澤井信一郎 : ウィキペディア(Wikipedia)
澤井 信一郎(さわい しんいちろう、1938年8月16日 - 2021年9月3日)は、日本の映画監督。
経歴
静岡県浜名郡雄踏町(現在の浜松市西区)出身「静岡を舞台とした映画・小説」『中小企業静岡』2000年7月号。父は代用教員を経て呉服屋を経営。兄は四日市公害関係の記録人である沢井余志郎。
中学時代はハーモニカに熱中。静岡県立浜松北高等学校ではドイツ文学に熱中し、テオドル・シュトルムなどを読み耽り、その延長線上で東京外国語大学ドイツ語科に進学。学生運動に深入りし同大学社会主義学生同盟の主要メンバーとなるが、60年安保を機に運動から離れる。同大学卒業後、1961年東映入社。マキノ雅弘に師事した。
1981年、『野菊の墓』で映画監督デビュー。
1985年、『早春物語』で第26回日本映画監督協会新人賞を受賞した。
2021年9月3日午後7時5分、多臓器不全のため、東京都内の病院で死去。。死去公表時には妻が、「しばらく闘病生活を続けており、もう一度映画の現場に立つことを夢見ておりましたが、かなうことなく旅立ちました。澤井の監督した作品をもう一度ご覧いただき、しのんでいただくのが何よりの供養になることと思います。」とコメントを発表した澤井信一郎監督が83歳で死去「Wの悲劇」は女優2人の人生変えた スポーツ報知 2021年9月7日。
2024年には「Wの悲劇」のロケ地となった調布市で資料展が開催された。
フィルモグラフィー
映画
監督
- 野菊の墓(1981年)
- Wの悲劇(1984年) - 兼脚本
- 早春物語(1985年)
- Apartment Fantasy めぞん一刻(1986年)
- 恋人たちの時刻(1987年)
- ラブ・ストーリーを君に(1988年)
- 福沢諭吉(1991年)
- わが愛の譜 滝廉太郎物語(1993年) - 兼脚本
- 日本一短い「母」への手紙(1995年) - 兼脚本
- 時雨の記(1998年) - 兼脚色
- 仔犬ダンの物語(2002年)
- 17才 〜旅立ちのふたり〜(2003年)
- 蒼き狼 〜地果て海尽きるまで〜(2007年)
助監督
- 昭和残侠伝 死んで貰います(1970年)
- ポルノの帝王 失神トルコ風呂(1972年)
- 夜の歌謡シリーズ なみだ恋(1973年)
- 色魔狼(1973年)
- 0課の女 赤い手錠(ワッパ)(1974年)
- 従軍慰安婦(1974年)
- 華麗なる追跡(1975年)
- トラック野郎・爆走一番星(1975年) - 兼脚本
- トラック野郎・望郷一番星(1976年) - 兼脚本
- トラック野郎・一番星北へ帰る(1978年)
- 動乱(1980年)
脚本
その他
- わが映画人生 マキノ雅裕監督 (2002年) インタビュアー
- 映画を語る 東映大泉篇・II (2003年) 司会
テレビドラマ
- 大激闘マッドポリス'80(1980年、日本テレビ) - 助監督
- Gメン'75 344話(1982年、TBSテレビ) - 脚本
- 月曜ワイド劇場「かりそめの妻」(1982年、テレビ朝日) - 監督・脚本
- 宇宙刑事シャイダー(1984年 - 1985年、テレビ朝日) - 監督
- 重甲ビーファイター(1995年 - 1996年、テレビ朝日) - パイロット版監督
- 将軍の隠密!影十八(1996年、テレビ朝日) - メイン監督
- 刑事追う! 第15話(1996年、テレビ東京) - 監督
- 女優X 伊澤蘭奢の生涯(1996年、TBS) - 監督
- 蒲生邸事件(1998年、NHK-BS9) - 監督
著書
受賞歴
- 第39回毎日映画コンクール 脚本賞(『Wの悲劇』)
- 第26回日本映画監督協会新人賞(『早春物語』)
- 第9回日本アカデミー賞 最優秀監督賞(『Wの悲劇』、『早春物語』)
- 第9回日本アカデミー賞 優秀脚本賞(『Wの悲劇』)
- 第17回日本アカデミー賞 優秀監督賞(『わが愛の譜 滝廉太郎物語』)
- 第17回日本アカデミー賞 優秀脚本賞(『わが愛の譜 滝廉太郎物語』)
- 1993年、山路ふみ子文化財団特別賞を受賞。
- 2006年4月、紫綬褒章を受章。
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/12/30 22:52 UTC (変更履歴)
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