中村和裕 : ウィキペディア(Wikipedia)
中村 和裕(なかむら かずひろ、1979年2月21日 - )は、日本の男性柔道家、総合格闘家。現在は大学教員。広島県福山市出身。柔道三段。近畿大学附属福山高等学校、国際武道大学卒業。元DEEPミドル級王者。
来歴
10歳の頃から柔道を始める。国際武道大学時代には柔道部で柏崎克彦に師事し、2000年には正力杯全日本学生体重別の100kg級で準優勝。大学卒業後には京葉ガス柔道部に所属し、2002年の全日本実業柔道個人選手権大会優勝、ドイツオープン柔道大会100kg級優勝などの実績を挙げる。100kg級では、井上康生、鈴木桂治らと肩を並べ、全日本強化選手入りを果たした。アマチュア時代には、柔道以外の格闘技に挑戦し、2001年にJTC総合格闘技大会で準優勝、全日本サンボ体重別大会で優勝している。2002年8月頃より柔道出身の格闘家の吉田秀彦と練習するようになり、2002年12月に京葉ガスを退社。2003年1月に吉田道場入りし、プロ格闘家へ転向した。2014年12月に引退しその後は広島県福山市にある福山大学経済学部経済学科スポーツマネジメントコースの教員として勤めている。German Open Braunschweig - Event吉田秀彦が阪神・川尻らと合同自主トレ 柔道出身・中村はPRIDE.25出場を目指す スポーツナビ 2003年1月23日吉田、「PRIDE.25」出場も視野に 川尻は五輪出場に意欲見せる スポーツナビ 2003年1月23日中村和裕の吉田道場フォト日記(連載第8回)「早く試合がしたいです!」 スポーツナビ 2004年5月21日。
PRIDE
2003年3月16日、総合格闘技デビュー戦となったPRIDE.25でアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負け。
2003年6月29日、初出場となったK-1で堀啓相手にKO負けしたものの、20cm身長が高い堀相手にアッパーと粘り強さで戦った。
2004年8月15日、PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦でムリーロ・ブスタマンチと対戦し、判定勝ち。
2005年4月23日、PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦のミドル級(-93kg)グランプリ1回戦でケビン・ランデルマンと対戦し、3-0の判定勝ち。
2005年6月26日、PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDのミドル級グランプリ2回戦で当時のPRIDEミドル級王者ヴァンダレイ・シウバと対戦。試合中に柔道着を脱ぐという自らの油断を突かれTKO負け。このとき道着を脱いだのは試合前から計画していたことだという。
2005年8月28日、PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦のミドル級グランプリリザーブマッチでイゴール・ボブチャンチンと対戦。3-0の判定勝ちを収め、日本人初のボブチャンチン越えを果たした。
2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005で近藤有己と対戦し、3-0の判定勝ち。
2006年2月26日、PRIDE.31でジョシュ・バーネットと対戦し、スリーパーホールドで一本負け。
2006年7月1日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUNDでエヴァンゲリスタ・サイボーグと対戦し、V1アームロックで一本勝ち。
2006年9月10日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦で中尾"KISS"芳広と対戦。両者が噛み合わず低調な試合となり、3-0で判定勝ちしたものの、会場から激しいブーイングを浴びた。
2006年12月31日、PRIDE 男祭り 2006でマウリシオ・ショーグンと対戦し、0-3の判定負けを喫した。
UFC
2007年9月22日、UFC初参戦となったUFC 76でリョート・マチダと対戦し、0-3の判定負け。試合には、雨上がり決死隊の蛍原徹の髪型を模した「ホトちゃんヘアー」で臨んだ【UFC】9・22中村和裕が“ホトちゃん”カットで金網へ! GBR 2007年8月31日。
2008年5月24日、UFC 84でソクジュと対戦し、1ラウンド終了時に脚の負傷によるTKO負け。
2008年7月20日、結婚披露宴を行った公式ブログ 2008年7月19日。同年10月2日には、長女が生まれた。
戦極
2008年9月28日、戦極初出場となった戦極 〜第五陣〜のミドル級(-83kg)グランプリ1回戦でポール・カフーンと対戦し、3-0の判定勝ち。
2008年11月1日、戦極 〜第六陣〜のミドル級グランプリ準決勝で佐々木有生と対戦し、3-0の判定勝ち。続く決勝でジョルジ・サンチアゴと対戦し、パウンドでKO負けを喫し準優勝となった。なお、サンチアゴ戦で顎を骨折した。
2009年2月22日、ADCCアジア予選99kg未満級に出場。決勝で内藤征弥に判定勝ちし、日本代表となった。
2009年8月2日、戦極 〜第九陣〜の戦極ミドル級チャンピオンシップ挑戦者決定戦で三崎和雄と対戦し、フロントチョークで見込み一本負けを喫した。
2010年4月25日、吉田秀彦引退興行 〜ASTRA〜のメインイベントで吉田秀彦の引退試合の相手を務め、3-0の判定勝ち。
DREAM
2010年7月10日、DREAM初出場となったDREAM.15でカール・アモーゾと対戦し、3-0の判定勝ち。
2011年9月24日 DREAM.17でジェラルド・ハリスと対戦し、1-2の判定負けを喫した。
DEEP
2012年10月19日、DEEP初出場となったDEEP 60 IMPACTで桜井隆多と対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。
2013年2月16日、DEEP 61 IMPACTのミドル級王者決定戦でRYOと対戦し、5-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
2014年1月30日、早稲田大学大学院に社会人入試で合格した事を発表した。
2014年3月20日、DEEP 65 IMPACTのメガトン級(無差別級)タイトルマッチで長谷川賢と対戦し、1-4の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。
2014年12月21日、引退試合となったDEEP 70 IMPACTのミドル級タイトルマッチで挑戦者の中西良行と対戦し、0-5の判定負けを喫し王座陥落した。
引退後は福山大学経済学部経済学科スポーツマネジメントコース助教の職に就いた【DEEP】中西が引退試合の中村カズに引導を渡す eFight 2014年12月21日。
人物・エピソード
- 引越しが多く中学時代は広島市東区や安芸郡府中町に居住。広島市では奥田民生家の三軒隣に住んでいたという別冊カドカワ、角川書店、2008年1月、99頁。漫画家・久保帯人は府中町の中学(府中緑ヶ丘中学)の先輩、プロボクサーの坂田健史や読売ジャイアンツ・西村健太朗は後輩となる。また、同じ吉田道場所属の総合格闘家小見川道大は大学の先輩にあたる。
戦績
総合格闘技
ミックスルール
キックボクシング
グラップリング
獲得タイトル
- 全日本サンボ体重別選手権大会100kg級 優勝(2001年)
- 全日本実業団体重別選手権大会100kg級 優勝(2002年)
- ドイツオープン柔道大会 優勝(2002年)
- ADCC 2009アジア予選 99kg未満級 優勝(2009年)
- WKBF X-Rules世界ヘビー級王座(2010年)
- 第6代DEEPミドル級王座(2013年)
入場テーマ曲
- ハナフブキ〜花魁道中罷り通る〜 (PE'Z) - 戦極時代に使用。
関連項目
- 男子総合格闘家一覧
- 柔道家一覧
- DEEP王者一覧
- DREAM選手一覧
- SRC選手一覧
- UFC選手一覧
- K-1選手一覧
- PRIDE選手一覧
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/10/17 05:30 UTC (変更履歴)
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