野村耕三 : ウィキペディア(Wikipedia)
野村 耕三(のむら こうぞう、1929年〈昭和4年〉10月14日 - 2001年〈平成13年〉10月15日)は、日本の作詞家、放送作家安らかなご永眠をお祈りいたします 2001年、日刊スポーツ、2010年1月3日閲覧。、脚本家である。日本作詩家協会理事を歴任した。本名同、ペンネームに山野 良夫(やまの よしお)がある。
人物・来歴
1929年(昭和4年)10月14日に生まれる。明治大学政治経済学部を卒業後、大蔵事務官に任官(昭和26年)、東京国税局 国税調査官などとして働いた経歴を持つ。
1960年(昭和35年)、西河克己監督、児井英生プロデュースの映画『俺の故郷は大西部』に本名で原作を提供、翌1961年(昭和36年)の野口博志監督、児井プロデュース作『早討ち無頼 大平原の男』以降、「山野良夫」名義で原案・原作を提供する。1962年(昭和37年)、野口監督・児井プロデュースの『惜別の唄』では共同脚本に名を連ねる。
その後、ラジオ・テレビの番組構成や、レコードの解説原稿や随筆等を執筆する。 1984年(昭和59年)からは作詞家として作品を発表し始め、北島三郎などに詞を提供した。
2001年(平成12年)10月15日、死去した。満72歳没。作詞家としての遺作は辰巳幸次郎の『葉がくれ』総おどり 葉がくれ - 辰巳幸次郎、Yahoo! ミュージック、2010年1月3日閲覧。。
フィルモグラフィ
- 『俺の故郷は大西部』 : 監督西河克己、脚本山崎巌、1960年 - 原作
- 『有難や節 あゝ有難や有難や』 : 監督西河克己、脚本山崎巌、1961年 - 原作
- 『早討ち無頼 大平原の男』 : 監督野口博志、脚本柳瀬観、1961年 - 「山野良夫」名義・原案
- 『黒い傷あとのブルース』 : 監督野村孝、脚本山崎巌・吉田憲二、1961年 - 「山野良夫」名義・原作
- 『北帰行より 渡り鳥北へ帰る』 : 監督斎藤武市、脚本山崎巌、1962年 - 「山野良夫」名義・原作
- 『惜別の唄』 : 監督野口博志、共同脚本山崎巌、1962年 - 共同脚本
ディスコグラフィ
すべて作詞作品である。
- 北島三郎
- 川(1987年)
- 拳(1993年)
- 竹(1997年)
- 風よ(2007年)
- 三沢あけみ
- 渡り鳥(1988年)
- 恋銀河(1992年)
- 天童よしみ
- あばれ玄海(1988年)
- 瀬川瑛子
- 連理の枝 (2001年)
著書
- 『波濤のうた―初代・浜田喜一物語』(1982年)みんよう春秋社 -単著
- 『日本民謡大百科 上 下』(1983年)ぎょうせい -共編著
註
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/04/04 14:04 UTC (変更履歴)
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