リック・オケイセック : ウィキペディア(Wikipedia)
リック・オケイセック (Ric Ocasek 、1944年3月23日 - 2019年9月15日) は、アメリカのミュージシャン、音楽プロデューサー。ロック・バンド、カーズのリード・ボーカリストとして、ベンジャミン・オールと共に知られており、リズムギターと作曲を担当している。
メリーランド州ボルチモア生まれDavid Fricke. "Workaholic Ric Ocasek Freaks Out at Vacationtime." Omaha (NE) World-Herald, March 21, 1982, p. E8.。16歳の時、NASAのコンピュータアナリストだった父に連れられ、オハイオ州クリーブランドに移転。ここで、WEWS-TVという人気ローカルバンドのメンバーとして活動していたベンジャミン・オールに初めて出会う。リックは彼の演奏が気に入り、連絡を取るようになったJane Scott. "In the Driver's Seat." Cleveland Plain Dealer, November 14, 1986, Friday Magazine, p. 42.。リックは少しの間、トレドにあるボーリング・グリーン州立大学に通ったがVincentelli, Elisabeth (October 17, 2004). "Just What They Needed?", New York Times、音楽活動を続けるために中退するSusan Ladd. "Leader of the Cars Knows How to Crank Out Video Hits." Greensboro (NC) News & Record, July 13, 1984, p. B1.。コロンバスでベンジャミンと再会し、2人でバンド活動を始め、オハイオ州立大学周辺で演奏するようになるJane Scott. "Cars Are Roaring Back." Cleveland Plain Dealer, August 7, 1984, p. 5C.。1989年には、3番目の妻でモデルのポーリーナ・ポリツィコヴァと結婚Laura C. Smith. "My husband the Car." Entertainment Weekly, August 18, 1995, p. 68.。ポーリーナとの間の2人の息子を含め、3人の妻との間に6児を儲けたDavid Fricke. "The Return of the Cars." Rolling Stone, June 9, 2011, pp. 50–53.。2019年9月15日、ニューヨーク・マンハッタン東19番街の自宅アパートで亡くなっているのを発見された。
結成前
1970年代初頭に、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングに影響を受けたリックは、友人のベン・オルゼチョフスキー(ベンジャミン・オール)とフォークバンド「ミルクウッド」を結成したScott, Jane. "Cars Are Roaring Back" The Plain Dealer August 7, 1984: 5C.。バンドは1973年に『How's the Weather』というアルバムをパラマウント・レコードからリリース。アルバムは成功せず、リリース後すぐに発売中止となり、バンドも解散してしまった。ベンジャミンとリックは、「リチャード・アンド・ザ・ラビッツ」(名前はジョナサン・リッチマンに提案された)という新しいバンドを結成https://www.linkedin.com/in/greghawkes。1974年には、ボストン・グラウンド・ラウンド・レストランでデュオとして演奏したが、ある夜、会社の副社長が「家族に優しい環境」ではないと言い、彼らは解雇された。
カーズ
リックは、後に「カーズ」と改名することとなるニュー・ウェイヴバンド「キャプテン・スウィング」の創立メンバーとなってから急激に成功し、1978年から1988年にかけて数々のヒットソングを世に出した。彼はリズムギターを演奏し、ほとんどの曲のリード・ボーカルもとっている(残りの曲は、ベーシストのベンジャミン・オールが担当)。1970年代にベンジャミンと激しい作曲権争いがあったが、その後はバンドのソングライターともなっており、カーズのほとんどの曲は彼の名前がクレジットされているが、バンドメイトであるグレッグ・ホークスとの共作も数曲存在する。2010年、リックは、死去したベンジャミンを除く残りのオリジナル・メンバーと再会し、24年ぶりのスタジオ・アルバム『ムーヴ・ライク・ディス』のリリースを2011年5月10日に果たしている。
ソロ活動
1982年には、初のソロ・アルバムをリリースした。『ビーティチュード』は、カーズのニュー・ウェイヴ・ロックサウンドをさらに実験的にしたものとなっている。シンセサイザーがさらに重厚になった『ディス・サイド・オブ・パラダイス』は、1986年にリリース。15位を記録したヒット・シングル「エモーション・イン・モーション」は、このアルバムに収録されている。
カーズは1988年に解散し、リックは数年間、表舞台から退いた。復帰したのは1990年のソロ・アルバム『ファイヤーボール・ゾーン』であり、「ロッカウェイ」は少しの間チャートインしたが、カーズ時代の成功と比べるとアルバムのセールスは優れなかった。その後10年間、1993年には『クイック・チェンジ・ワールド』、1996年には『Getchertikitz』(スーサイドのアラン・ベガとの共作、実験音楽)、1997年の『トラブライジング』(ビリー・コーガンがプロデュース、カーズ解散後初となる短いツアーも敢行した)と、他にもソロ作品をリリースしている。2005年、リックは『ネクスタデイ』をリリースし、少し派手なサウンドを聴くことができ、レビューでも高評価を受けた。
作曲
カーズ在籍時、リックは音楽プロデューサーとしても活動し、成功していた。様々なジャンルにおいて、多くの将来有望なバンドをプロデュースした。このなかには、バッド・ブレインズの『ロック・フォー・ライト』やガイデッド・バイ・ヴォイシズの『ドゥ・ザ・コラップス』が含まれ、その他にも、ウィーザーの『ブルー・アルバム』、『グリーン・アルバム』、スーサイド、ロメオ・ヴォイド、ホール、ベベ・ビュエル、ノー・ダウト、ナダ・サーフ、ブラック47、バッド・レリジョン、ジョニー・ブラボー、Dジェネレーション、ウァナディーズ、ポッサム・ディクソン、マーティン・レヴ、ジョナサン・リッチマン、ピンク・スパイダーズなどにもクレジットされている。また、モーション・シティ・サウンドトラックのサードアルバム『イーヴン・ イフ・イット・キルズ・ミー』のプロデュースにも参加しており、2014年には、ウィーザーの9枚目のアルバム『エヴリシング・ウィル・ビー・オールライト・イン・ジ・エンド』(ウィーザーとの活動は3作目)やザ・クリブスの『フォー・オール・マイ・シスターズ』を手がけているhttps://www.nme.com/news/the-cribs/78894/?recache=62&utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=thecribs。
私生活
リックは3回の結婚をしている。彼は若いうちに最初の結婚を果たしたが、やがて離婚し、2番目の妻であるスザンヌ・オケイセックと1972年に再婚したGoldstein, Toby (1985). Frozen Fire: The Story of the Cars. Chicago: Contemporary Books. p. 14. ISBN 0-8092-5257-0.。しかし、スザンヌとまだ婚姻関係にあるとき、カーズの曲「ドライヴ」のミュージックビデオ(プロデュースはティモシー・ハットン)に出演したモデルのポーリーナ・ポリツィコヴァと出会った。当時、ポーリーナの年齢は19歳、リックは35歳(本当の年齢は40歳だったが、メジャーデビュー時から5歳年齢を詐称していた)であった。
出会ってから5年後の1989年、リックはポーリーナと結婚した。ポーリーナは最初の結婚であったが、リックにとってはこれで3度目となる。
彼は3人の妻との間にそれぞれ2人ずつ、6人の息子を儲けた。息子の1人、クリストファー・オケイセックは、ロックグープ、グラムール・キャンプを結成した。1970年にはアダム、1973年にはイーロン、1982年にはデレクがそれぞれ生まれた。
リックと共にカーズを結成したベンジャミン・オールは親友として知られている。2000年のベンジャミンの死を受けて、彼を追悼する曲(『ネクスタデイ』収録の「Silver」)を書いている。
ディスコグラフィ
ソロ・アルバム
- 『ビーティチュード』 - Beatitude(1982年)
- 『ディス・サイド・オブ・パラダイス』 - This Side of Paradise(1986年)
- 『ファイアボール・ゾーン』 - Fireball Zone(1991年)
- 『クイック・チェンジ・ワールド』 - Quick Change World(1993年)
- Negative Theater(1993年)
- 『トラブライジング』 - Troublizing(1997年)
- 『ネクスタデイ』 - Nexterday(2005年)
スポークン・ワード・アルバム
- Getchertiktz(1996年)※with アラン・ベガ、ジリアン・マッケイン
カーズ
- 『錯乱のドライブ』 - The Cars(1978年)
- 『キャンディ・オーに捧ぐ』 - Candy-O(1979年)
- 『パノラマ』 - Panorama(1980年)
- 『シェイク・イット・アップ』 - Shake It Up(1981年)
- 『ハートビート・シティ』 - Heartbeat City(1984年)
- 『ドア・トゥ・ドア』 - Door To Door(1987年)
- 『ムーヴ・ライク・ディス』 - Move Like This(2011年)
シングル
年 | 曲 | オーストラリア | カナダ | US Hot 100 | US MSR | US A.C. | USダンス | アルバム |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983 | Something to Grab For | - | - | 47 | 5 | - | - | Beatitude |
Jimmy Jimmy | - | - | - | 25 | - | 60 | ||
Connect Up to Me | - | - | - | - | - | 37 | ||
1986 | Emotion in Motion | 8 | 18 | 15 | 1 | 8 | - | This Side of Paradise |
True to You | 100 | - | 75 | 9 | - | - | ||
1991 | Rockaway | - | 46 | - | 11 | - | - | Fireball Zone |
ゲスト参加曲
年 | 曲 | アルバム | 備考 |
---|---|---|---|
1991 | Zip-A-Dee-Doo-Dah | Simply Mad About the Mouse | |
1991 | Fly by Night | Moment of Truth | アルバム収録の1曲を作曲 |
出典
外部リンク
- Ric Ocasek AOL artist page
- [ Ric Ocasek Billboard artist page]
- [ Ric Ocasek Allmusic artist page]
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/06/04 11:13 UTC (変更履歴)
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