也イズムにあふれた、異色の人生讃歌だ。
弱者に寄り添うふりをして、本当に寄り添っているの?
旦那が交通事故で死んで、母子家庭になった。
加害者が謝りもしないので、慰謝料を受け取らなかった。母子家庭なのに。
旦那の婚外子の養育費を、払う義務もないのに払い続けている。母子家庭なのに。
旦那の父親の介護施設入所費用を払い続けている。女の平均給与は男の75%しかないのに。
だから、ダブルワークで、風俗の仕事も行っている。
旦那が社会に異議申し立てをするロックバンドをやっていたから、その妻として、公的な救済に頼ることなく自助努力だけで生活している。自分の意志で。
でも、それって、おかしいでしょう。
異議申し立てをする人間は、公的な救済に頼ってはいけないのか。逆を言えば、公的な救済を頼るためには、社会にものを言ってはいけないのか。
「お前のかあちゃん風俗なのに、公営住宅に住みやがって」家賃が安い公営住宅には、風俗嬢のようなアウトサイダーは住んではいけないのか。社会に、いや正確に言えば、政治にNoと言う人間は、公営住宅に住み公的援助を受ける生活が認められないのか。
認められるに決まってるでしょう。税金払って、社会的な義務を果たしている限り、そこからの恩恵を受ける権利がある。というか義務が果たせない事情があるなら果たさなくても、恩恵は受けられるのが筋でしょう。
誰しもが、義務を果たしながら権利を享受して、なおかつ、よりよい社会を作り上げるために、社会・政治に意見を表明していく。それが、社会人としてのあるべき姿。
でも、ここに描かれた世界はちょっと違う。「結果は自己責任。それでも、何がしの救済を受けるなら、黙れ!」そんな社会(新自由主義という考えが理想とする社会です)を声高に肯定するつくりにはなっていないけれど、それを受け入れる主人公を描くことは、そういう社会を認める映画になってしまっている。それが意図的なのか、現実を描いた結果に過ぎないのか、どうでしょうか。
映画の構造を端的にまとめると、主人公は前半、がまんしてがまんして。終盤に、怒りを爆発させ、最後に親子でほんわかムード。だから見る者も、前半ストレスをためて、終盤、溜飲を下げて、最後はあったかい気持ちで「ま、いろいろあるけど頑張りましょ」って、理不尽な社会を受け入れていく。いや、受け入れてはいけない、っしょ。
家のかみさんは、「最近の邦画、安易に女優を脱がせすぎ」と怒ってます。「女は最後、体を売ればいいから」ってセリフ、邦画では地で行ってますよね。
融合なき分断
世の不条理を受け入れて淡々と闘うヒロインが、関わる人々に触発されて感情を爆発させる。分断される彼女が分断する側にまわる事が物語に深みを与えている。中庸を行くって難しいなぁ。
尾野真千子さんの根なし草感が、茜色に焼かれるヒロインを体現している。
薄笑いはやめよう。
お金に殺され、お金に生かされ。
構成や演出は面白かったです。やや無駄なシーンも多く、長く感じられるけど、良い映画でした。
出てくるやつはロクでもないやつばかりで、これでもかと暗く重い内容を、主人公自身の捉え方で悲劇になり過ぎず、それらの出来事を被害者ぶらない姿勢が、全体のトーンを支えてた感じです。
最後がやや散らかってるので、戸惑いますが、母ちゃんは何がしたいのか?的で笑えます。
長さ重さに耐えれるなら、おススメです。
一つ気になったのは、92歳が天寿を全うした。と言う文言。1歳未満で亡くなったとしても、その命は燃えている。長生きが全てじゃないし、幾つまで生きたかじゃない。どう生きるか。全ての命は懸命に生きてるのだと思う。
個人的な意見としては、あのこども達を放火で捕まえて欲しかったゎ。
救われない、が。
池袋の例の事故を思い出した。絶対あれモデルだろ。まぁあっちは最後には認めて謝罪したけど。ほんと、いつ死んでもおかしくないくらい追い詰められ、怒るべき相手に怒れず、それはそれは限界だったでしょう。でもその怒りをやっとぶつけられた時、気づいたら共感してくれる人たちがいた。その人達と、何よりも息子がいたから、生きれた。最後に少しだけ救われた。息子の未来に期待。
尾野真千子の熱演光る佳作
コロナ禍の世界になって約2年となるが、「コロナ禍の中で生活する人々を描いた映画」として記憶されるような作品だった。
まさに、コロナ禍の現代、観るべき映画にみえた。
ロケ地(渋谷など)で映る一般人を含めて出演者たちもマスクをしたり、手を消毒したりするシーンなどが、普通に切り取られている。特に、「マスクしている時の目線」を描いたシーンでは映像の下端にマスクらしきものが映っているのは斬新な演出。
石井裕也監督作品だが、やはり尾野真千子の熱演が光る。
高齢男性が運転する車が自転車に乗る男(オダギリジョー)を轢いてしまって、自転車の男は死亡。車を運転していたのは高齢男性で元高級官僚であり逮捕もされない……というのは池袋交通事故を想起させる。
交通事故から[七年後]から、夫を亡くした妻の良子(尾野真千子)と中学生の息子、良子の花屋パート先~風俗店の店長(永瀬正敏)や若い同僚(片山友季)、良子の学生時代の男友達などとのドラマが紡がれていく…。
物語の詳細は割愛するが、渋谷センター街でロケしたかと思えば、荒川の土手(戸田市側)でのロケなどが印象的。
尾野真千子が何回か言う「まぁ、頑張りましょう…」という言葉に背中を押される感じがする見事な映画であった。
<映倫No.122561>
コロナ禍の夕焼け空を駆け抜ける 再送信
前のアカウントが分からなくなったので履歴管理のため再レビュー。
1 不慮の事故で夫を亡くし、シングルマザーとなった女性の生き様を現代社会の実相を散りばめながら描いた人間ドラマ。
2 映画の前半は、事故から7年後の主人公と息子の苦しい日常生活を映す。主人公はバイトの掛け持ちで、夜は風俗嬢。見てて気が滅入ってくる。主人公は心が病んでいて、頑張れるわけないのに「まあ、がんばりましょう。」との口癖。無意識のうちに素の自分と演技している自分が入れ替わっている。息子も学校で執拗ないじめにあい、内面が悲鳴を挙げている。いじめた彼らは、悪意ある世間の目や言葉、実力行使を具現化したもの。 映画の中盤では、中学生の息子の役どころが俄然息づく。主人公の同僚とのエピソードでは抑えきれないほどの衝動を見せ、母の軽はずみな色恋沙汰の幕引きでは若さと知恵が躍動する。主人公も内面に溜まった澱を吐き出すように言葉と体が爆発する。
3 主人公の夢はコロナ禍で破綻したカフェ経営の再開と息子の成功を祈ること。ラストシーンにかけて、この親子が夕焼けの川べりを幸せそうに自転車で駆けていく。とても心温まる場面であるが、彼らの生活が好転する要素が見当たらないことが引っかかる。どうかこの場面は、明日の希望につながることの暗示であって、決して主人公の脳内で膨らんだ単なる妄想でないことを祈る。
4 風俗の場面では、底抜けな欲望を誇張した描写はやり過ぎ。また映画の所々で世間の耳目を集めたスキャンダラスな出来事を取り入れていてあざとい。石井の演出はオ−ソドックスな映画づくりからはみ出ている。しかし、近年の邦画は漫画や原作を映画化した口当たりが良いだけのやわなものが増えている中で、ヤンチャでもオリジナル脚本で演出まで行った企みは良しとしたい。
茜色の「頑張って」
映画監督で38歳と言ったら、まだまだ若手かデビューしたばかりの新人が多い。
が、この監督はその枠には納まらない。
作品を発表する度に、石井裕也は巨匠化していく。
そう感じずにはいられなかった力作であった。
公営団地でひっそりと暮らす母とその息子。
母は元劇女優の田中良子、息子は中学生の純平。
この母子を襲う社会の不条理さは、見ていて憤りが沸いてくる。
7年前、交通事故で夫を亡くした。
加害者はアルツハイマー症状の老人で、元官僚。
アルツハイマー故罪には問われず、それどころか加害者本人や家族から“直接”謝罪の言葉はナシ。事務的にお金で解決。
若い母親と幼い娘を轢き殺し、「私に過失は無い」と言い放った上流層ジジイのあの事件を彷彿させる…。
賠償金は受け取らず。施設に入っている義父の面倒も見ている。
加害者が老衰で亡くなり、葬儀へ顔を出す。
遺族は嫌味か脅迫紛い行為とおかんむり。弁護士を立て、厳重警告。
その弁護士も情けナシの言葉を浴びせる。
夫を失ったのはこっち。なのに、まるでこっちが加害者のような扱い。
コロナにより経営していたカフェが破綻。生活や一人息子を育てる為に、昼は花屋で、夜は風俗で働く。
花屋では店長から仕事ぶりを評価されていたが、店長が会社からあれこれ注意され、腹いせの捌け口に。コネ雇用の新人と入れ替わりにクビの対象にも。
風俗では若くない事を理由に客からチクチク文句を言われる。見下され、蔑まされ…。
母親が風俗で働いている事が知られ、純平は学校でいじめに。
…いや、いじめならまだ優しい。同級生らが終盤犯した行為は完全に犯罪だ。
その騒動の原因も母子のせいになる。
本当に見ていて、辛い。苦しい。しんどい。悲しい。
この母子が社会に対して何をした? 悪口を言い、犯罪でも犯したというのか…?
否! 寧ろ、事故の“被害者”であり社会の“弱者”だ。
母子共々それを充分承知している。
歯を食い縛りながら生きている。
こんな境遇にあっても。
母・良子は一見穏やかな性格だ。
加害者遺族にどんなに邪険にされ、弁護士から情けナシの言葉を浴びせられても、泣き喚き怒りを露にする事は無い。折れそうな心を、自分を保って。
仕事は誠実。花屋では真面目に黙々と、風俗では客から見下されても奉仕する。
平常心を保っているかのように見える。
彼女は元劇女優。感情を抑え隠し、“演じている”のか…?
不満、怒り、悲しみを見せないようにしているのか…?
良子も血が通い、感情豊かな女性だ。
その心の中では、拭い切れぬ悲しみを抱え、不満/怒りは今にも爆発寸前。
ある時、遂に心の内や感情をぶちまける。
彼女がずっと背負い続けている不満、怒り、悲しみ…。
その叫びに、私の心も打たれた。
人生の中で、苦しみ、悲しみ、恵まれぬ経験をした者ならば、誰だって打たれる筈だ。
今を生きる我々皆の代弁。
それを体現した尾野真千子のキャリアベストの熱演。
4年ぶりとなる単独主演作。ここ最近、比較的助演が多かった彼女。勿論素晴らしい脇固めを魅せてくれていたが、彼女は間違いなく、堂々と主演を張れる名女優だと改めて確信した。
喜怒哀楽を巧みに演じ分け、深みも感じさせる。
ラストシーンの“芝居”は圧巻であった。
尾野真千子の新たな代表作と名演を無視する輩は居ないだろう。
…いや、居た。またしても日本クソデミーは完全無視。ホント、おかしいよッ! バカじゃねぇの!?
社会から疎外され、誰の助けも得られず、声すら届かず、孤独。
しかし、そんな身でも心を通わせ、寄り添い合う者たちもいる。
息子の純平。時々母親の考えを理解出来ない事もあるが、母一人自分一人の二人三脚。
彼も彼で母親同様、不満、怒り、悲しみを抱えている。
それでも母親と同じく、愚かな言動を犯さない。
それだけで純平少年の人間像が分かる。
この母親にしてこの息子あり。息子は母の姿を見て育つ。
良子の風俗の同僚、若い女性のケイ。
彼女も客から見下され、仕事に不満を抱いている。
私たちって、底辺も底辺、下の下の人間。
実の父親からは…。
ある時妊娠が発覚し、相手の男に打ち明けるも…。
社会や周囲の男たちの、彼女に対する仕打ちや境遇はあまりにも酷い。
そんな彼女と良子の間に育まれる交流、支え合いは、こんな世の中に於いてただ唯一の力となる。
だが、彼女をさらにある病が…。
和田庵と片山友希、若手二人が存在感を発揮。体現している。
彼ら二人の物語でもあるのだ。
かつての同級生と再会し、交際がスタート。良子は風俗で働いていた事を告げると…。
亡き夫には愛人がおり、隠し子も。良子はそれを認知し、養育費を出している。
良子はさらに解雇、純平へのいじめは激化しボヤ騒ぎ、ケイは中絶…。
彼らに救済の手は無いのか…?
こんな世の中、誰も助けてはくれない。
自分から助けを乞わない。
こんな境遇でも、どんなに苦しみ、悲しみ、喘ぎもがこうとも、決して失わず、曲げないものがある。
自分自身。
その生き方、信念。
力強く、逞しさを持って。
2020年、コロナにより映画製作すら危ぶまれる中、どうしても本作を撮りたかったという監督。
コロナに真っ正面から挑み、コロナによる息苦しさ、社会への不条理を訴えてくれた。
ただ辛く、苦しく、悲しいだけの作品ではなかった。
生きて、生きて、生き続ければ、その先にある希望。
高らかな人間讃歌、母と息子の深い親子愛。
あの茜色の空。
茜色は燃えたぎる不屈の精神の母・良子の形容だとか。それと同時に、穏やかな優しさも感じた。
我々とこれからの人生へ、「頑張って」と優しく包み抱き締めてくれた。
常に生きる理由を問われる
石井監督作の独特の台詞回しの感じが少々苦手ですが、登場人物以外の存在がふっと消える映画的な演出なんか好みでした。あの弁護士の胸糞悪いこと。。見てて貧乏ゆすりが止まりませんでした。
生きる理由なんてわかりますか?からの一筋見えた生きる唯一無二の理由 そのためにまあがんばりましょう
雑な描き方もあるが
テーマはよかったし尾野真千子もよかった。ただ加害者側が全員不自然で滑稽なのはなんでだろう。「加害者だから何をやってもいいわけではない」と言う鶴見辰吾から始まっているその違和感。なぜかええ感じの頼れる兄貴みたいにいつのまにか立っている永瀬正敏も都合良すぎる。都合の良い男感はあの不自然でしかないかたちで再会するスケコマシ同級生を優に上回ってる!
ベストシーンは息子の床シコリと前田亜紀に迫ろうとするあの気持ち悪いおっさんの身体寄せシーン。いやあヘンリー塚本のポルノはじまんのかとハラハラしましたね。
尾野真千子の最後のわけわからん演技は全く凄みがなく「昔はすごかった」てアレかよ!と思わざるを得ないが、それを息子が顔芸で表現していてよほどあの子の方が出来がいい。
尾野真千子は何やっても生真面目で少し頭が悪い感じの女性にみえるのでカーネションて感じが抜けませんが、笑って黙ってる前半の時はまさに、般若て感じで最初だけ迫力ありましたね。怒ると駄々こねてるようにみえて迫力が剥落してしまう。
生い立ちが不幸で、今も不幸で、最終的には報われず理解者にお金を残し...
生い立ちが不幸で、今も不幸で、最終的には報われず理解者にお金を残し死んだケイちゃんの人生がある種美談として消費されるのがつらかった
あと熊木くんのヤクザに処理され方がファンタジーだった。オレオレ詐欺の出し子って…こんなに人の感情に繊細な主人公が、オレオレ詐欺の被害に遭う人の不遇を想像しないんだろうか…
もうええわ
ほんとうにつまらない映画だった。
大変な時間の無駄でした。
途中からげんなりして、「もうええわ」と、よほど退場しようかと思った。わりと観客が入っていたこともあり、ほかの人に遠慮して最後まで観ることになったけれど、やっぱり途中で席を立ったほうがよかったようです。
現代に生きる庶民なら多かれ少なかれ、社会の理不尽さを感じ、様々な苦労を味わっているはずです。
映画は日頃の憂さを晴らし、夢の世界に遊ぶものではないのか? 現実生活で嫌な思いをし、映画でもまた不愉快な思いをしなければならないのか? 何故お金を払ってまでこんな気分の悪いことに付き合わされなければならないのか? などと、そんな思いが頭に浮かび、ため息を連発しながらスクリーンを眺めていました。
いや、いくら不幸や苦労や奮闘を描いていても、感動的であればかまわないのですよ。でも僕は全然感動しなかった。感動もしなければ、「よく出来たストーリーだな」と感心もしなかった。不幸を寄せ集めたスクラップ・ブックを、ただダラダラと見せられるようで心底うんざりした。
たしかに尾野まっちゃんの演技は相変わらず素晴らしかった。そこは文句なしです。けれど、ストーリーには、まったく感動しなかった。僕には、この映画のどこが良いのかさっぱりわかりません。監督の思いつきで作った不幸話をつなぎ合わせただけのような、お粗末なこの物語に、僕の心の琴線は1ミリたりとも震えなかった。
ストーリー展開の上で文句を言いたいところも多いので書いておきます。
一番「?」と疑問に思ったのは、終盤、紅い服を着た良子が包丁を持って復讐に行く場面。てっきり公営住宅の自宅を放火した生徒たちのところに行くのだと思ったら、あれあれ、あの同級生の男(熊木)のところへ行くのんかい? あの男を殴る前に、その怒りの矛先を、まず放火した生徒たちに向けるのが普通ではないのか。だいいち、良子も計算した上であの男に近づいたのではないか。そこに風俗店のマネージャーも加勢して……。自分だって女を食い物にしているのに、よく正義の味方ヅラしてそんなことできるなぁ。同級生もえらい災難だ。それから、自宅が火災にあった責任のすべては放火した生徒たちにあるはずで、どう考えても公営住宅の管理者側が良子たちを退去させたりはできないはずである。
順番が多少前後するかもしれないけれど、平気な顔して親子で盗難自転車に乗ってるところも大いに気になった。なんかなぁ~。それでええのんか?
前半に出てくる「まあ頑張りましょ」というセリフも、何度も繰り返されるとわざとらしくて、「さむっ!」と思わず体を震わせました。
あと、このような作品によって、自動車事故の加害者家族の印象が操作され、当事者たちが苦しめられることにならないか。このような作品が、公的扶助を本当に必要としている人々をさらに躊躇させることにならないか、現在公的扶助を受けている人々に対する偏見を助長させたりしないか……そういった点もちょっと気になりました。
上映後ほどなくして、「いやいや、これは、おれの大嫌いな『湯を沸かすほどの熱い愛』とテイストが似ているぞ」とイヤな予感がしたのですが、その予感が見事に的中してしまいました。ひょっとして、これは『湯を沸かすほどの――』の続編なのかと想像してしまった。銭湯を営むオダギリジョーが、失踪していたその間に、良子と不倫関係になり、純平が生まれ、その後、交通事故に遭ったのではないか――と。そうやって、この映画を観ても全然違和感ないですよ😆
そうか、どうやらオダギリ ジョーは僕にとって鬼門らしい。今後、オダギリ ジョーが出ている映画は観ないでおこう。「熱い」とか「焼かれる」とかいうタイトルにもじゅうぶん注意しよう。この手の「熱血かあちゃん、親子もの」は、もうほんまに勘弁してほしいわ。
そんなわけで、「ただただ、ため息ばかり」という映画でした。
尾野真千子のファンなだけに、残念であった。
いろんな舞台装置を愚弄する様に使う罪❓‼️
最初、交通事故被害を真面目に取り扱っていると好意的に解釈していた、自分自身が高齢者のプリウスの無謀運転で死にかけたから。
展開を追うごとに、風俗嬢や病人の扱いがデフォルメされていて、過剰に差別されていると意図的に残酷さを演出してることに気づく。
ああ、この監督や製作者が偏見の塊であることに気づく、例えば、税金、公営住宅の下りが、特にムカつく。
ああ、アーチストにはサラリーマンの心情は死ぬまでわかるまい。
ただ、少年と糖尿病の風俗嬢は、素晴らしい演技でした。
余談ですが、少年が自転車を漕ぐ時、車に轢かれるんじゃないかと、心配して、ヒヤヒヤしました。
2021年日本映画ベストワン作品
2021年に公開された日本映画の中でベストワンの作品。5万円払っても惜しく無い大傑作。高齢者ドライバー事故、上級国民問題、コロナ禍の女性の貧困、介護、シングルマザー、いじめ。様々な今の日本を照らす奇跡の作品。尾野真知子には今後5年分のアカデミー賞主演女優賞を全て差し上げたい。4回、劇場で観ました。素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい。石井裕也監督はじめ、スタッフの全員にスタンディングオベーションを送りたい。
生きる
生きていれば
多かれ少なかれ
理不尽なことには出くわす。
納得いかないことが
度重なることもある。
良子さん達のように
その連続の人生になる可能性は誰しもある。
それでも生きていこうとする良子さんの原動力は
息子や夫への強い愛と
自分の夢に対する
小さな灯りのような希望を持ち続けたから。
自分にとっての神様を見つけようと
それを、守ろうとして人は生きていく。
茜色で生焼け
時々こうなる。期待値が高すぎて見ている間にだんだんテンションが下がっていく。これは自分の問題なのか。尾野真千子も息子も同僚もみんないいが、イジメ野郎たちがいじめる相手はこういうやつなのか?いじめ方が子供すぎないか?永瀬正敏は無関心な風俗店長だったのが途中からヤクザを名乗って人助けもするヒーローになり、最後はカメラマンまでやっている。そんなこんなで2点しかあげられなくなってしまった。
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