劇場公開日 2016年4月15日

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スポットライト 世紀のスクープ : 映画評論・批評

2016年4月12日更新

2016年4月15日よりTOHOシネマズ日劇ほかにてロードショー

地味で結構、シブくて当然。巨悪に挑む記者たちのカッコよさがジワジワ沁みてくる

俳優から映画監督に転身したトム・マッカーシーの第4作「スポットライト 世紀のスクープ」が今年のアカデミー賞で作品賞に輝いた。賞レースを追いかけていれば決して意外な結果ではなかったが、「レヴェナント 蘇えりし者」「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」などエクストリームな怪作たちがノミネートされている中で「よくわからないが地味そうな映画」という印象を抱いた人も多いだろう。

カトリック教会の神父による集団児童虐待をボストンの地方新聞がすっぱ抜いた実話をもとにした「スポットライト」は、確かに胸を張って「地味です!」と答えられる映画である。

スキャンダルの大きさは計り知れない。神父が教区の少年に性的虐待をしていたというとっかかりは氷山の一角に過ぎず、芋づる式に膨大な数の被害者と容疑者の存在が発覚し、教会が組織ぐるみで隠ぺいしていた可能性が浮上し、ボストンのローカル記事から世界中へと飛び火していったのだ。

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昨今では“スクープ”という言葉がほとんど芸能ゴシップを指すようになってしまっているが、本作の記者チームが狙う“スクープ”は、巨悪を暴き、世の中を激震させる一大タブーであり、危険すら伴う英雄的行為と言える。

しかし、だ。記者の仕事は銃弾の雨をかいくぐったり、法廷で熱い演説をすることじゃない。関係者から情報を引き出し、被害者をひとりひとりに話を聞いて回り、疑惑を裏付けるために埃をかぶった膨大な資料を洗い直す。求められるのは、何度もくじけそうになりながら地道な努力を積み重ねるモチベーション。試されるのは仕事への矜持であり、正義を追及する信念であり、被害者の気持ちを代弁できる人間力でもある。

はっきり言って何一つ派手じゃない。タイトルが「スポットライト」なのは、スポットライトを浴びることのない記者たちの日常をつぶさに描いていることに対する逆説でもある。

トム・マッカーシー監督は見事なまでにスターの華やかさよりも実力が勝っている俳優ばかりを集め、過度にドラマチックにならないよう細心の注意を払う。胸のすくような「してやったり!」という高揚はこの映画には似合わない。ただ、地道な作業のすき間から、記者たちの心の内が、怒りや葛藤が、仲間同士の絆が、そしてスクープへの情熱が確かに伝わってくる。地味で結構、シブくて当然。だからこそジワジワとカッコよさが沁みてくる。やはり伊達に作品賞を獲ってはいないのだ。

村山章

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