ハンナ・アーレント

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劇場公開日:

ハンナ・アーレント

解説

ドイツに生まれ、ナチス政権による迫害を逃れてアメリカへ亡命したユダヤ人の女性哲学者ハンナ・アーレントを描いた歴史ドラマ。1960年代初頭、ハンナ・アーレントは元ナチス高官アドルフ・アイヒマンの裁判の傍聴記事を執筆・発表するが、記事は大論争を巻き起こし、アーレントも激しいバッシングを受けてしまう。その顛末を通して絶対悪とは何か、考える力とは何かを問うとともに、アーレントの強い信念を描きだしていく。監督はフォルカー・シュレンドルフの妻としても知られるマルガレーテ・フォン・トロッタ。2012年・第25回東京国際映画祭コンペティション部門出品。

2012年製作/114分/G/ドイツ・ルクセンブルク・フランス合作
原題:Hannah Arendt
配給:セテラ・インターナショナル
劇場公開日:2013年10月26日

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(C)2012 Heimatfilm GmbH+Co KG, Amour Fou Luxembourg sarl, MACT Productions SA, Metro Communicationsltd.

映画レビュー

3.0存在とは思考する自己である

2024年3月7日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

「サウルの息子」が衝撃的に面白く、今年はそれ以降ホロコースト関連の映画を追いかけている。
知らなかった世界の扉を開く行為に夢中になった、とも言えるだろう。
そんな中でも「ハンナ・アーレント」は「何故人類は残酷な行為に手を染めたのか」という問いに答えを示した哲学者を通して、新たな知見を得られた得難い映画だった。

この映画で重要なキーワードとなるのは「普通の人間」という言葉だろう。アイヒマンも普通の人間であり、彼の本質を看破したハンナもまた普通の人間である。
「ハンナ・アーレント」なのだから、彼女の日常を描くのは当然と言えば当然なのだが、アメリカで夫と暮らすハンナはごく普通の女性である。
気のおけない女友達がいて、夫に寄りつく女性を牽制してくれたりする。
友達を自宅に招いてお喋りしたり、倒れた夫に寄り添ったり、ごくごく普通。

一方のアイヒマンもまたごくごく普通の組織の構成員である。彼の主張は「命令だからその通りに行動した」というものだ。ある意味当たり前の事をした、ただそれだけだ、というものである。
アイヒマンの裁判での映像は記録映像で、ハンナが実際に目にしたものを私たちも見ている。果たしてアイヒマンは冷酷無比な異常者に見えただろうか。

ハンナの「アイヒマンは普通の人間」「時に平凡さが巨悪を成す」という分析が受け入れられなかったのは、主に感情論だ。
裁判のシーンでも被害者であるユダヤ人の証言はアイヒマンの有責を示すものではなく、「いかに自分が(または家族が)残酷な目にあったのか」が延々と語られる。
裁判に必要な証言とはおよそ呼べない情緒的な光景が繰り広げられる中で、ハンナとアイヒマンだけが「これは何の冗談だ?」と感じていただろう。

悪を成したのだから悪人であるべき、という主張は繊細過ぎるし感情的過ぎる。
感情を排して「何故人類は残酷な行為に手を染めたのか」を紐解こうとした時、感情論で向かってくる相手と同じ目線に立てないのは自明だ。
さらにハンナの主張は「善人であるあなたも巨悪を成す可能性がある」とあらゆる人に刃を向ける。

強烈な批判と友人たちの別離を受けてもハンナが折れなかったのは、「考えることを止めなければ正しい選択が出来る」という信念からだ。
そして「考える」という行為が人間の存在を人間たらしめているという矜持だ。
ラスト8分間のスピーチは、ハンナがその全存在をかけて紡いだ「人間への希望」である。

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つとみ

4.0ユニークな構成ありきで、彼女の政治哲学への肉薄が薄れたかのような…

2023年4月21日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

2013年のキネマ旬報ベストテンで
「愛、アムール」「ゼロ・グラビティ」に次ぐ
第3位に選出された当作品を、
ようやく観ることが出来た。

この作品、確かに
最後の講義でのスピーチは
彼女の政治哲学を集約的に示して見事だが、
盛り上がり感があるのはこの部分だけで、
映画作品としては全般的に平板に感じた。

私の理解が及んでいないのかも知れないが、
それは、
ハンナがアイヒマン裁判の当初から、
彼は凡人であったとの彼女の台詞もあり、
それはラストの講義での、
戦争犯罪は無知の成せるワザとの
スピーチの主旨に合致しているわけだから、
特段にこの裁判で彼女の思想が
大きく変化したものではないことと
符号しているためではなかったろうか。

更には、この映画で特徴的なのは、
この映画での撮影フィルムと
裁判当時の映像を重ね合わせた手法だが、
このユニークな手段が先にありきで、
何かアイヒマン裁判が彼女の思想の
エポックになったかのような構成に
無理があるように感じたことが、
今一つこの作品に乗りきれなかった理由にも
なったような気がする。

しかし、それよりも問題は、
ラストシーンでのユダヤ人の終生の友人
からの三行半の場面で、
昨今の世情で感じる、
当作品のハンナや
「夜と霧」のフランクルのような、
他者への寛容性が影を潜めると共に、
客観的な思考・立場の陣営は少数化して、
両極の思想のどちらかの陣営に属すことが
強要されているような世界観に繋がっている
ようで怖さを感じてしまった。

それにしても、
ハンナのヘビースモーカーぶりは凄い。
彼女の死因は心臓発作のようだが、
喫煙漬けも遠因となっていなかっただろうか
と余計な事が、頭をよぎった。

 4月23日再鑑賞
この作品への理解が出来ていないのでは
ないかと気になって再び鑑賞してみた。
ラストシーンでのハンナの講義内容には
最初の鑑賞時よりも感動を覚えると共に、
色々なことが頭をよぎった。
例えば、ハンナは確実にハイデガーの
同じ哲学を受け継いでいるが、
ハイデガーは戦中の人で、
ハンナは戦後の人であったため
評価が異なったこと、
また、彼女の、「思考停止の結果、
平凡な人間が残虐行為に走る」との哲学は、
後にキング牧師が引用したであろう、
映画「紳士同盟」の中の、
「最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さでは
なく、善人の沈黙である」との台詞にも
通じるものがあるようにも感じた。
いずれにしても、私のこの作品への認識が
少し高まったことにより、
🌟を1つ加えさせて頂いて、
🌟4つに変更させて頂きました。

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KENZO一級建築士事務所

4.5本物の学者

2022年8月17日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

 食うために講義を行う職業学者ではなく、学問を追及するために生きている本物の学者だったのだろう。

 このドラマを見て思ったが、実際のアーレントは、ただひたすらに自分が目指すテーマについて考え、考え、考え抜いた人生だったのではないだろうか。

 本物の学者だったからこそ、 アイヒマンを異常なマゾヒストや悪魔としてではなく、 命令に従順な極めて凡庸な男であるとし、それこそがナチスが犯した恐ろしい悪の核心であり、人間の誰もが持つ非常に危うい一側面なのだと喝破できたに違いない。

 彼女を「傲慢」「裏切者」と罵る同胞たちの、嫌悪と憎しみに満ちた抗議は、実際、この作品の中で描かれている遥か以上に凄まじかったのではないかと想像する。

 そんな嵐の前に立ちはだかれたのは、職業的な使命感などではなく、 知性と探求心いう強靭な防護服を身にまとっていたからだ。 彼女は孤独の中で、ひたすら自分自身の中に映る真実と対話していたのだと思う。

 本物は他人に媚びない。 それだけに著書はなかなか難しくて読みづらいが、 この作品を観たのをいい機会に、ちょっと再挑戦してみようかと思っているところである。

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Garu

5.0最後の名言を理解できるか?

2022年5月1日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

ハンナ・アーレントは、ドイツ系ユダヤ人で、女性の哲学者で、ナチス・ドイツの迫害により、フランス、アメリカへ亡命し、エルサレムで、アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、「イエルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告」を発表した人です。
日本では、人気のない裁判映画ですが、実話です。
事前に「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」を鑑賞すると理解が深まります。
ストーリーは、ハンナ・アーレントの学生時代の思い出が挿入されるくらいで、時系列に進むので理解しやすいです。
ハンナ・アーレント以外の登場人物については、知っていることが前提であるかのようにストーリーが進みます。
ハンナ・アーレント以外の登場人物については、鑑賞後、調べない限り、わかりません。
ハンナ・アーレント以外の登場人物の立場を理解していないと、この映画も理解できません。

ハンナ・アーレントは、哲学者として、最後まで考え続け、「人間が思考ができなくなると、人間が残虐行為を行う」という悪の汎用性を指摘しました。
ハンナ・アーレントは、ドイツ人もユダヤ人も人種に関係なく、大罪を犯す悪を持っていると指摘したので、一般的には受け入れられましたが、ユダヤ人からは非難されました。
ユダヤ人達の空気は、ナチス・ドイツは絶対悪で、ユダヤ人とは全く違うということです。

アドルフ・アイヒマンは、ユダヤ人課で、ユダヤ人たちの亡命と引き換えにユダヤ人たちの全財産を没収する巨額のビジネスを立ち上げ、この延長線上にユダヤ人虐殺があるのではと思うので、有罪で、死刑は妥当だと言えます。

日本の若い人の保守化が指摘されることがありますが「上に逆らっても状況は変わらない」、「抵抗したところで、どうせ成功はしない」と仕方なく考えるように、教育されているのではないのでしょうか?
いじめられようが、パワハラを受けようが、セクハラを受けようが、炎上しようが、自分で思考し、意見の言える日本人はいるのでしょうか?
いじめて、パワハラして、セクハラをして、炎上する日本人に必要なのは哲学を学ぶことです。

ナチス・ドイツに迫害され、亡命を余儀なくされたハンナ・アーレントが、アドルフ・アイヒマンを客観的に見て、普遍的な結論を導き出せた理由は、ナチス・ドイツに迫害され、亡命を余儀なくさせられる前に、マルティン・ハイデッガーから哲学も、不倫関係になり愛することも学んだからだと感じました。
マルティン・ハイデッガーは、後にナチス・ドイツに入党しました。
ハンナ・アーレントは、ナチス・ドイツが全て悪魔という考えはないでしょう。
教育は、重要です。

自分は、思考を停止し、民族として、日本人を愛する気はないです。
自分は友人を選ぶので、思考を停止し、民族として、日本人を愛する人を友人には選びません。
自分は、思考することで、自分が強くなりたいです。

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