田端信之 : ウィキペディア(Wikipedia)

田端 信之(たばた のぶゆき、1963年12月27日 - )は、日本の元プロボクサー。神奈川県横浜市出身。元日本ウェルター級、同スーパーウェルター級王者。現役時代はコーエイ工業小田原ボクシングジム所属。パンチ力、テクニックともに中量級では傑出し、「和製ハーンズ」の異名をとった。

来歴

プロ

1981年12月27日、プロデビュー戦に初回KO勝利を収めた。以来6戦連続KO勝利後の1982年12月19日、不戦勝で東日本ジュニアウェルター級新人王を獲得。翌1983年3月5日、8戦連続KO勝利で全日本ジュニアウェルター新人王を獲得し、同大会のMVPに選出された。

1984年1月13日、プロ12戦目にして無限川坂(上福岡)との対戦に10R判定負けで初黒星を喫し、同年4月5日には尾崎富士雄(帝拳)との対戦に4RKO負けを喫して2連敗となった。その後、6勝 (5KO) を上げるが、1985年9月30日、オーストラリアのでオーストラリアウェルター級王者のブライアン・ジェンセンに5RTKO負け。同年11月16日、韓国・城南市で李相縞(韓国)に10RKO負けを喫した。

1986年2月6日、2連敗後の再起戦で尾崎富士雄の持つ日本ウェルター級王座に挑戦し、2-1の判定勝利で同王座を獲得したが、同年6月5日、初防衛戦で尾崎とのリターンマッチに5RKO負けを喫し、王座を失った。

1987年1月8日、日本ジュニアミドル級王座決定戦を久保健司(アポロ)と争い、初回2分59秒KO勝利で王座を獲得した。同王座を1度防衛後の同年8月23日、猛暑の韓国・仁川広域市で鄭栄吉(韓国)の持つOPBF東洋太平洋ジュニアミドル級王座に挑戦し、脱水症状を起こして9RKO負けを喫した。日本同級王座は全KO勝利で4度防衛した後、1988年10月6日に返上した。

1989年3月20日、田島吉秋(ベル協栄)の持つ日本ミドル級王座に挑戦し、三者三様の判定引分となって3階級制覇は果たせず、この試合を最後に現役を引退した。

引退後

2007年には翌年公開の映画「ラブファイト」のために林遣都北乃きい大沢たかおらにボクシングを指導したB-UP | ボクシングスパーリング大会・ビーアップ - 田端信之プロフィール。翌2008年には自らが「ザ・おやじファイト」に出場し、ミドル級王座を獲得した。

東京・渋谷区神宮前でモデル・映画への出演経験を経て、社会人へボクシングを指導。2009年B-UP BOXING統括プロデューサー就任、2009年8月23日には第1回大会が開催されたB-UP | ボクシングスパーリング大会・ビーアップ - 最新情報 - 「ボクシング・マガジン10月号掲載」 2009年9月17日。。また2009年から2010年にかけては、映画「ボックス!」のために市原隼人高良健吾らにボクシングを指導。。2010年JBSC理事に就任。B-UP初代チャンピオン誕生。現在、選手育成、日本ボクシング界の人気復興支援、健康スポーツ用品プロデュース、メディアでのボクシング指導など多方面で活躍中。

獲得タイトル

  • 第39回東日本ジュニアウェルター級新人王
  • 第29回全日本ジュニアウェルター級新人王 (MVP)
  • 第31代日本ウェルター級王座(防衛0)
  • 第18代日本ジュニアミドル級王座(防衛4)

参考文献

B-UPボクシング大会 田端信之プロフィール https://b-up.tv/about/

B-UPボクシング大会 最新情報-年齢制限なし https://b-up.tv/competition/

B-UPボクシング大会 Facebook B-UP | Shibuya-ku Tokyo | https://www.facebook.com/profile.php?id=100063520752026

B-UPボクシング大会 公式ブログ https://ameblo.jp/b-up-tv/

関連項目

  • 男子ボクサー一覧
  • 全日本新人王決定戦
  • ボクシング日本王者一覧
  • ビータイトプロモーション関連の興行

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/11/07 01:18 UTC (変更履歴
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