岡田和生 : ウィキペディア(Wikipedia)

岡田 和生(おかだ かずお、1942年<昭和17年>10月3日 - )は、日本の実業家、技術者。ユニバーサルエンターテインメント創業者・元代表取締役社長。

人物・来歴

大阪府で6人兄弟の6人目として生まれる。京都府福知山市育ち。1952年(昭和27年)東京都板橋区に転居。幼少時に父親を胃がんで亡くす。1962年(昭和37年)に東京テレビ技術専門学校(現東京電子専門学校)卒業後、テレビ修理業に就く。1969年(昭和44年)ジュークボックスリース業のユニバーサルリースを設立、代表取締役社長就任。1973年(昭和48年)、販売部門を分離し、ユニバーサル技研設立。1979年(昭和54年)、開発部門をユニバーサルテクノス(現ユニバーサルエンターテインメント)として分離し、代表取締役社長就任。1981年(昭和56年)3月に法人税法違反で宇都宮地方検察庁から起訴され、同年7月に懲役1年、執行猶予3年という判決を受けた。こののちにはパチスロの標準システムを開発して業績を伸ばし、1998年(昭和63年)には株式公開を果たし、社名をアルゼに変更(2009年まで使用)、1999年(平成11年)には日本長者番付で1位となる。

2000年(平成12年)にラスベガスのカジノ王スティーブ・ウィンのバルビノ・ラモーレ社に280億円を出資、同社の後身ウィン・リゾーツの取締役となる。2012年(平成24年)、同社を解任され、法廷闘争となる。『亀裂』高橋篤史、講談社、2022年、p18-「第一章 ユニバーサルエンターテイメント岡田家」。

私生活では最初の妻との間に1男1女をもうけるが、1998年(平成10年)にその妻が死去し、翌年に再婚する。2013年(平成25年)に岡田美術館を開設HISTORY 歴史2013年3月期 2013年06月28日 2013年3月期 有価証券報告書 ユニバーサルエンターテイメント。

同年、弁護士の荒井裕樹からジャスダック上場企業のSJI(現・カイカ)の中国人経営者・李堅(北京大学卒の元国費留学生)を紹介され、李と組んで複雑なスキームのマネーロンダリングで資金操作を行なったが、20億円を焦げ付かせた。SJI社の実態は、李の株取引の失敗で巨額の借金を抱え、架空取引で自転車操業状態だった。。

2017年(平成29年)、節税のため香港に設立した一族の資産管理会社であるオカダ・ホールディングスの支配権を息子たちに奪われる「金の亡者」の転落劇…パチスロ界のドン・岡田和生が唯一手に入れられなかったモノ…「息子の反逆」から見える創業家一族の「致命的欠陥」 - 現代ビジネス・2023年5月26日。さらにそれを皮切りとして同年6月、富士本淳代表取締役社長らにより更迭、株主総会への出席を拒否され、ユニバーサルエンターテインメント取締役会長を解任された ユニバーサル創業者・岡田和生氏が記者会見「クーデターが起きた」 法と経済のジャーナル。

2018年(平成30年)8月、前述の20億円の資金取引をめぐってマネーロンダリングの嫌疑やビジネス・ジャーナル、2019.01.09 、賄賂に関する複数の容疑で香港の汚職取締機関である廉政公署(ICAC)に逮捕された後、保釈されたと発表された。2019年(平成31年)1月、大型カジノ施設「オカダマニラ」を運営するタイガー・リゾート・レジャー&エンターテインメント社のCEOとして310万米ドルの不正報酬を受け取ったとして、岡田和生に対してパラニャーケの裁判所が逮捕状を発行した Court orders Japanese tycoon Okada's arrest

2021年(令和3年)12月、フィリピン控訴裁判所は2019年(平成31年)にパラニャーケの裁判所が発行した逮捕状について、「(逮捕理由に必要な)推定事実が明らかに存在しないにもかかわらず」、「逮捕状を発行したことに重大な(司法)裁量権の乱用があった」とし、岡田和生の逮捕状の棄却を命じたCA dismisses estafa case vs. Okada manilastandard.net。

2022年(令和4年)5月、「TIGER RESORT,LEISURE AND ENTERTAINMENT,INC.」が運営していた「オカダ・マニラ」を元取締役らと共謀して占拠し、TRLEI社の役職員数名の強制退去、従業員の不当解雇を強行し、以降、この岡田氏グループが同施設の運営・支配を続けていたユニバーサルエンターテインメント、岡田和生元取締役から「オカダ・マニラ」を奪還 グリーンべると。

2022年(令和4年)9月、フィリピンのカジノ運営公社「PAGCOR」が、岡田氏グループの同施設の運営管理権を認めないことを決定。ユニバーサルエンターテインメントグループが、フィリピン国家警察の支援を受けて決議命令を執行し、同施設の運営管理権を奪還した。

2022年(令和4年)10月、フィリピンの国家警察に逮捕された。

家族

  • 弟・岡田友生(1942年<昭和17年> - 2003<平成15年>) ‐ 双子の弟。米国ユニバーサル・ディストリビューティング・オブ・ネバダ社(UDN)社長。都立大学卒業後製薬会社栄研を経て、1976年(昭和51年)にユニバーサル入社、1984年(昭和59年)にUDNの社長に就任、日本のメーカーとして初めてネバダ州でゲーミング機の販売権を取得し最大メーカーに成長させたが、1989年(平成元年)の規制強化によりシェアを失い、1990年(平成2年)に社長を辞任し退職、2003年(平成15年)にスプリングバレー (ネバダ州)の自宅で自作したと思われるリシン (毒物)を注射して自殺した。ゲームマシン、2003年5月1日号puts emergency responders to testLas Vegus Sun, 2003.3.3
  • 前妻・充子 ‐1998年に死去
    • 長男・岡田知裕(1967年<昭和42年> -) ‐ ユニバーサルエンターテイメント取締役。1991年(平成3年)ユニバーサル販売入社。2002年(平成14年)に取締役解任、2008年(平成20年)再任、2015年(平成27年)再解任。
    • 長女・岡田裕実
  • 後妻・岡田幸子(たかこ、1973年<昭和48年> -) ‐ ユニバーサルエンターテイメント取締役。1999年(平成11年)に結婚、2015年(平成27年)取締役就任。

関連項目

  • 日本の資産家一覧
  • 岡田美術館
  • オカダマニラ

外部リンク

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