フランク・トーマス : ウィキペディア(Wikipedia)

フランク・エドワード・トーマスFrank Edward Thomas, 1968年5月27日 - ) は、アメリカ合衆国ジョージア州コロンバス出身の元プロ野球選手(一塁手、指名打者)。右投右打。愛称はビッグハートBig )。

経歴

プロ入り前

高校時代からアメリカンフットボールと野球の注目選手だったトーマスは、フットボールの名門校であるオーバーン大学にスポーツ奨学生として進学。フットボールをプレーしたのは1年足らずでその後は野球に専念することとなる。にはサウスイースタン・カンファレンスの最優秀選手に選出され、大学時代の通算49本塁打は学校新記録となった。

プロ入りとホワイトソックス時代

のMLBドラフト1巡目(全体7位)でシカゴ・ホワイトソックスに指名され入団。

はAA級バーミングハム・バロンズで109試合に出場し、打率.323、18本塁打、71打点を記録し、ベースボール・アメリカ・マイナーリーグ年間最優秀選手賞を受賞。8月2日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。名打撃コーチとして知られるウォルト・リニアックの指導を受け、打率.330、7本塁打、31打点、出塁率.454の好成績を残した。また、メジャーとマイナーで合計156四球を記録した。

は打率.318、32本塁打、109打点を記録し、シルバースラッガー賞を初受賞。9月28日のシアトル・マリナーズ戦でのシーズン最多四球の球団記録127を60年ぶりに更新し、最終的に138まで伸ばした。は打率.323、24本塁打、115打点、球団記録となるリーグ最多の46二塁打を記録。四球はリーグ最多の122で、球団史上初めて2年連続100四球を記録した。

は初めてオールスターゲームに選出された。打率.317、球団記録となる41本塁打、128打点を記録し、チームの10年ぶりの地区優勝に大きく貢献。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.353、両チーム最多の10四球を記録するが、2勝4敗で敗退しリーグ優勝はならなかった。オフにMVPを満票で受賞した。は開幕から本塁打を量産。前半戦だけで32本塁打を記録し、オールスターゲームに2年連続で選出され、初の先発出場を果たした。8月7日には球団史上最速で100打点に到達した。ストライキの為シーズンが打ち切られたが、打率.353(リーグ3位)、38本塁打(リーグ2位)、101打点(リーグ3位タイ)と三冠王も狙える大活躍。また両リーグ最多の109四球、OPS1.217を記録した。MVPの投票でも2位以下を大きく引き離し、2年連続で受賞した。アメリカンリーグで2年連続のMVP受賞は・のロジャー・マリス以来だった。

ストライキ明けのは3年連続でオールスターゲームに選出され、前年に続いて先発出場し4回に本塁打を放った。2年連続で全試合出場を果たし、40本塁打、111打点を記録した。

は7月11日に左足の疲労骨折で自身初の故障者リスト入りし、連続試合出場が346で途切れたが、アレックス・ロドリゲスに次ぐリーグ2位の打率.349、40本塁打、134打点を記録。は打率.347で自身初の首位打者を獲得。35本塁打、125打点を記録し、7年連続で打率3割・20本塁打・100打点・100得点・100四球を達成し、テッド・ウィリアムズがからにかけて(兵役による3年間の中断を挟む)記録した6年連続のMLB記録を更新した。

は29本塁打、109打点、109得点、110四球を記録したが、打率が.265と自己最低に終わった。プライベートでは離婚もあった。

は打率こそ.305だったが、故障と不調で15本塁打、77打点に終わり、デビュー年以来9年ぶりに20本塁打・100打点を下回った。4月17日に通算1000四球、6月6日に通算1000打点、6月24日に通算1500本安打、8月7日に通算300本塁打を達成するなど次々に大台をクリアした。オフには2年間の不振を払拭すべく、メジャー昇格時のホワイトソックスの打撃コーチだったウォルト・リニアックの下を訪れ、1ヶ月間の合宿を行なった。

は7月14日にルーク・アップリングの通算1116打点の球団記録を50年ぶりに更新。打率.328、共にキャリアハイの43本塁打、143打点を記録し、7年ぶりの地区優勝の原動力となった。マリナーズとのディビジョンシリーズでは無安打に終わり、チームも3連敗で敗退した。MVPの投票ではジェイソン・ジアンビに次ぐ2位に入り、カムバック賞を受賞した。

は怪我で4月27日を最後にシーズンを終え、キャリアワーストの成績に終わる。以後、度重なる故障に悩まされるようになった。

は7月25日のタンパベイ・デビルレイズ戦で史上36人目となる通算400本塁打を記録。8月には自己最多、球団史上2位タイとなる月間13本塁打を放ち、4日には通算2000本安打を達成した。打率は.267だったが、リーグ2位タイの42本塁打、105打点、3年ぶりの100四球を記録した。は足首の故障のため出遅れ、5月30日にシーズン初出場。しかし7月21日に故障者リスト入りしてシーズンを終え、打率.219、12本塁打、26打点に終わる。チームは46年ぶりのリーグ優勝を果たし、ヒューストン・アストロズとのワールドシリーズを4連勝で制して88年ぶりに世界一の栄冠を手にしたが、自身は1試合も出場できなかった。オフに球団は1000万ドルのオプションを破棄して350万ドルの違約金を払い、契約延長しないことを決め三尾圭「Frank Thomas STILLALIVE カムバック。フランク・トーマスOAK #35」『月刊スラッガー』2006年12月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-12、44 - 47頁。、16年間在籍したホワイトソックスを離れることになった。

アスレチックス時代

1月31日に1年50万ドルでオークランド・アスレチックスと契約。2005年終了時の通算出塁率.427は歴代13位(3000打席以上)で、出塁率を重視するアスレチックスにとって理想的な打者だった。トーマスは「もっと条件のいいチームはあったが、金ではなく、チャンスを与えてくれたアスレチックスに決めた」と語っている。9月に球団新記録の6試合連続本塁打を含む10本塁打、31打点を記録。打率.270、共にチームトップの39本塁打、114打点を記録し、チームの3年ぶりの地区優勝に貢献。ミネソタ・ツインズとのディビジョンシリーズでは、第1戦でポストシーズン史上最年長で1試合2本塁打を記録するなど打率.500を記録し、チームも3連勝でツインズを下した。デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは13打数無安打に終わり、チームも4連敗で敗退し、自身初のワールドシリーズ出場はならなかった。オフにフリーエージェントとなり、11月18日にブルージェイズと2年総額1800万ドル(3年目はオプション)で契約した。

ブルージェイズ時代

はトロイ・グロース、バーノン・ウェルズといった強打者と共に強力クリーンナップを形成した。6月17日にエドガー・マルティネスの指名打者としての本塁打243を抜いて歴代1位となった。6月28日には史上21人目となる通算500本塁打を達成。不振が続いた打撃陣の中で2001年以降最多の155試合に出場し、26本塁打、95打点は共にチームトップだった。

は打率.167、3本塁打、11打点と不振のため、4月20日に解雇される。

アスレチックス復帰

2008年4月24日にアスレチックスと契約し、2年ぶりに復帰。 8月29日の試合で負傷すると翌日60日間の故障者リストに入り、シーズン通算で打率.240、8本塁打、30打点に終わった。10月31日にフリーエージェントとなった。

引退後

2月12日、正式に引退を表明。同年8月29日に"フランク・トーマス・デー"が催され、トーマスのホワイトソックス在籍時の背番号『35』が永久欠番に指定された。 アメリカ野球殿堂入りする資格を得たの1月8日に、83.7%の得票率で殿堂入りを果たした。現在はFOXスポーツで全米ネットの解説者として活動している。

人物

  • 現役時代、打撃についてはホワイトソックス昇格時の打撃コーチだったウォルト・リニアックが提唱する「ラウ=リニアックアプローチ」の熱心な信奉者だった。リニアックは1995年にホワイトソックスを退団してプロを相手にしたコーチ業は引退しているが、先述の様にトーマスが不振に陥った際は助言を求めて合宿まで行った。引退後の殿堂入り式典でのスピーチではリニアックを名指しで賞賛し、感謝の弁を述べている。
  • 現役時代に日米野球に参加したことはなかったが、2013年と2014年夏に『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』の「リアル野球BAN」に出演するために来日。江戸川区出身、板橋区立成増ケ丘小学校卒業、石橋貴明の帝京高校後輩の「藤増君」という設定で参加。2013年の成績は6打数1安打、打率.167。2014年夏では8回裏に東京ドーム左翼席にサヨナラ本塁打を放つ。2014年の成績は7打数1安打、1四球、2打点、打率.143。通算成績は13打数2安打、2打点、打率.154。
  • 現役時代の1992年には映画「ミスター・ベースボール」にヤンキースの若手ホープ選手として出演している。この映画は日本の中日ドラゴンズが主な球団の舞台だがトーマス自身はアメリカでの撮影だった為来日していない。
  • からは一塁手としての守備試合数は大きく減少し、通算出場試合のうちの過半数が指名打者である。
  • ジェフ・バグウェルとは同じ生年月日で、彼はヒューストン・アストロズで活躍し、2017年にアメリカ野球殿堂に表彰された。

詳細情報

年度別打撃成績

CWS60240191396311371013101034402545.330.454.529.983
15870055910417831232309109120213813111220.318.453.5531.006
1607115731081854622430711563011122658819.323.439.536.975
15367654910617436041333128420131122325410.317.426.6071.033
1135173991061413413829110123071091226115.353.487.7291.217
14564749310215227040299111320121362967414.308.454.6061.060
1416495271101842604033013411081092657025.349.459.6261.085
146649530110184350353241251107109936915.347.456.6111.067
1607125851091553522928110970011110269314.265.381.480.861
1355904867414836015229773308871396614.305.414.471.885
1597075821151914404336414313081121859413.328.436.6251.061
207968815304301000011020120.221.316.441.757
14862852377132291282479230010882711510.252.361.472.833
1536625468714635042307105020410041211511.267.390.562.952
74311240536516018135490001|6436572.271.434.563.997
3412410519233012622600031600312.219.315.590.905
OAK1375594667712611039254114000681368113.270.381.545.926
TOR155624531631473002625595000581379414.277.377.480.857
167260710103201100001101133.167.306.333.639
OAK552171862049615721900012802446.263.364.387.751
'08計712892462759718923000013903579.240.349.374.723
MLB:19年2322100748199149424684951252145501704322301211667168871397225.301.419.555.974
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

年度球団一塁(1B)
試合刺殺補殺失策併殺守備率
1990CWS5142826553.989
19915645927243.996
199215814289213112.992
199315012228315128.989
19949973545774.991
19959073834767.991
19961391098859111.992
199797739491170.986
1998141166212.984
19994938518440.990
20003026715138.996
2001320112.955
2002438425.955
2003272069119.995
20044313021.000
MLB706559535260568.990
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

  • 首位打者:1回(1997年)

表彰

  • アメリカ野球殿堂(2014年)
  • シーズンMVP:2回(1993年、1994年)
  • シルバースラッガー賞:3回
    • 指名打者部門:1回(1991年)
    • 一塁手部門:2回(1993年、1994年)
  • カムバック賞:1回(2000年)

記録

  • MLBオールスターゲーム選出:5回(1993年 - 1997年)
  • 通算本塁打:521(歴代20位タイ、2020年終了時点、500本塁打クラブを参照)
  • 通算打点:1704(歴代26位、2020年終了時点)
  • 通算四球:1667(歴代10位、2020年終了時点)
  • 通算塁打:4550(歴代47位、2020年終了時点)

背番号

  • 15(1990年 - 同年途中)
  • 35(1990年途中 - 2008年、シカゴ・ホワイトソックスの永久欠番)

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 T

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/02 17:23 UTC (変更履歴
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