シン・ゴジラのレビュー・感想・評価
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1954年上陸時より焼失面積広そう(笑)
テンポいいですね。台詞がわからないというコメント多いですが、わからなくていいと思います、この映画の場合。あの台詞の速さや、肩書きや部署名などの字幕の長さと早出しはどう考えても故意でしょう。スピード感を出すと同時に皮肉でもあります。主人公も作戦名が長いと言っています。
またしても東京を焼け野原にしちゃうわけですが、半島からの物騒な飛翔体が誤射にしろなんにしろ、都心にヒットしたらこんな感じ?とか思いながら観てたらゾッとするリアリティがありました。
ゴジラが口から火焔を出すときの割れる口は「寄生獣」のパラサイト、ラストシーンの尻尾の突起は「エイリアン 」を想起する。シン・ゴジラの出自は果たして??
「対馬沖で異常がみられる」という伏線が回収されてないと思うのですが、わかる人いたら教えてください。
愛国にすり替えられた反原発の祈り
『自分の外には自分の知らない感情が無数に存在し、まったく矛盾する幸福感を持つ人たちが、隣り合わせで生きているのだ。私のLOVEは誰かの悲しみだったり。』
HONDA TVCM〈Go,Vantage Point〉より
エヴァンゲリオンはもちろん、軍事から鉄道まで幅広いヲタのみなさんが泣いて喜びそうな小ネタ満載の本作は日本では大ヒットを飛ばしたが、海外での評価はいま一つ盛り上がりに欠けているようだ。
まるで他人事のようにマニュアル通りの声明文を読み上げる首相(大杉漣)以下内閣の無能ぶりや、ゴジラ内部の原子炉凍結をはかる一時しのぎのヤシオリ作戦などは、なるほど3.11をリアルに体験している日本人ならばピンとくるシナリオだ。
体内核融合によってエネルギーをえて東京を放射能汚染地獄に変えてしまうゴジラはまさに動く原子炉であり、この巨大不明生物が“フクシマ”のメタファーであることは一目瞭然であるが、その寓意がうまく伝わってこないというのだ。
庵野監督が福島被災者の気持ちを忖度したせいなのか、映画制作の意図が反原発とは別のパトレーバー的愛国心を鼓舞することにあったのかはよくわからないが、ゴジラが東京を目指した理由や本作のキーマンとなる牧教授の物語をあえて封印した演出により、ラストシーンの(人間の煩悩を増幅させる装着としての)象徴性がぼやけてしまった感は否めない。
おそらく反原発を叫んだであろう牧教授やその奥さんを含む被災者の怨念が憑依したゴジラが(福島が電力を供給し続けた)東京を目指したのは、テクノロジー万能を過信した東京いな日本が享受しなければならないいわば当然の“痛み”だったのではないか。
もはや“神話”と化しつつあるその技術力を駆使して、完全無欠の生命体=神ゴジラを封じ込めようと躍起になるはみ出し官僚&タカ派発言を繰り返す主人公矢口蘭堂(長谷川博巳)の姿に、共感どころか後味の悪さを感じてしまう人もいることだろう。
国民生活など二の次で、本当は省内出世と既得権益確保にしか興味のない官僚の大活躍によって一応の決着を迎える本作は、ドメスティックな九条改憲派にはすこぶる受けがいいそうだが、ゴジラ侵攻によって最も被害を受けているであろう一般ピープルの視点が抜け落ちているのが気になるところ。
(ショック・ドクトリンに基き)TOMODACHI作戦なる有償援助を押し付けられた日本の米国に対する不満を表明するのがせいぜいの、想定範囲内の反原発映画と評価されてもいたしかたのない映画の出来に(小ネタ祭には狂喜乱舞するものの、物事の本質には見ざる言わざる聞かざるを決め込む国民性に)、庵野監督自身さぞはがゆい思いをしていることだろう。
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
『春と修羅(mental sketch modified)』より抜粋
エヴァの面影が、
エヴァの監督庵野秀明さんの作られた映画ということで、エヴァ感が半端ない。(笑)
音楽もなんかエヴァでかかってたような。
てか、話長い、まぁ、日本の今の政治体制はこんなもんかな?
あと、石原さとみさんのイーオン化笑えました。好きですけどね。あのキャラ。
無人電車爆弾、初めて見ました。
ゴジラは変わった・・・
子供の頃ゴジラが好きだった。夏休みや冬休みに近所の映画館で上映される「東宝チャンピオンまつり」を楽しみにしていた。
地方だし、今と違ってネットもゲームも無く、楽しみなんてお祭りと「ゴジラ」映画くらいだった。
ハリウッドのゴジラは(エメリッヒじゃない方ね。)は面白かった。この監督は「ツボ」を知ってた。なので東宝の本家ゴジラではないが、十分楽しめた。
どこが気に入らないかと言うと・・・・
映画の時間軸でもっとも重要な後半にメインのゴジラがずッと寝てた・・・じゃん。あれないよ。
政府や自衛隊の会議室が中心でアメリカ特使とか国連とか本来ドラマの脇にいる存在、組織が全面に出てるから、主人公的存在がぼやけてる気がする。
それでも世間の評価が高いのは世の中が変わったからだろうか。
だから「シン・ゴジラ」なんだろうなぁ。
ただ、クライマックスに東京駅へ乗り入れる新幹線や在来線に爆弾を乗せて走行させる一連の「◯○作戦」進行のバックに流れる伊福部昭の「地球防衛軍のテーマ」(だっけ?)は、マカロニ・ウエスタン同様音楽が映像を引き締めた良い見本だと思う。
(でも、爆発してもあんなに列車が高く飛び上がるもんだろうか?)
非常に面白かったです。 大迫力のゴジラをみて興奮しました。 徐々に...
非常に面白かったです。 大迫力のゴジラをみて興奮しました。 徐々に進化するゴジラ、 自衛隊との こうぼう、 日本政府の戦略、 など、 みていて楽しめる要素が満載でした。
以前、 別のゴジラの映画をみて、 [やっぱり にほんの映画は詰まらない] とおもい、 それ以来 にほんの映画をあまり見なくなりました。 しかし、 シン・ゴジラ をみて、 にほんの技術力の高さを感じました。 と言っても、 これは [庵野秀明 監督の能力の高さ] というべきであって、 相変わらず にほんの映画の技術力は低いのかもしれませんが。
ただし、 不満点も有りました。 音楽がエヴァンゲリオンの流用でした。 同じ庵野秀明 監督の作品なので流用可能なのでしょうが、 せっかく新しい映画なので、 新しい音楽を楽しみたかったです。
また、 字幕の一部が背景に溶け込んでしまい読めませんでした。 それも問題ですが、 もっと深刻な問題は、 字幕が読めなくても なんの問題もなかったことです。 要するに、 字幕の内容は、 なんとなく [それっぽい雰囲気のこと] を喋っているだけで、 直接ストーリーには関係ありません。 そういう [雰囲気作りの言動] が非常に多かったです。 もう少し ストーリーに直結する部分を増加してほしかったです。 言い換えれば、 ストーリーが希薄だった、 とも言えます。
緊迫感のない棒読みの せりふ、 不自然な日本語、 などが時々挿入され、 現実に引き戻されてしまいます。 もう少し、 演技や せりふ回しでひっ迫間を創出してほしかったです。
日本の40%へ向けた映画
日本人が誰も「ゴジラを知らない」という世界には違和感を感じざるを得ない。
笑ってスルーすれば良いと言われればそれまでなのだけれど、伝説の云々というくだりは特撮物特有のウソ臭さを感じてしまう。
リアリティを重視して「一度もゴジラが来ていない」設定にしたのだろうけれど、一度もゴジラが襲来していない世界の我々がゴジラを知っている。
子どもが絵本を取り落として”ゴジラ”とつぶやく…で良かったのではなかろうか?
で、本作にはパーソナリティを持った”一般人”は出てこない。市民側から見た喜怒哀楽のようなものは殆ど感じられない。あくまで政府側視点である。
それはそれで面白いが、皆が感情移入出来るか?は疑問に感じる。
初代ゴジラに対比させて、東日本大震災の惨状を重ねたのは解る…が、ゴジラが襲ってくるのは東京である。
東京が狙われることはシリーズの定番とは言え、物語がリセットされている以上は過去の理由は使えない。
実際に類似する事態になった時に、政府は「東京だけを守る」という判断を下すだろうか?
選挙の毎、東京の一等地よりも限界集落の方が国政への影響力が強くて不公平だ…などと言う人達だから、切り捨てられてもおかしくは無い。可能性はゼロでは無い。
地方在住としては、そんなことを考えてしまう。
殊更に地名の案内も出ないので、終盤は地元民と軍事オタク以外は蚊帳の外という感じである。
東京の人は気付かないのだろうが、東京を全国民が知っている訳では無い。
そんなわけで、これから頑張っていこう!というメッセージも、どことなく他人事に感じてしまわざるを得ない。
「ゴジラ」を見たかった
政府の対応とかリアルである意味良いが、ゴジラとしての映画映えはしない。
CGは違和感しかないし会話ばかりでゴジラの出番は少ない。感じ方は人それぞれだが洋画に慣れてしまった人間的には娯楽性は無かった。
ある意味シン・ゴジラかもしれないが、ゴジラを期待してた人にとってはガッカリ。
世界よ!これがゴジラだ!といったレビューがあるが、CGもストーリーもあくまで日本人向けで世界に誇れる映画などではない。
逆に聞きたい。日本政府がぐだぐだ対応してるだけの映画のどこが世界に誇れるのか?
身近な見た人がみんな大絶賛していたので楽しみにしていた。のが悪かっ...
身近な見た人がみんな大絶賛していたので楽しみにしていた。のが悪かったのか、普通に感じてしまったー、、、
ゴジラのビジュアルはかっこよかったし、音楽もよくて、見応えはたっぷり!
ゴジラが出てきた日本の描写がリアルで面白かったけど、あっけなさを少し感じてしまった。
何回か見ると変わっていくかなとも感じたのでまた見てみようと思う。
おうち-21
だめだーー石原さとみの英語と序盤の怪物がおもちゃすぎて入り込めない。
sureはshirtになってるし。
普通に日本語ペラペラなんだから、日本語のセリフだけで話してるほうがいい。
第二外国語ペラペラのほうが、頭良さそうじゃん。
オーレンイシイじゃあるまいし。
そしてパニック映画を期待したら、そうではない。
会議のシーンが長い。
頭脳戦を見たいならいいけど。
うーーん🤔
東京都民として、自分の勤務地や居住地や乗り換えの駅とかいつ出てくるかなぁっていう楽しみはありましたが、それだけでした。
で、どこで笑うの?
原爆を落とせば全て解決するにも関わらず
原爆を落とすことに異常な嫌悪がある日本国民への痛烈な皮肉ですね。
結局ゴジラは残ってしまっている(=原発の暗示?又はいつ落ちるかわからない原爆)のにも関わらず
何故か日本の底力を信じ、希望を持っている日本国民(=平和ボケ)への痛烈な皮肉でもありますね。
冒頭の会議シーンは正直寒い。(ex.以下略)
しかも、その後、会議が必要な理由について、登場人物が解説していて、もはや自己完結している。
皮肉としては破綻している。例えるならギャグを自分で説明している様子。
というか核落とせよ。
頭イカレてんのかよ。
肝心のところで感情論挟んでんじゃねぇよ。
スクラップアンドスクラップかよ。
庵野がつくったゴジラ。
シンゴジラ、庵野がつくったゴジラ。
特徴的なのは、台詞の早口、カット数の多さ、カメラ位置、字幕の無駄さ、、、まさにアニメーション監督らしい作品。
公開から1年以上経った今、様々な情報が飛び交っている。1つだけ確かなことは、庵野秀明が、これまでの作品と同様に魂を削って、本気でつくったという点だろう。
自分が信じているものしか作品に反映させられない庵野監督がこの作品を通して、伝えたかったことは、なんだろう。
ドラマ性がなく、メッセージ性もない。人の心の葛藤もない。単に、害獣に対して、最良の選択をとっていくポリティカルフィクションを撮りたかったのだろうか。
本当のところは分からないが、ゴジラの恐ろしさ、ゴジラの強さ、自衛隊の頼もしさ、巨災対のような組織の日本人が現実にもいてくれるはずだという安心感、限られた中で力を合わせて策を講じる日本人、そのリアルさがよかった。
完璧ではないが、最善を尽くす。
国を背負う政治家の全力の対応がよかった。
ゴジラの形態変化、東京の街を破壊するシーン、圧巻だった。
こういった特撮が日本映画を支えたのなら、またこんな映画を撮ってほしい。特撮には夢があると思った。
(ゴジラ+エヴァ+巨神兵)÷3
ストーリー展開がとても良い。
単純な怪獣映画じゃない、日本の政治問題の描写もすごい。
この切り口は新鮮。
気になる所は
音楽と作戦名は完全にエヴァ。
ゴジラが巨神兵。
そして、石原さとみのキャラクター設定にかなり違和感あり。
未来の大統領候補?
全く無いでしょうよ、そんな感じ。
日本人とは何なのか?問題作。
2回は観たかな?評価2.5
人間は何か巨大な畏怖や存在を怪物にしてしまう。
そして怪物とは時に祟り、時に零落するものである。
巷に溢れる萌えキャラもある種の神話の零落である。
「ゴジラ」と「原発」はどちらも「怪物とは何か?」
を日本人に厳然と思い出させたのだ。
そしてその新たな怪物の零落もまた始まりつつあるのだ。
かつて三島由紀夫は魅死魔幽鬼夫となる事を願った。
怪物として日本人の魂に刻まれたかったのだ。
我等、荒ぶる怪物と共に生きる事を宿命された民族。
奇しくもヤポネシア火山帯列島は龍体なのだ。
劇場では、ちゃんと見た「ご迷惑をおかけします」
シン・ゴジラは映画館の大きなスクリーンで観たいと最初から決めていたので、封切してから数日後に近くの映画館に観に行きました。
映画を観る時は俳優達の演技にはちっとも関心がなくて、製作スタッフ達のちょっとしたユーモアを見つけるのが大好きです。
それで、MOVIX周南で上映になった「シン・ゴジラ」で、ゴジラが鎌倉に再上陸した時に市街地の右手奥に「ご迷惑をおかけします」という横長の看板が見えたので、思わず笑っちゃってしまい、遠慮深い性格のゴジラなのだと自分勝手に思ったものでした。
でも、DVDになってすぐ買って観た時、この横長の「ご迷惑をおかけします」の看板のシーンは削除されていたのです。シン・ゴジラは遠慮なんてもってのほかで、凶暴極まりないのだと思うことにしました。
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