ニュー・シネマ・パラダイスのレビュー・感想・評価
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今まで観た中で一番心に残った映画!!!!!!!!
私はこの映画が世界中の賞を総ナメした往年の名作とは全くもって知らず、何の予備知識もないまま映画好きの先輩のお宅で初めて鑑賞しました。そういった事情から当初はあまり期待をしていなかったのですが、ラストシーンが終わった後はあまりの衝撃に一日中ボーっとしてしまいました(笑)
ざっくり言うと、愛とノスタルジーの話だったように思います。映画館を舞台として、人と人との関わりや時の流れを愛しくも切なく描いています。シチリアの景色がとても印象的で、時代が移り変わってしまうことへの郷愁を一層強く感じさせます。
幼い頃のやんちゃ具合や母との関係性・子供の成長・恋をして引き裂かれること・大切な人の死。トト程に波乱万丈ではないかもしれませんが多くの人が経験するであろうことを描いており、まだこんな年ではありますが「人生」というものを感じました。今の私にはアルフレードの選択は正直エゴではないかと感じてしまったのですが、それが例えエゴだとしても大きな愛情の形であることには変わりないのでしょう。(ここら辺は歳を重ねると感想も変わるのでしょうか。)
印象的だったのは、物語が非常に平坦に感じたことです。実際はストーリーの道中で様々な事件が発生するのですが、その描写は敢えてドライなタッチとなっており必要以上に盛り上がったり盛り下がったりしません。しかし、それこそが重要なのだと思います。物語が進む中で少しずつ積みあがった様々な事柄や感情がラストシーンで全て昇華されたように感じ、とても感動しました。物語の展開の仕方や演出が素晴らしく、纏まり・クオリティからして(映画オタクでもないのに大きな口を叩くようですが)映画というジャンルの一つの完成形のように感じました。
そして、音楽も良かった!!映画でもドラマでもアニメでも、名作と呼ばれる作品は音楽が良い確率が極めて高い気がします。
10年後、20年後に観るとまた見えるものが変わってきそうなのであと3回くらいは観るんじゃないかなと思います。あんまり観すぎると感動が薄れるのでタイミングが難しそうです。
一気にあふれかえる郷愁と、そこにたどりつくまでの時間の流れに震える。
○作品全体
定番名作映画の一つ、というスタンスで見始めたけれど、猛烈に良かった。名作映画といえど当然自身に刺さるものと刺さらないものがある。『ニューシネマパラダイス』は猛烈に刺さった。
一番刺さった要素は時間の扱い方と郷愁に対する感情の扱い方だった。
物語前半、約2時間あるうちのちょうど1時間分は旧映画館でのトトとアルフレッドの出会いの物語だ。シーンの大半を映写室に使うことになるが、ここで強調されるのは時間の滞留。トトは家族、学校、映画館とさまざまなコミュニティがあり、目まぐるしく走り回っているがアルフレッドにあるのは映写室と映写の仕事だけで、映写して神父からカット部分を指示されることを繰り返している。トトとアルフレッド、二人の対比的な存在が、多くの時間を費やしている映写室の時間の滞留を強調する。
アルフレッドの存在自体も「滞留」そのもの。自身が望んで映写技師をしているわけではなく自分しかいなかったというネガティブな成り立ちや、子供がいないこと、そして初等教育をキチンと受けていないこと等、アルフレッドの人生に進展がなく、留まった存在であるという要素を多く持っている。映写技師という仕事自体も、同じ映画を何十回も回しては巻き戻す。これも滞留を演出する一つだ。
ただ、この時期のトトからすれば映写室での出来事は真新しさの塊だ。だからこそ将来的に濃い思い出として郷愁の一ページに残るのだが、それは未来のトトにとっては「あのときの映写室」に滞留することを表す。それを端的に、そして辛辣に言葉にすると、「郷愁に騙されるな。ここにはなにもない」というアルフレッドのセリフになるのだろう。
停滞の無力さを映写室で長く過ごしてきたアルフレッドは身を持って実感している。だからこそ出てきた言葉であり、この言葉に説得力が生まれるのは前半1時間を映写室という滞留の時間に注いだからこそ。この時間の使い方が後半の物語に効いてくる。
物語後半は滞留した空間から長く離れていたトトに、長く離れていた分だけの郷愁が凝縮されてやってくる。その凝縮の密度は、上述した前半1時間分の密度だ。トトと同様、村の人々やジャン・カルロ村自体の変貌を浴びせられる感覚。自分自身が一気に年をとったような感覚がして震えた。
そしてなにより、郷愁を一気に浴びさせられたのはアルフレッドからの最後の贈り物だ。
あの切り取られたキスシーンフィルムは、単なるキスシーンを切って貼り合わせたフィルムではない。トトにとってはアルフレッドと神父が居て、それを覗き見する幼きトトがいたあの日を、まるでその場に戻ったかのように思い返すことのできる郷愁が凝縮されたフィルムでもあり、幼い頃見ることができなった未知なるフィルムだ。このフィルムからアルフレッドの「どうかあの日を覚えていてほしい」という郷愁を望む感情と、未だ未知なる世界に進み続けることを望む「郷愁に騙されるな」というアルフレッドの感情…そのアンビバレントな感情が勢いよく溢れ続けているように感じて、息を呑んだ。トトの涙はこうしたアルフレッドのメッセージをフィルムから受け取ったからではないか、と思う。
あの日の時間を思い返しながら揺蕩っていたトトを一気にあの日へ戻す物語後半の時間の緩急が
本当に素晴らしかった。
映画自体もいろんな映像を切って貼って作られるもの。ただ、その繋げ方や、その映画自体に寄り添う思い出によって映画は一人ひとりに違う感情を与えてくれたり、思い出させてくれる。
『ニュー・シネマ・パラダイス』。自分にとってたくさんある知らない名作の一つから、映画が好きな理由を明白にさせてくれるとても大事な作品になった。
○カメラワーク
・なんといっても母との再会のシーン。トトの帰宅に気づいた母が編み物をそのままに玄関へ急ぐ。どんどんとほつれていく毛糸、そしてそれが止まる。そのままカメラを窓へ向けて、タクシーが去っていくのを見せたあとに、二人が抱き合う姿を見せる。二人は会えたのだろう、と思えるモチーフを手前に据えて、再会のカットを演出する。
俳優の渾身の芝居へカメラを向けるだけ…というカメラワークも良いけれど、表情を映さずに二人の再会の万感の思いを演出するこのカットこそ、映像演出だと思うし、映画だと思う。
○その他
・アルフレッドの葬儀で神父と話をするときに、あんなに立派になって…とつぶやく神父が猛烈に良い。これは「でもぜひ(気安く声をかけて良い)というのなら、トト」と、話したあとのセリフなんだけど、最後に「トト」と呼ぶのを大切そうにつぶやいて上述のセリフに繋がるのが、最高に良い。映画館の思い出がトトやアルフレッドだけではない、というのがこのつぶやき方ですべて理解したような気持ちにさせてくれる。
正直このシーンが一番泣ける。
今まで実写映画のソフトを買ったことがないのだけど、完全版が見たいから買う予定。あぁ、良い映画に出会えたな・・・。
音楽とシチリアの景観も素晴らしいイタリア映画の名作。
主人公トトと映写技士アルフレードとの友好を主体に主人公トトが初恋等の経験をしながら半生を描いた作品です。
この映画のテーマは「別れ」と思います。!
主人公トトは現在ローマで大勢した映画監督であるがそれを得る為に大事な物との別れを経験している。
それは、「初恋の人」、「友アルフレード」、「家族」、「故郷」「町の人達」「昔ながらの映画劇場」です。!
「何か得る為には何かを失う」それをエンニオマルコーネの美しい音楽と乾いた雰囲気のシチリアの景観を描いて郷愁を誘う名作です。!
(個人的には映画音楽No1)
各シーンに本当に美しいメロディが効果的に使用されています。
特に印象深い「愛のテーマ」が流れるラストシーン(カットされたラブシーンを見るトト)は本当に素晴らしく感じる。
トトの表情もいいですね。!
ただ音楽が素晴らしいだけに音楽に頼りすぎてる印象があります。
それほど人の感情は音楽による影響は大きいと思います。
「タイタニック」も本当に感情が高ぶる所にうまく使用されていると感じます。
(映像と音楽があって映画とも言えますが。!)
でも、名シーンも数多くあることも事実です。
私が印象強く残ったシーンは映画館が爆破されてしまう所で、オーナーがアップになるシーンです。
深いシワが顔にきざまれた悲しみの表情は時代の変化を感じる切ないシーンです。
これは、日本の地方映画館が消えていく状況とまったく同じと思いました。
最後にこの作品で気になるのは、アルフレードがトトに話した「衛兵と王女」の童話である。
アルフレードがトトに今のお前には恋愛が早いと言いたかったのであろうか?
この童話がトラウマとなり大人になったトトが冒頭のシーンや母との会話でも判るように恋愛が上手くいってない事がうかがえる。
なぜ後1日なのに99日目で王女の前から去るのか。?(諸説あるようだ。)
アルフレードは答えを言わないで話しは終わる。
私は王女の幸福を第一に考えた場合、自分がその相手にふさわしくないと悟とった衛兵がせめて王女の心の底に自分を印象づける為に取った行動と思える。!
(100日間バルコニーの前にいる事は可能だと言う事を示した上で。!)
もう少し具体的に言うとせめて、王女の気持ちに自分と言う存在を生涯忘れさせない為に。!
そう思うし、そう信じたい。
皆さんはどう考えます。?
せひ皆さんの考えを教えて下さい。!
時代の流れ
かつて淀川長治さんがテレビで
「この映画は最高傑作です!」
と大絶賛しておられ確かにそのとおりだな〜と心から思える作品ではないでしょうか
年月が経てばほとんどのことが変わってしまいます、人々が集う広場や泣き笑いを共にした映画館、それと人の気持ちも
トトは都会で変わってしまっていた自分に気が付かずに何十年も過ぎてしまっていたのでしょうね
でもそうしなければ映画への夢を叶えられない事をアルフレードは分かっていたからこそ「帰るな!」と言ったのだと思います
周りは、世界は変わるものだらけです、でもね
どうしたって変わらないものがあるのです
トトが何十年ぶりかで会う母親とのシーン、あの編み物のほどけるシーンです
トトの部屋も、アルフレードへの愛情、街の人々も広場の主も
アルフレードからの贈り物を見れば彼の愛情だってずっと変わっていなかったことに気がつくはずです
そう、この作品から感じ取れるノスタルジックな感覚こそが私達の心にある変わらない気持ち、その事に気が付いた時の心地よさがこの作品から溢れ出て私を離さない
観た後にまた観たくなるほどです
お前は俺よりも盲目だ
トトにとってアルフレッドはどんな存在だったのか。
逆にアルフレッドにとってトトはどんな存在だったのか。
絶対にこの街に帰ってくるな。むかし射影室に好きで夢中ったように何かに夢中になれ。ノスタルジーなんかに浸るな。
アルフレッドは全てわかっていた上で大好きたトトを成長させようとした。
その望みが叶うかのようにトトはアルフレッドから全て教わった。射映、恋愛、街からでること。小学校のテストだけはトトが教えてたね。
自分のようにはなってほしくない、もっと自由に生きてほしい。そう願って盲目の自分より世界をまだ見てないトトに向かって盲目だと言ったのかな。
そんな2人の関係が友達以上親子未満、あたたかくもどこかリアルで熱いものがこみ上げてきたよ。
そしてなんといっても小さなシチリアの街の世界観。そして劇中で流れる音楽。これらがまたたまらなく映画に引き込ませる。素晴らしい映画。
美しい映画美術
鑑賞し終わった後に、あまりの美しさに声が出ない。すぐに感想を書こうと思ったが、出てこないほどに魅了された。最初から最後までとても美しく、素晴らしい。人生というものを描いたこの作品では、誰もが経験するであろう、何かに熱中したり、大切な友達が出来たり、愛する人ができ、そして大切な人の死、思い出の故郷。小さな幼少期から成長し青年へと、そして歳を取り、年寄りとなる、3部構成で物語は進む。小さな頃はただただ映画が大好きな子供、何度も映画館に足を運び映画を見たり、おじさんの働く姿を見て憧れ、夢をみる。ここから主人公は人生を成長し生きる、戦争も経験し、恋というものも知り、故郷を離れたりもする。「人生」は経験から成長し、愛は人の人生を素晴らしいものにする。幼少期には知らなかった、キスシーンがどういうものなのか、そして歳を取り成長してから見る、キスシーンの素晴らしさ、愛というものの素晴らしさ。ラストシーンでの映画鑑賞をしたトトの心情はどんなものだったのだろうか。そしてエンドロールのタイミングもお洒落で音楽も素晴らしい、なんとも声が出ないほどに美しい映画美術。
甘美なノスタルジーがやるせなく心を動かす
海外用の編集版、即ち短縮版を鑑賞。昔の名作が沢山登場も一部しかわからないのは少々残念。とは言え、この監督、誰もの持っているだろう失われていくものへの切ない気持ち、そして郷愁と初恋と、名作映画と大好きだった大人への想いを掻き立ててズルイ。しかし、少年の無邪気さと映画技師役の素晴らしい演技と、女優さんの美しさ、綿密に組み立てられた脚本、そして心揺さぶる映像テクニックと美しい音楽が相まって、大きく感動させられてしまう。
これだけの甘いノスタルジックな物語を最後まで納得感を持たせたまま見せる監督のジュゼッペ・トルナトーレ、作品を見るのは初めてになるが見事な構想力と演出力で感服させられた。オリジナルの長尺版、そして他の作品も是非見てみたいものだ。
この期に及んで初鑑賞
何故か今の今まで、映画館ではもちろんのこと、レンタルしてみる事もなく、地上波でもBSでも、見る機会を逃し続けてきた作品。
あらすじも知っているようで知らなかった。
アルフレッドを通して、トトの成長を綴った作品だったんだね。
若い時に観ていたら、そこまで感動出来なかったかも知れない。中年になった今だからこそ、ジワジワと涙が溢れる感動を覚えました。
やっぱり映画はいいなぁ。映画館で観られたのも良かったです。
オープン記念でワンコインというのが申し訳ないくらい、良い昼下がりとなりました。
【王女と兵士】
昔は、僕の田舎のそれぞれの街に、映画館が一つや二つあった気がする。
今でも、県庁所在地や少し大きめの街には映画館はある。
でも、小さな街の映画館は、郊外のショッピングモールに併設されたシネコンに取って代わられ、閉鎖、取り壊された。
僕の85歳を超えた母親は、ジェームズ・ディーンがお気に入りで、「ジャイアンツ」が好きだ。
ジャイアンツで、ジェームズ・ディーンは主役ではない。
なぜ、「エデンの東」や「理由なき反抗」じゃないのかと聞くと、巨万の富を築きながら、愛を手に入れることが出来ないジェット(ジェームズ・ディーン)にどこか感情が揺さぶられるらしい。(単にカッコいいから好きで、感情が揺さぶられるだけだと僕は思っていますけどね😁)
そして、その後間もなく、ジェームズ・ディーンは交通事故で亡くなるが、それも、この作品を印象付けているように感じるというようなことを言っていた。
こんな悲劇のストーリーで、僕の母親のカタルシスは刺激されていたのだ。
たぶん、多くに人に、感情を揺さぶられたり、胸躍った映画がひとつやふたつは、あるに違いない。
この映画は、そんな人々に向けた作品なのだ。
「ニュー・シネマ・パラダイス」のなかで、アルフレードが、青年になったトトに話す「王女と兵士」の物語。
なぜ、100日目を前に兵士はバルコニーの下から立ち去ったのか。
人によって答えは様々なように思う。
立ち去る理由は人それぞれなのだ。
映画館が無くなっても、映画と共に過ごした日々は無くなりはしない。
記憶が薄れない限り、映画の物語も心の中に残る。
だが、日々を無為に過ごさず、サミュエル・ウルマンの「青春の詩」のようにつねに瑞々しい気持ちでチャレンジすることはもっと大切で、きっと映画の物語も、何か手助けしてくれるに違いない。
「お前の声を聞くより、お前の噂を聞く方が良い」
そうやって人の足を引っ張らず、人の背中を押し合えるような世の中であれば良いと思う。
そして、安易に答えを求めず、考え続けることも大切だ。
王女と兵士の物語をふと考えるように。
エンディングのフィルムから切り取られたキスシーンの数々。
静かなもの、情熱的なもの、笑顔のもの、抑えきれない感情など、全てのキスシーンの背景には異なる物語があるのだ。
僕達、ひとりひとりにも違う物語が隠されているように。
この物語は、映画を愛する全ての人に向けたメッセージなのだと思う。
あの優しく流れる音楽を作ったエンニオ・モリコーネが7月に亡くなった。
早くコロナが終息して、まあ、イタリア人だけに限ったことではないが、世界中の人が、前のように気軽にハグしたり、キスしたりできる世界が戻ってくればいいと心から思う。
変わり続ける
とても美しい映画でした。
「一度村を出たら、長い年月帰るな。
年月を経て帰郷すれば、友達や懐かしい土地に再会できる。
人生はお前が見た映画とは違う。
人生はもっと困難なものだ。行け。ローマへ戻れ。」
アルフレードのこの言葉の意味が最初はイマイチわかりませんでした。
でも映画見終わって考えて、なんとなく自分なりに解釈できました。
トトは帰ってきて、変わり果てた街を見て「何も変わってなかった」と言います。
アルフレードは「ここにいると自分が世界の中心だと思っちまう」と言っていて、きっと村に居続けると置いていかれるんやろうな〜と思いました。
世界は変わり続ける。でも、村にいて、自分が世界の中心だと思ったままやと、自分は変われない。世界だけが変わって自分は取り残される。
外に出て、思い出にすがるのではなく、世界とともに自分も変わり続けることができれば、思い出は思い出のまま綺麗に残り続けるんじゃないかなと思いました。
閉館して、ボロボロになったニューシネマパラダイスの中を見ながらトトが昔を思い出すシーンでそう感じました。
見た目は変わっても、思い出はその中に残り続けてる。自分がその思い出の中に取り残されずに、歩み続けていれば振り返ることができる。そう思いました。
映画にしか興味がなかったトトが、映画より恋愛に夢中になることも、名誉を手に入れて大人になることも。変わることってやっぱり何かを失うことでもあって、寂しいけれど、変わることは悪いことではないんだって思わせてくれました。
何気ないシーンで涙があふれて止まらなくなった。なんだろー、今の自分...
何気ないシーンで涙があふれて止まらなくなった。なんだろー、今の自分が無意識に渇望してるものがこの映画には詰まってる感じがした。50セントをめぐる優しい嘘や、ほどけていく毛糸や、切れ端を繋げたフイルムに、忘れちゃいけない大事なものが宿ってる。
なんか良いね
すごく特別なストーリなわけでもないし、俳優さん方がめちゃくちゃ素敵とかかっこいい、かわいいと言うわけでもない。と言っては失礼だがこれは率直に私が思ったことだ。
でも、なんだかいいな、ジーンとくるなってなる心温まる後世に名を残す映画なのだと思った。アルフレードがトトを可愛がる様子は、本当に心から良いなと思ったし、またトトがアルフレードを慕う姿も自然と笑顔になるそんなシーンばかりで本当に良かったなぁ。
だがその後、幼少期のトトを演じた俳優さんの将来の姿を知って、心が苦しくなってしまった。
玉手箱が開く時、過去の大切な贈り物が蘇る。
日本の浦島太郎はお爺さんになったけど、イタリアの浦島太郎はこれからも歩み続ける勇気を貰った。
温かいものがこみあげてくる。そしてそれは涙になる。
悲しいんじゃない、憐れみでもない。自分が愛したもの、愛していてくれたもの、そんなものに改めて出会えた喜び。
「自分を愛せ。子どもの頃映写室を愛したように」アルフレードが言う。
映画好きにはたまらない。トーキーもちらっと出して、映画の初期から、TVの普及により映画の存続が危ぶまれた時代を駆け抜ける(結局、閉館した映画館はあるものの、映画そのものは衰退していないけどね)。映画が皆にどれだけ愛されていたか、街の人々の生活を織り込みながら話が進む。
別に、時折映画中に上映される映画について知らなくてもいい。映画の中の観客と同じ思いで映画を観た人ならば、十分その世界に入っていけるはずだ。締めだされてのブーイング。トトと同じキラキラした目で映画を観られればそれで、貴方はその世界の住人になれる。加えて、「へえ、トーキーってこんな感じだったんだ」「フィルムってこんな感じだったんだ」と当時の世界に浸れれば十分。
その物語を引っ張っていくのは、学歴はないけど人生の知恵が詰まった老映画師と、映画が好きで好きでたまらないトト。特に少年時代、あそこまで好きになれるものがあるってうらやましい。そして誰もなりたいなんて思わないだろうと思いつつ、密かにプライド掛けてやっていた仕事に、憧れてくれる小さな存在を知る。こんな幸せなことがあるだろうか。しかも、師と弟子のような二人を、悪ガキの友達にも見えるような描写(ex小学校卒業試験)。たまらない。一つ一つの当時の描写が丁寧に紡ぎだされる。
久しぶりに帰った故郷。浦島太郎。喪失感。基盤を失った気分。故郷は遠くにありて思うもの?
そんな気分に包まれている時に出会うあのラスト。
アルフレードは「帰ってくるな」と言った。「帰ってきても会わない」と。だとしたらあのフィルムはトトの為に取っておいたものではないのかもしれない。とうに捨てられたと思っていたのに大切に保管されていたもの。扱い如何によっては事故につながるのだから、いかにアルフレードが大切に扱ってきたのかが一目瞭然。しかも、上映できるように、繋ぎなおしてある!映写室・映画館での思い出があぶりだされてくる。それを大切にとっておいたアルフレード。
原点回帰。大切な人との思い出。それはトトにとっても、アルフレードにとっても。
そんな想いがグチャグチャになって、突き上げてくる。熱い思いが涙となる。
人生のいろいろな想いが押し寄せてくる、それでいて温かい気持ちに包まれる映画です。
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