マリア・シュナイダー : ウィキペディア(Wikipedia)
マリア・シュナイダー(Maria Schneider、本名:Marie Christine Gélin、1952年3月27日 − 2011年2月3日)はフランス・パリ出身の女優。父親はフランスの名優ダニエル・ジェランである。
略歴
パリで俳優のダニエル・ジュランとルーマニア人女性との間の私生児として生まれた。15歳で母親と喧嘩をして家を飛び出し、そのまま学校も退学しモデルを経て女優に転身し、1969年から映画に出演しはじめる。72年にマーロン・ブランドと共演した『ラストタンゴ・イン・パリ』で注目を浴びる。これは父のダニエルが、ブランドの古くからの友人であったのと、監督のベルナルド・ベルトルッチとブランドが推薦したことによるものであった。しかし、当時はあまりにスキャンダラスな内容とみなされたため、波乱の女優人生を余儀なくされる。1970年代にはドラッグの問題を抱えたり、自殺未遂を図った事もある。その後もトラブルが多く、『欲望のあいまいな対象』など頓挫してしまった作品も少なくないMaria Schneider Internet Movie Database。しかし1980年代にはドラッグ問題を克服し、晩年までコンスタントに脇役として芸能活動を続けた。
1974年にはバイセクシュアルであることを公表している。
2011年2月3日、ガンのため死去。。
代表作
公開年 | 邦題原題 | 役名 | 備考 |
---|---|---|---|
1969 | クリスマス・ツリーL'arbre de Noël | クレジットなし | |
1970 | 栗色のマッドレーMadly | ||
1971 | 花のようなエレHellé | ニコル | |
1972 | ラストタンゴ・イン・パリLast Tango in Paris | ジャンヌ | |
1974 | さすらいの二人Professione: reporter | 少女 | |
1975 | 危険なめぐり逢いLa baby sitter | ミシェル | |
1978 | 女教師ベニーナの性Io sono mia | スーナ | |
1979 | 夜よ、さようならLa dérobade | Maloup | |
1980 | キラー・トラックHaine | マデレーン | |
みんなドラキュラMama Dracula | ナンシー・ハワイ | ||
1984 | ヨーロッパ特急 | 日本映画 | |
1989 | バンカー・パレス・ホテルBunker Palace Hôtel | ミュリエル | |
1992 | 野性の夜にLes nuits fauves | ノリア | |
1996 | ジェイン・エアJane Eyre | バーサ | |
2002 | 愛のはじまりLa repentie | シャーロットの姉妹 | |
2006 | クロイツェル・ソナタ 愛と官能の二重奏Quale amore | ||
日本語出版
- マリアとユゲット・ペロル、伊藤緋紗子(解説)と共著『パリおしゃべり散歩』光文社、2003年
- ヴァネッサ・シュナイダー『あなたの名はマリア・シュナイダー 「悲劇の女優」の素顔』
- 星加久実訳、早川書房、2021年。ISBN 4-15-210017-6。著者は親族で「ル・モンド」紙記者
参照
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/12/14 23:05 UTC (変更履歴)
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