三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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良い役者が揃っているので、演技は素晴らしかったです。 ただ、作品の...
良い役者が揃っているので、演技は素晴らしかったです。
ただ、作品の内容がサスペンスなのに、むしろ現在の社会的意見に近くサスペンスみたいに真相を暴く事は無かったです。
なので、かれを見る際には、サスペンスとは見ずに社会論って考えて見た方が良いと思います。
あと、最後の最後にモヤモヤして終わります。
三度目って
役所広司が死刑になる事で自分を殺めたので三度目って解釈したのだけれど、後からもしかしたらって思った。
それは、広瀬すずをかばったことで実際には殺してないけど真犯人とゆう存在をこの世から抹殺したってゆう殺人。それが三度目なんじゃないかって解釈。
最後に役所広司が言っていた《器》って、物を受け入れない器は無い、つまり自分が死刑になることで広瀬すずを受け止める器になったって事なんだろうな、と。
考えれば考えるほど、唸る…。
こんなに深い話しなのに残念なことが、福山雅治が棒読みすぎる&斉藤由貴のスキャンダル。役所広司や広瀬すずや満島慎之助がすばらしいだけに、二人が目立って残念でした。
私の器が小さいからかな💦
不言
この物語で起きた事件の真相は誰にもわからない。フィクションの中での出来事だから、誰にも追求することは出来ない。強いて言うなら、是枝監督の頭の中には存在するのかもしれないが、監督がそれを口にすることは決してないだろう。
真実が語られないまま終わる。結局の誰の言葉のどこまでが本当のことで、どれが嘘だったのかもわからない。考察しようと思えば幾つかの可能性は挙げられるだろうが、そのどれも「そうかもしれない」の枠を出ない。
サスペンスというのは、最後に全てが明らかになるから面白い。これは当たり前だ。相棒にしてもコナンにしても、いつも数式みたいな脚本だと思いながら見ていたが、この作品はその裏をかいた魅力がある。何もわからないまま犯人が死刑になって終わる話。こんな終わり方をされると、逆に真実が気になって仕方がない。結局、なんで社長は殺されたのか。ついでに言えば、会社の食品偽装がどうとかいう問題も、その後どうなったのかは語られない。すべては想像の域を出ない。
正直、こういう作品こそ評価されるべきだと思う。「1+1=2」なのは誰でもわかる。では、「1+A=」だと何なのか。面白く作られたものだから面白い、というのでは当然すぎて、見る前からもう面白いということがわかりきっている。
今回、これといった情報も無しに観に行ったから、まぁ最終的には色々と明らかになるのだろうと思っていたら、本当に何もわからないまま終わった。こんな作品はなかなか無いと思う。外国で高く評価されたのだとしたら、素晴らしいことだと思う。
最後に。このレビューの「印象」のところ。この12項目しかないと、この映画の場合「知的」と、あと強いて言えば「難しい」ぐらいしかチェックを入れられるものがない。人によっては「怖い」とか、あと「寝られる」にも入れそうだが。「暗い」とか「重い」とか「モヤモヤする」とか、そういう項目もあって然るべきではないだろうか。
深い愛情と不器用さ、そして成長していく福山さん
無機質な感情しかないが、器用で知的なために社会的には成功している福山さんと、
深い愛情があるが、不器用で突発的な行動をとってしまう役所さんの対比、
そして、そんな役所さんを弁護していくなかで、福山さんが成長していく姿が印象的でした。
また、映画のタイトルである「三度目の殺人」。
タイトルになるくらいなので、監督の訴えたい部分はここになるかと思うのですが、
それを思うと、役所さんの「自己犠牲的な愛情」と「司法の限界」が三度目の殺人に繋がるので、それがこの映画のテーマなのでしょう。
あまり難しく考えないほうが、スッキリ腑に落ちると思います。
真実を知りたいということ
守るために最後まで真実を隠し通す事はある意味強さなのか。
真実を知ることが本当の解決なのか。
真実を知りたいと思うのは何故なのか。
ただ、満たされたいだけなのか。
見ていていろいろ考えました。
映像美の視点ではガラスに2人の顔が映るシーンは忘れられない。
少しグリーンマイルを思い出した。
2017-64
これはすごい。
どちらかというと、理数系の人間で(得意とかではなく、答えがほしい性格)、真実を知りたいほう。
たくさんの疑問点をぶん投げられるのですが、それでもあぁなんかすごいものを見たと脱力感。
(ちなみにネタバレブログを読んだら、手の仕草や雪に寝そべっているシーン等々、気づけなかった暗示から、疑問点は解消でき、スッキリ。これらを全部拾うには、一度見では無理です、少なくともわたしの頭では。)
役者みんな上手くて、その中で役所広司さんが素晴らしすぎる。
ほんとなのうそなの?
まともなのサイコパスなの?
どちらともわからないところを最後まで渡り歩くような演技で、翻弄させられる。
法廷は真実を暴き、犯人に刑を言い渡す場所だと思ってた。
立場から、色々なしがらみや損得勘定などが働いて、結局真実を追ってる人がいない。
裁判員裁判ってなに?
どこに真実はあるの?
真実を求めることが幸せではないの?
正義ってなに?
もう爆発です。
撮り方もさすがで、光と影や、ガラスの反射などで表情をさらに表現力高くしたり、主観を交錯させたり、とにかくすごいです。
見入りすぎて、ポップコーン大量残し。
なんとなく、ずるい感じかな。
何を思って、何が嘘で、なんでその行動をとったのか?
そこを観客に任せてる感じな終わり方がなんかずるい。
役所広司の思考を敢えて描いてないんだろうけど…。
映像は良かった。斉藤由貴と広瀬すずの会話パートで振り返った時の影とか心情写してる気がしたし、最後の拘置所?で役所広司と福山雅治の顔が重なる部分は相手の心は自分に当てはめて理解できてると感じてるだけってのを示唆してると感じたし。。
きっと真実はひとつなんだろうが見る人感じる人の都合によっては真実は...
きっと真実はひとつなんだろうが見る人感じる人の都合によっては真実はいく通りにも存在する、群盲巨像を触るの喩えの様に、、、答は自分自身を殺す三度目の殺人に因って少女を助けたと言うか自分自身の存在を確認したのだろうが、そんな推理はやはり群盲の一人の戯言でしかないのかも知れない。それにしてもすずちゃんは可愛らしい。
役所さんすげー
もっと難解な映画なのかと思いきや、すごくわかりやすく描かれ、しかも画や映像にもこだわり、時間を忘れさせてくれるエンターテーメント、さすがですね。
予算もそんなにかかってないようにみえましたし、是枝さんはプロ中のプロですね。
ぬかりない。
時に、福山さんと役所さんの留置所コントかなとさえ思わせるやりとり。
役所さんのすごさに最後まで振り回されました。
三隅はサイコパスなのか情に厚い人なのか、闇の中ですが、私は単純に情に厚い人だと思いました。スズちゃん演じる娘を幸せにしてやれなかった実の娘に置き換え、スズちゃんの幸せを思い、かばったのだと思います。
そんな風に観終わったあとも観た人に想像させる楽しみを与えてくれる。
山田くん、是枝さんに座布団一枚持ってって。
終始、監督の手の内で惑わされたままに・・
「三度目」ってだれを?と思いながら、いや、三人目?、それとも、え?、なに?・・・と惑わされてるうちに映画が終わる。
エンドロールが流れ出した瞬間に、やられた!と悔しくなる。まるで、監督にその答えを問い詰めているうちに、裏口から犯人に逃げられた刑事のような気分で。
深みにはまるように事件を洗い出していくうちに、経験していなかったことがあたかも自分の過去であったかのような錯覚に襲われだすと、見ているこっちも、ほんとの「犯人」が誰だかわからなくなっていく。
硝子越しの体面シーンで、三隅と重盛の映像が重なっていくとき、どちらが画面正面で、どちらがガラスに映ったものなのか、わからなくなっていく様は、まさにこちらを心理的に追い込んでいく手法としては抜群だと思えた。
解釈はそれぞれあり、それぞれが答えでもあろうし、それぞれが騙されいてもいよう。法廷で繰り広げられる駆け引きを前にすれば、真実なんてもうどうだって構わなくなってくる。しょせん、互いの利益を勝ち取るための戦術的な知恵比べでしかない。そこに、真実の存在は無意味なのだ。
人によっては不親切な映画だろう。僕もわからない部分が多々ある。だけど、それは批判ではない。幾通りにも解釈ができるがゆえに、数日たった時にふと、あ、もしかしてあれって!!と急に思いつくことがある「快感」もある。長い時間味わえる映画だと思う。
しかし、広瀬すずのポテンシャル、すごい。
余韻を残す…
殺害シーンから始まる。
撲殺し火をつけ…燃え上がる炎。
炎が犯人の顔を赤く映しだす。
犯人の三隅は前科があり次は死刑と言う状況の中弁護を引き受けた重盛は無期懲役に持っていくために奔走する。全ては依頼主を守る為。
裁判で勝つ為なら多少の嘘も方便とばかりにシナリオを描く様に司法とは何かと疑問を持った。
犯罪者の心情を理解する等無意味と考えていた重盛がいつしか三隅の闇に足を踏み入れていた。足の悪い被害者の娘と三隅の関係に興味を持ったのは重盛にも同年代の娘がいたからではないだろうか。
娘を思う父親という共通点で裁判は思わぬ方向へ進展する。
三隅は本当に空っぽの器だったのだろうか。
実の娘から死んで欲しいと言われ、生きてるだけで人を傷つける人間がいると言い、命の選別をする裁判官に憧れたと言う。
三度目の殺人とは三隅が自分自身を死刑にすることだったのではないか。
被害者の娘が裁判所で言った言葉。
「ここでは誰も本当の事を言わない」
裁判とは何だろう?
弁護士の仕事とは何だろう?
疑問が残るが、全ては三隅のシナリオ通りだったのかもしれない。
法廷と司法にモヤモヤさせられた映画でした
普通にサスペンスして普通に法廷ドラマする映画ではないと覚悟を持って見たのは見たのですが、それでも想像以上に重かった・・・そしてとてもモヤモヤさせられた映画でもありましたね。
客にモヤモヤしてもらう映画と監督さんもおっしゃられてはいましたが、確かに・・・。
現実の事件は、現実の司法は、テレビドラマの刑事物や法廷物のようにスッキリ解決するものではないと言うことを、まざまざと見せつけられましたよ、法廷は真実に辿り着く場所ではない、真実を求める場所でもない・・・そう言われてしまうと、我々は一体これからどうしたら良いのでしょうか。
そんな日本の司法制度の危うさに、とてもモヤモヤさせられた映画でした。
勿論、この映画が全て司法の現実と言うこともないのでしょうが、合理的にコトを進めようとするのその姿には、只ならぬ危機感を覚えました。
まあ冷静に考えれば、いくら司法の場とは言え、神ではなく全て人間が行うことですからね、タイムテーブル通りにスケジュールをこなす日本人の習性を考えれば、ありそうな話だ、結局仕事なんだよなぁ。
人が人を裁くことの難しさ・・・今回改めて考えさせられましたし、真実が分からないならば、私には人を裁くことなんて絶対無理だなと、そう痛感させられた次第です。
空っぽの器に、それぞれが都合のいいように人物や事象を当てはめて、判決が下される・・・それが裁判なんだ、それが司法なんだ、真実は結局どこに?
最後に三隅が重盛に言い放った言葉がとても印象的でした。
しかしまあとにかく重くて疲れる映画でしたが、一瞬も緩むところなくのめり込まされた映画でもありましたね。
役所広司、福山雅治、この二人の対峙シーン、特に接見のシーンは、物凄い緊張感、迫力あるシーンで食い入るように見てしまいました。
役所広司の名演に、福山雅治も引っ張られて、見事日本映画史に残る接見シーンが誕生しましたよね、それを引き出した是枝監督はさすがの一言。
最初は福山のステレオタイプのキャラにまたかとも思ったのですが、少しづつ変化していく三隅の姿に見る者も少しづつ彼と同じ気持ちになっていき、最後はモヤモヤさせられると・・・。
う~ん、参りました、役者の演技込みでホント素晴らしい題材と内容だったなと、素直にそう思いましたよ、凡人な私レベルでは好きな作品ですとは言えないですけど(苦笑)
福山雅治だけじゃなく、俳優のポテンシャルを引き出すと言う意味では、広瀬すずも是枝監督の手に掛かると能力全快で見る者を引き込みますね。
感情を抑えながらも、時折哀しみと憎しみがこもった表情を見せるあの演技、やっぱり凄い女優さんだなと、再認識、様々なジャンルの作品に出て時には批判されながらも、将来きっと日本を代表する存在になることでしょう。
そのお母さん役を演じた斉藤由貴も現実とリンクした役どころである意味さすがと思わされた演技でした(実際上手いんだよな~)
今回見終わってモヤモヤしたからいろいろとネットでネタバレレビューを読みましたが、いろんな解釈があるなと感心しっ放しでした、こう言う考える映画も時には必要かもしれませんね。
寝た
8割型寝てしまいました。エンディングも見逃すくらい睡魔に襲われて、こんなにツマラナイ映画は久しぶりでした。是枝監督作品という事で、まずまず期待して観に行ったのですが、まさかこんなに寝てしまうとは自分でも意外でした。色々な意味で不可解な映画でした。オススメしません。
すごかったなぁ
深く印象に残る映画でした。またしばらくしたら映画館で観たい。他の方も仰ってましたが、一秒も目を話せない緊張感のある映像です。登場人物が泣いたり叫んだりしないぶん、張り詰めた空気に捕われて身動きが取れなくなります。こういう重く悲しい雰囲気に浸っていたい、というのは変ですが、終わって欲しくなかった、いつまでも観ていたかった、そういう映画でした。
事実はどうだったんだろうかとか、何がいいたかったかとか、テーマはなんだろうかとか、そういう分析をしない方が「分かる」感じがします。この映画はこういう映画なんだ、と言ってしまった途端、それだけでは無い気がしてしまう。事実はきっとこうなんだろう、と考えた途端、それだけでは無い気がしてしまう。結局、何かよく分からないが重いものが伝わってきてしまった、とだけ言うしかない、と筆力のない僕は思います。
役者さん達はみなさん凄みがありましたねぇ。
. . . という訳で、何も言っていない感想です。「すごかったなぁ」という小並感と同じこと?
追記: 音楽が素晴らしかったことを言い忘れてました。この映画の雰囲気作りに大きく貢献していると思いました。劇中で何度も流れる主題曲だけ配信で販売されてます。映画の色々な場面が思い起こされ、浸れます。
追記2: あのあと、この映画を小説化した文庫本を読み、もう一度映画館で観ました。今度はもしかして退屈するかもと思ったら全然そんなことはなく、やはり画面・セリフ・表情・景色・音楽などなどに惹きつけられ、一秒の緩みもない緊密な映画だと改めて思いました。(つまり、次の展開が分からないから夢中で観てしまうというタイプの映画ではないということ。) 二度目なので、一度目で見逃していたり「理解」してなかったりしていた細部まで感じ取ることができました。(広瀬すずさんの刺すような眼差しが恐ろしかった。)
真実も事実も分からないので、並行世界が重なって見える目眩(めまい)のような気分です。むしろ人間の心とはそういう並行世界が詰め込まれたようなものなのかもと思いました。結局、安藤桃子さんの「所詮、我々は何も知らない生き物なのだ」(この映画の公式サイトから引用)というのが当たっていると思います。
3度目の殺人とは何か
3度目の殺人とは何か。
結局、ラストシーンまで3度目の殺人とは何だったのか、宙ぶらりんのまま答えは出ず、幕を閉じる。
その言葉は宙ぶらりんのまま、この映画を引っ張り、三隅と重盛の対峙も答えを出さずに終わる。
ラストで重盛が佇む十字路はキリスト教的な暗示、空に浮かぶ電線も十字を切り、重盛が三隅に投げ掛ける「貴方はただの器。。。?」という言葉からも、十字は反復してこの世界に神の存在を語り掛けるように見えるが、あれはもしかするとそのまま十字路を表しているのかもしれない。
人が人生の中で真実を見つめてはまり込む辻。
どちらに行けば正解なのか、どの道が果たして真実に辿り着くのか。
重盛は佇むのみ。
真実に辿り着く事はない。
それは真実を追い求めるから。
人生において真実というものは重要ではない。
行った先がその人の人生の真実になるから。
結果が真実である。
だが、重盛は佇む。
真実に辿り着くことが出来ないのだ。
三隅は真実を語らない。
或いはその時その時、彼が語った事は全て真実なのかもしれない。
だが真実は世の中に明らかにされる事はない。
全てが明らかにされる事なく、全ては宙ぶらりんのまま、裁判は終了する。
三隅は分かっているのだ。
真実が何か分からないままでも、世は全て調和的に動く。
人が真実から遠く居たとしても、世界はシステムの上で動いていくのだ。
或いはシステマティックに動く世界によって真実は決定し、真実は世界から遠く離れた場所で輝くのだ。
誰も太陽に触る事は無いが、太陽の光によって恩恵を受け、生きていく。
真実は触らずとも、その真実を自分の都合の良いように解釈して生きていくことが出来る。
その真実に触れたいと思う時、人は十字路に佇むことになる。
真実は十字路から遠く離れた、しかし十字路を隈なく照らす天上にのみあるのだから、触る事は出来ない。
手に取ることの出来ない場所にあるのだから、その全体像を見る事は出来ない。
人は神に近づく事は出来ない。
その存在を信じ、只管に信仰して生きていく。
だから生きていくことが出来る。
触ることが出来る存在であれば、理解し尽くすことが出来れば、人はそのために生きようとはしないかもしれない。
触った瞬間に焼け死んでしまうのかもしれない。
重盛は最早真実に辿り着く事は出来ず、また生きていく。
だが彼は最早前のようには生きて行けないかもしれない。
三隅の後ろに、事件の後ろに宙ぶらりんの芯となる真実が在ったが、見ようとしても見えない。
その見えない真実を見ようとする行為を覚えてしまったから。
彼の佇む真実の十字路の上には十字を切った電線が走り、そのまた上には神の居る天が広がる。
そこに真実が在るが、彼には見えない。
本当はそれを見なくても生きていく事は出来るし、ほとんどの人は見えなくても生きていける。
真実が「在る」ということさえ知っていれば生きていける。
だが真実そのものを見ようとすれば、人は佇む。立ち竦むことになる。
そして立ち竦み、じっと真実を見つめようとする人は、生きては行けない。
人生は真実とは関係なく進んでいくものだからである。
映画全体を通して、「第3の殺人」というタイトルがその宙ぶらりんの軸である。
映画の中で具体的に第3の殺人が描かれる事はない。
その言葉は人により解釈を変え、でもそのいずれも具体性を欠いてピントをぼやかしている。
うまく出来たタイトルである。
事実、この世界でピントの合った真実が存在する事は無い。
世は並べて宙ぶらりんである。
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