ジョー・ダマト : ウィキペディア(Wikipedia)

ジョー・ダマト(, 出生名はアリスティド・マッサチェッジ, 1936年12月15日 - 1999年1月23日 )は、映画監督、映画プロデューサー、撮影監督、脚本家である。イタリア、ローマ生まれ。

略歴

チネチッタで電気技師として働く父親を通じて映画の環境に親しむようになった。1961年には撮影技師としてのキャリアをスタートさせ、1969年には撮影監督として作品を手掛けるようになる。 1972年には撮影監督として他作品を手掛けながら自ら監督として映画の製作を開始。 ポルノ映画を皮切りにジャンルを問わずヒット作を無節操に模倣した低予算映画を量産するようになり、ソード&サンダル、食人族もの、ゾンビもの、スプラッター、世紀末バイオレンスものなどその数は200を超える。最大の関心事は配給収入であり、作品性や芸術性は二の次で「金にならなかったら失敗作」と公言していた。 その姿勢は自ら手掛けた映画にも徹底しており、カルト映画マニアとして知られるクエンティン・タランティーノによるイタリアンホラー映画の再評価の動きで過去の自作が取り上げられても無関心だった。 1980年代にはミケーレ・ソアヴィを見出すなどプロデューサーとしても手腕を発揮している。

1999年1月23日に死去。63歳没。息子のダニエレ・マサチェシは『ジェミニマン』や『プロメテウス』などのハリウッド映画のカメラオペレーターを担当している。

数々の変名

作品クレジットには変名を多数用いることで知られ。 その変名は次の通り。

  • ケヴィン・マンキューゾ Kevin Mancuso
  • サラ・アスプルーン Sarah Asproon
  • ジョン・シャドー John Shadow
  • スティーヴ・ベンソン Steve Benson
  • ダニエル・デイヴィス Daniel Davis
  • ダリオ・ドナッティ Dario Donati
  • デヴィッド・ヒルズ David Hills
  • フェデリコ・スロニスコ Federico Slonisco
  • フレッド・スロニスコ・Jr Fed Slonisco Jr.
  • マイケル・ウォトルーバ Michael Wotruba
  • ラフ・ドナート Raf Donato

フィルモグラフィ

  • 『猟奇変態地獄』 Emanuelle e gli ultimi cannibali(1977) アリスティド・マサチェッジ名義
  • 『ビヨンド・ザ・ダークネス 嗜肉の愛』 Buio Omega(1979) アリスティド・マサチェッジ名義
  • 『ゾンビ99』 Le notti erotiche dei morti viventi(1979)
  • 『猟奇!喰人鬼の島』 Anthropophagus(1980)
  • 『世紀末戦士アトー/炎の聖剣』 ATOR(1982)デヴィッド・ヒルズ名義
  • 『ブラッド・ピーセス/悪魔のチェーンソー』MIL GRITOS TIENE LA NOCHE(1983) 脚本 ジョン・シャドー名義
  • 『核戦士シャノン』 ENDGAME - BRONX LOTTA FINALE(1983)スティーヴ・ベンソン名義
  • 『キリング・バード』 KILLING BIRDS - UCCELLI ASSASSINI(1987)フレッド・スロニスコ・Jr名義

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/03/13 14:41 UTC (変更履歴
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