この作品を久しぶりに見て感じたのは、この時からすでに「祈りの幕が下りる時」の構想があったのではないかということ。
そもそも「新参者」のシリーズなので、下地設定は完ぺきなのだろう。
警視庁日本橋署に配属した加賀恭一郎 彼を新参者としていくつかのショート物語を1冊の本として書かれた。
東野圭吾さんは最初から「祈りの幕が下りる時」の漠然とした構想があり、実際それで加賀恭一郎シリーズを終了している。
さて、
おせっかいな看護師金森
このシリーズの1作品だけ見れば、彼女の存在に違和感を感じるだろう。
小説では比較的早々に金森が登場する。
彼女は加賀と父との確執に対し、そのおせっかさから必要以上に介入してきた。
加賀がそれを許したのは、自分自身が完璧ではないことを常に俯瞰しているからだろう。
彼女の中に、家出して戻らない母の性質を感じ取っていたのかなと思う。
そして同時にそれは父への確執を助長させるのだろう。
この堂々巡りのような葛藤こそ、加賀恭一郎の人間性の下地だろう。
登場と同時に彼のキレ具合が描写される。
事件には至らないものの、彼の推理と行動によって日本橋管内で起きる些細なトラブルがみるみる解決していく。
このことが住民と彼との信頼を作り、この物語のような大きな事件の時には住民らの情報が速やかに加賀へと提示される。
この下地があって、この物語があり、同時に「祈りの幕が下りる時」でその全ての伏線が回収される。
実は奥が深い物語
加賀の地道な土台作りとおせっかいな看護師、そして従弟の松宮修平、彼もまた「麒麟の翼」以前から登場しているが、その他たくさんのキャラクターの下地を組み立てた後で、「祈りの幕が下りる時」へと集大成されたのだろう。
単発で金森を見ると「おかしい」と思ってしまう。
しかし全体を通すと彼女の設定は非常によくできている。
さて、、
麒麟の翼
「いかにも」というような仰々しいタイトル
しかしとても意味のあることを指している。
日本のスタート地点
冬樹とカオリの出発地点 そしてカオリの再出発地点
しかし、
若干難しかったのもある。
吉永母と麒麟とのつながり
「ここからはばたく」というような意味を持つ象徴
彼女がそこに希望を見たのは理解できるし、HPのモチーフにしたのも頷けるが、映画としてはもう一つそこを強く印象付けできる何かが欲しかった。
また、
冒頭から、「なぜ刺された青柳が麒麟の像を目指したのか?」が、加賀によって問題定義されている。
その主軸に至るまでの捜査が非常に複雑なのに対し、冬樹の短絡的な行動があまりにも稚拙で、しかも記念日に麒麟像の前に佇むというミスリードの仕掛けは、この物語全体を希薄化させているように思えてしまう。
「やはり冬樹と青柳の間に何かあった」と思わせときながら、「へっ?」となることでそこに注目していた意識がストンと抜け落ちるように、この物語の記憶が薄くなるのだ。
これが二度見る気が起きなかった最大の理由だった。
しかしこれもまたよくできた作品だった。
恐るべし東野圭吾さん。