野田英樹 : ウィキペディア(Wikipedia)

野田 英樹(のだ ひでき、1969年3月7日 - )は、日本のレーシングドライバーで元フォーミュラ1ドライバー。大阪府出身。身長170cm。NODAレーシングアカデミー高等学院校長、NPO法人青少年少女モータースポーツ振興会代表理事。

経歴

1982年にカートレースでデビュー。1987年よりフォーミュラカーでのレースを始め、1988年より中嶋悟率いる中嶋企画に加入し全日本F3に参戦。1989年には中嶋企画の支援を受け渡英し、イギリスのジュニア・フォーミュラであるフォーミュラ・ヴォクソール・ロータス・ヨーロッパ選手権に参戦する。

1990年と1991年にはよりイギリスF3選手権に参戦し、日本人2番目のイギリスF3勝者となった。1992年(3001インターナショナル)から1993年(トムスGB)・1994年(フォルティ・コルセ)まで国際F3000に参戦し、同選手権での日本人として初めての表彰台(1994年第4戦エンナ・ペルグーサでの3位)を獲得する。

1994年には、ラルースよりヨーロッパGP以降の3レースにスポット参戦しF1デビューを果たす。しかし、参戦したレースでは何れも後方グリッドからリタイアと結果を残せなかった。

1995年は一度はシムテックと全戦契約を結んだが、阪神淡路大震災の被害を受けたスポンサーが撤退したため、序盤戦はドメニコ・スキャッタレーラにシートを譲り、第6戦カナダGPから参戦する契約を結ぶこととなった。スポンサー・フィーは払い込んだものの、そのシムテックが資金難のために第5戦モナコGPを最後に撤退(事実上のチーム消滅)するという事態に陥る。パシフィックGPと日本GPには古巣フォルティコルセからスポット参戦が決まっていたが、スーパーライセンスが発給されず直前になって断念。野田はこの年F1に出走することはかなわなかった。

1996年からはアメリカに活動の場は移して、ステップダウンを覚悟してインディ・ライツに参戦。1997年にはシリーズ第8戦で優勝するも、トップカテゴリーであるインディカー・シリーズに昇格する夢は叶わなかった。

1998年より日本に戻り、フォーミュラ・ニッポンと全日本GT選手権(現:SUPER GT)に参戦する。なお、1999年のGT選手権には当初舘信吾とコンビを組んで参戦するはずであったが、開幕前のTIサーキット英田でのテストで舘が事故死し急遽代役となったワイン・ガードナーとともに参戦している。

2003年には自らのチーム「Team MOHN」を立ち上げ、フォーミュラ・ニッポンに2005年まで参戦した。また、2005年には福田良とコンビを組み、この年からスタートした2005-2006A1グランプリに日本チームとして第2戦ドイツのみに参戦した(スプリントレース10位、フィーチャーレース9位・チーム総合順位21位)。

2006年は新たに始まった全日本スポーツカー耐久選手権に一ツ山レーシングからLMP1クラスよりザイテックをドライブし参戦している。

2007年は前年に引き続き参加した全日本スポーツカー耐久選手権にて、一ツ山レーシングからLMP1クラスよりザイテックをドライブし参戦し、優勝を飾る。

2010年のル・マン24時間レースを最後に現役を引退、今後は後進の指導などに務めることを表明したが、2012年一ツ山レーシングからSUPER GTに参戦するため、一時的に現役復帰した。

現在は2013年4月に開校した「NODAレーシングアカデミー高等学院」の校長を務める。同校は星槎国際高等学校との提携により「モータースポーツを学びながら高校卒業資格が得られる」ことを売りとしており、野田自身も講師として指導に当たっている。同校は当初、栃木県茂木町(ツインリンクもてぎ)を本拠としていたが、2015年4月に岡山県美作市に移転し、以後は岡山国際サーキットを拠点としているレーサー養成学校が美作に移転 4月から岡山国際サーキット拠点 - 山陽新聞digital・2015年3月2日。

2014年、SARD RACING PROJECTのGMに就任。

2015年、スーパーGT 500クラスに参戦するLEXUS TEAM SARDの監督に就任。サード(企業)と組みFIA-F4のスカラシップも創設。

エピソード

所属チームについて

中嶋企画は1991年にイギリスF3を終えた野田を、1992年は帰国させて全日本F3000の自チームに起用する方針を持っていたが、早期のF1進出を目指す野田はヨーロッパでのレース活動を希望。野田は中嶋企画を離れ、自力での国際F3000ステップアップを果たした。

2003年に自らのチーム「Team MOHN」を立ち上げ、オーナードライバーとしてフォーミュラ・ニッポンに参戦したが、本人曰く、「マネージャーとドライバーの二足のわらじを履くのは本当に大変なことだった」と語り、2006年からは純粋にドライバー業に専念することとなった。

THE ALFEEとの関係

スポンサーだったティノラス社長の野崎が、THE ALFEEの所属事務所"PROJECT III"社長の関口と、かつて同じアパレル会社で上司と部下の関係で親友でもあるという事で、国際F3000参戦中に関口に紹介され、それ以来THE ALFEEとの交友関係が始まる。1995年リリースされたアルバム『夢幻の果てに』収録されている"WILD BAHN!"は、野田のために書き下ろされた応援歌である(曲中のエグゾーストノートも実際に野田のF3000マシンの音)。1994年にMM21臨港パークで開催された野外コンサート"KING'S NIGHT DREAM"では、コンサート開演前のイベントの一環でサイン会が行われ、1997年に稲毛海浜公園で開催された夏の野外イベント"Emotional Field"では、スクリーンにインディライツ・ポートランド戦で優勝を飾った映像を流しながら"WILD BAHN!"を演奏、ステージに登場した野田がメンバーに花束を渡す演出があった。その他、F1にスポット参戦した際などに、マシンやヘルメット・レーシングスーツなどにTHE ALFEEのロゴが貼られることがあった。

家族

娘のJuju(野田樹潤)もレーシングドライバーの道に進み、2017年4月には11歳ながら岡山国際サーキットで行われたフォーミュラU17戦で優勝小6女子プロレーサーJuju 師匠は父野田英樹 - 日刊スポーツ・2017年6月28日。同年6月にはミキハウスなどが中心となり後援会も発足した野田英樹氏の娘・Juju、目標は日本人初の女性F1レーサー「F1で優勝したい」 - サンケイスポーツ・2017年6月26日。

レース戦績

フォーミュラ

全日本F3選手権

チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1988年 JAXレーシングチーム with トムス レイナード 873 トヨタ 3S-G SUZRet TSU3 FSWRet SUZ9 SUGDNS TSU17 SEN9鈴鹿サーキット|DSQ NIS8 SUZ 10位 4

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イギリス・フォーミュラ3選手権

チーム シャーシ エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
1990年 アラン・ドッキング・レーシング ラルト RT34 無限 A DON7 SIL6 THRRet BRHDNS SIL6 BRH9 THR11 SIL16 DONRet SILRet SNERet OUL6 SIL5 BRH11 DON4 THR10 SILRet 12位 8
1991年 ラルト RT35 A SIL2 THR4 DONRet BRH10 BRH5 THR4 SIL4 DON7 SIL4 SIL5 SNE12 SIL1 BRH7 DON7 SIL5 THR4 7位 36

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マカオグランプリF3

チーム シャーシ/エンジン 予選 レース1 レース2 総合順位
1988年JPN JAXレーシング レイナード・883 トヨタ・3S-G 18位 NC (24位) DNS NC
1991年GBR アラン・ドッキング・レーシング ラルト・RT35 無限・MF204 9位 9位 21位 18位

国際F3000選手権

チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1992年 3001インターナショナル レイナード・92D 無限 SILRet PAUDNQ CATRet PERRet HOCDNS NÜR14 SPA17 ALB12 NOGRet MAG8 NC 0
1993年 TOM'S レイナード・93D コスワース DONRet SIL11 PAU9 PER HOCRet NÜR19 SPA15 MAGRet NOG11 NC 0
1994年 フォルティ・コルセ レイナード・94D コスワース SIL5 PAURet CATRet PER3 HOCRet SPA7 EST16 MAG11 10位 6

(key)

全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン

チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1993年 TOM'S レイナード・93D コスワース SUZ FSW MIN SUZ AUT SUG FSW FSW SUZ FSW19 SUZRet NC 0
1998年 COSMO OIL RACING TEAM CERUMO ローラ・T98/51 無限 SUZ5 MINRet FSW5 TRM6 SUZRet SUG3 FSWC MINRet FSW9 SUZRet 10位 9
1999年 BE BRIDES IMPUL ローラ・B99/51 SUZRet TRM16 MIN13 FSW14 11位 7
レイナード・99L SUZ6 SUGRet FSWRet MIN2 TRM9 SUZ11
2000年 Team Le Mans SUZRet TRM10 MIN3 FSW15 SUZ2 SUGRet TRM5 FSW6 MIN17 SUZ5 5位 15
2001年 DoCoMo TEAM DANDELION RACING レイナード・2KL SUZRet TRMRet MINRet FSW13 SUZ12 SUGRet FSW13 MINRet TRMRet SUZ11 NC 0
2003年 CARROZZERIA Team MOHN ローラ・B351 SUZ6 FSW10 MIN8 TRMRet SUZ12 SUGRet FSWRet MIN10 TRMRet SUZ10 13位 1
2004年 SUZ9 SUG8 TRM11 SUZRet SUG12 MINRet SEPRet TRM11 SUZ14 NC 0
2005年 TRMRet SUZRet SUG10 FSWRet SUZ9 MINRet FSW10 TRM8 SUZ13 NC 0
  • 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)

F1世界選手権

チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
1994年 ラルース LH94 フォード・HB VIII 3.5L V8 BRA PAC SMR MON ESP CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR EURRet JPNRet AUSRet NC 0

(key)

アメリカン・オープンホイール

インディ・ライツ

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
1996年 インディ・レージェンシー・レーシングMIA11LBH16NAZ7MIS13MIL12DET16POR20CLE5TOR3TRO12VAN13LGA15 14位 34
1997年MIA18LBH19NZR16SAV6STL16MIL14DET14POR1TOR15TRO6VAN3LGA12FON 9位 51
  • 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。()

インディカー・シリーズ

チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 順位 ポイント
2002年 コンヴァージェント・レーシング Gフォース シボレーHMS23PHX10FON25NZRINDYTXSPPIRRIRKANNSHMISKTY 32位 54
インディ・レージェンシー・レーシングSTL17CHI24TXS27

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全日本GT選手権/SUPER GT

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1998年 TOYOTA TEAM CERUMOトヨタ・スープラ GT500SUZ9FSWCSENRetFSWRetTRM5MIN12SUG3 11位 22
1999年エッソウルトロン トヨタ チーム ル・マン GT500SUZFSW8'SUG'16MIN5FSW1TAI9TRM13 12位 33
2000年 GT500TRM8FSW4SUG7FSW15TAI7MIN5SUZ6 9位 35
2001年 ESSO TOYOTA Team LeMans GT500TAIRetFSW1SUG5FSW3TRM13SUZRetMIN14 7位 40
2002年 TOYOTA TEAM TOM'S GT500TAIFSWSUGSEPFSWTRMMINSUZ16 NC 0
2003年TEAM ADVAN・ツチヤ GT500TAIFSWRetSUGFSWFSWTRMAUTSUZ NC 0
2005年 GT500OKAFSWSEPSUGTRMFSWRetAUTSUZ 20位 1
2006年 TOYOTA TEAM TSUCHIYA GT500SUZOKAFSWSEPSUGSUZRetTRMAUTFSW 28位 5
2012年 HITOTSUYAMA RACING アウディ・R8 LMS ウルトラ GT300OKA18FSW16SEPSUGSUZFSWAUTTRM NC 0
  • 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回 順位 クラス順位
2008年 DEU クルーゼ・シラー・モータースポーツ FRA ジーン・デ・プルタレスDNK アラン・シモンセン ローラ・B05/40-マツダ LMP2 147 DNF DNF
2009年 FRA ジーン・デ・プルタレスHKG マシュー・マーシュ ローラ・B07/46-マツダ LMP2 261 DNF DNF
2010年 FRA ジーン・デ・プルタレスGBR ジョナサン・ケナード ローラ・B07/40-ジャッド LMP2 291 26位 10位

関連項目

  • モータースポーツ
  • F1ドライバーの一覧
  • ティノラス - 長年に亘りパーソナルスポンサーを務めた

外部リンク

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