富野由悠季
日本のアニメーション黎明期から演出などを手がけてきたアニメーション監督で、SFロボットアニメの金字塔「機動戦士ガンダム」の生みの親。映画業界を志して日本大学芸術学部映画学科に入学するが、大学卒業時、映画会社に新卒採用がなく、1964年、手塚治虫が設立したアニメーション制作会社の虫プロダクションに入社する。そこで日本初の30分テレビアニメシリーズ「鉄腕アトム」(63~66)の演出や脚本に携わり、全193話の「鉄腕アトム」のうち最多となる25本を演出した。67年に虫プロを退社。その後も多数のアニメプロダクションで演出を担当し、誰よりも早く絵コンテを切ることで業界内の評判を集めた。72年の「海のトリトン」が初の監督作品となり、その後は「勇者ライディーン」(75)、「無敵超人ザンボット3」(77)などロボットアニメを手がけるように。そして79年、大ヒット作となる「機動戦士ガンダム」を世に送り出す。同作は81~82年に劇場版3部作としても公開され、続編の「機動戦士Zガンダム」(85)以降も40年以上にわたり、富野自身や数多くのクリエイターによって続編や関連作品が生み出されている。ガンダムシリーズ以外の主な監督作に「伝説巨神イデオン」(80)、「戦闘メカザブングル」(82)、「聖戦士ダンバイン」(83)、「重戦機エルガイム」(84)、「ブレンパワード」(98)、「OVERMANキングゲイナー」(2002)など多数。旧ペンネームは本名と同じ富野喜幸。主題歌などの作詞家としては井荻麟、演出では斧谷稔など複数のペンネームを用いる。