ビリ・フォルスト : ウィキペディア(Wikipedia)
ヴィリ・フォルスト (Willi Forst, 1903年4月7日 - 1980年8月11日) は、オーストリアの俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサー、歌手。
来歴
1903年4月7日、ウィーンでヴィルヘルム・アントン・フロースとして生まれた。父親は磁器の絵付け職人。
ウィーンとベルリンの劇場で俳優として活動した後、1920年にサイレント映画『Der Wegweiser』でデビュー。1927年の『Café Elektric』での演技でその名が知られるようになった。翌1928年にはマックス・ラインハルトのドイツ劇場に加入した。
1933年にはシューベルトの伝記映画『未完成交響楽』で映画監督としてデビュー。翌1934年の『たそがれの維納』は第2回ヴェネツィア国際映画祭で脚本賞を受賞した。同作はマックス・オフュルスの『たそがれの女心』(1953年)に影響を与えたことでも知られる。1937年には映画製作会社ヴィリ・フォルスト・フィルムを設立。同年にハリウッドに渡った。
1938年にオーストリアがドイツに併合されると、フォルストはナチスによって招かれたが、第二次世界大戦中に人気のあったウィンナ・オペレッタ作品に専念し、政治的な関与を避けた。この時期に製作された『Bel Ami』(1939年)や『維納物語』(1940年)、『Frauen sind keine Engel』 (1943年)などの作品は、現在ではいわゆるウィーン映画の古典として高く評価されている。
戦後、1949年に『Wiener Mädeln』を発表し、7年ぶりに映画監督として復帰した。1951年にはヒルデガルト・クネフを起用した『罪ある女』を発表。同作はドイツ映画で初めてとなる女性のヌードを撮影したことがカトリックから問題視されたが、観客動員数はおよそ700万人にも上った。1957年にはセンタ・バーガーのデビュー作となった『Die unentschuldigte Stunde』を発表。同年、『Wien, du Stadt meiner Träume』で映画監督から引退した。
1968年、ドイツ映画賞の生涯功労賞を受賞した。その後、1973年に妻のメラニーに先立たれた後はスイスのティチーノ州で暮らした。1980年8月11日、ウィーンにて77歳で死去した。
監督作品
- 未完成交響楽 Leise flehen meine Lieder (1933年)
- Unfinished Symphony (1934年)※『未完成交響楽』英語版
- たそがれの維納 Maskerade (1934年)
- マズルカ Mazurka (1935年)
- ひめごと Allotria (1936年)
- ブルグ劇場 Burgtheater (1936年)
- Serenade (1937年)
- Bel Ami (1939年)
- Ich bin Sebastian Ott (1939年)
- 維納物語 Operette (1940年)
- Wiener Blut (1942年)
- Frauen sind keine Engel (1943年)
- Wiener Mädeln (1949年)
- 罪ある女 Die Sünderin (1951年)
- Es geschehen noch Wunder (1951年)
- Im weißen Rößl (1952年)
- Dieses Lied bleibt bei Dir (1954年)
- Le chemin du paradis (1956年)
- Kaiserjäger (1956年)
- Die unentschuldigte Stunde (1957年)
- Wien, du Stadt meiner Träume (1957年)
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/12/24 23:58 UTC (変更履歴)
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