マーク・モーズリー : ウィキペディア(Wikipedia)

マーク・モーズリー(Mark DeWayne Moseley, 1948年3月12日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州レーンビル出身のアメリカンフットボールの元選手。フットボール現役時のポジションはプレースキッカー。1970年シーズンから1986年シーズンにかけて、NFL・ワシントン・レッドスキンズ等の4チームで16シーズンプレーした。

ストライキでシーズンが短縮された1982年シーズンにスーパーボウル制覇を経験し、シーズンMVPにも輝いた。スペシャルチームからMVPに選出された唯一の選手である。また、1984年シーズン開幕前に引退したと共に、ストレートキックタイプを採用し、レギュラーとして活躍した最後のプレースキッカーの1人として知られている。

プロ入り前

テキサス州リヴィングストンで育ったモーズリーは、リヴィングストン高校でフットボールをプレーした。高校卒業後、1965年から1966年までテキサスA&M大学に在籍し、1967年から1968年までステファン・F・オースティン州立大学に在籍した。 モーズリーは両校でクォーターバックとしてプレーしたが、ステファン・F・オースティン州立大学での4年時にプレースキッカーへと転向した。プレースキッカーに転向したこのシーズン、モーズリーは所属カンファレンスのシーズンフィールドゴール記録を樹立した。

NFL

キャリア序盤

モーズリーは、でフィラデルフィア・イーグルスから14巡目全体346位の指名を受け、NFL入りした。プレースキッカーがNFLでドラフト指名されたのは初のことであった。イーグルスを1年で解雇され、移籍したヒューストン・オイラーズもチームでの2シーズン目の序盤で解雇され、ほぼ2年間NFLから離れる生活をした。この2年間は、故郷のリヴィングストンの高校でコーチをして過ごした。その間、キッカーとしての練習を欠かさず、NFLのチームに手紙を送り続けた。その努力が報われ、1974年にワシントン・レッドスキンズとの契約を実現し、NFL復帰を果たした。

ワシントン・レッドスキンズ

ストライキでレギュラーシーズンが短縮された1982年シーズン、モーズリーはNFL記録となる21回連続フィールドゴールを成功させ、成功率95.2%(20/21)、76得点とリーグトップの記録でシーズンを終えた。この成績により、モーズリーはプレースキッカーとして初めてシーズンMVPに選出された。

シーズンMVPに選ばれたモーズリーは、プレーオフに入ると精彩を欠き、2試合で4本のフィールドゴールを外したが、第17回スーパーボウルでは、2本のフィールドゴール、3本のエクストラポイントを決め、チームのスーパーボウル制覇に貢献した。

1983年も、モーズリーは161得点でリーグトップとなる活躍をした。この年のNFCチャンピオンシップでは4本のフィールドゴールをミスしたが、最終的には勝利を決めるフィールドゴールを決めている。

キャリア終盤

1986年、38歳となっていたモーズリーはシーズン中盤でレッドスキンズから放出された。放出後、クリーブランド・ブラウンズと契約したが、このシーズンをもって引退をした。ブラウンズでは、ディビジョナルプレーオフのニューヨーク・ジェッツ戦で第4Qまでにフィールドゴールを2本外した後、延長戦で1本外し、ダブルオーバータイムで処理を決めるフィールドゴールを蹴った。

通算成績は、フィールドゴール300回成功(300/457,65%)、482エクストラポイント成功(482/512,94%)、トータル1,382ポイント、フィールドゴール成功数で4度のリーグトップに輝いた。

成績

レギュラーシーズン成績
SeasonTeam (record)
1970 PHI (3–10–1) 14 14 25 56.0 7–9 4–6 2–6 1–3 0–1 42 0 25 28 89.3 67
1971 HOU (4–9–1) 12 16 26 61.5 0–0 8–9 2–4 6–10 0–3 44 0 25 27 92.6 73
1972 HOU (1–13) 1 1 2 50.0 0–0 1–1 0–0 0–1 0–0 20 0 2 2 100.0 5
1974 WAS (10–4) 13 18 30 60.0 1–1 2–5 9–13 6–10 0–1 48 0 27 29 93.1 81
1975 WAS (8–6) 14 16 25 64.0 0–0 1–3 9–10 6–9 0–3 48 0 37 39 94.9 85
1976 WAS (10–4) 14 22 34 64.7 1–1 7–8 8–11 6–13 0–1 49 0 31 32 96.9 97
1977 WAS (9–5) 14 21 37 56.8 1–1 3–3 4–5 9–22 4–6 54 0 19 19 100.0 82
1978 WAS (8–8) 16 19 30 63.3 0–0 4–4 5–7 8–13 2–6 52 0 30 31 96.8 87
1979 WAS (10–6) 16 25 33 75.8 2–2 5–5 8–10 9–13 1–3 53 0 39 39 100.0 114
1980 WAS (6–10) 16 18 33 54.5 0–0 3–4 5–6 7–12 3–11 52 0 27 30 90.0 81
1981 WAS (8–8) 16 19 30 63.3 1–1 7–8 6–8 5–12 0–1 49 0 38 42 90.5 95
1982 WAS (8–1) 9 20 21 95.2 1–1 6–6 8–8 5–6 0–0 48 0 16 19 84.2 76
1983 WAS (14–2) 16 33 47 70.2 1–1 10–10 14–19 7–12 1–3 51 0 62 63 98.4 161
1984 WAS (11–5) 16 24 31 77.4 1–1 9–10 12–13 1–5 1–2 51 0 48 51 94.1 120
1985 WAS (10–6) 16 22 34 64.7 0–0 7–8 8–13 7–12 0–1 48 0 31 33 93.9 97
1986 WAS (12–4) 6 6 12 50.0 1–1 3–4 1–2 1–5 0–0 45 0 12 14 85.7 30
1986 CLE (12–4) 4 6 7 85.7 1–1 2–2 3–3 0–1 0–0 39 0 13 14 92.9 31
通算 (16シーズン) 213 300 457 65.6 18–20 82–96 104–138 84–159 12–42 54 0 482 512 94.1 1382

引退後

モーズリーは引退後、バージニア州のレストランチェーンの幹部として働いている。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/10/11 13:10 UTC (変更履歴
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