竹田賢一 : ウィキペディア(Wikipedia)

竹田 賢一(たけだ けんいち、1948年 - )は、日本の大正琴奏者、音楽評論家 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧。1970年代半ばから、当時ニュージャズと称されていたフリージャズや前衛的即興音楽の領域で、演奏家として活動するとともに、そうした即興的音楽についての評論を、音楽雑誌や文芸評論誌などに発表した。

経歴

1948年 東京都生まれ。現代朝鮮研究所の研究生として東京都立大学 (1949-2011)在学時に「朝鮮革命研究会」を興すなど、活発な政治活動を行っていた『でもわたしには戦が待っている—斎藤和(東アジア反日武装戦線大地の牙)の軌跡』東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃と闘う支援連絡会議編、風塵社、2004年、p63〜70。ドロップアウトしたあと、1974年、天井桟敷館で劇団自動座の女優、ルビ新子のコンサートをプロデュースし、音楽活動を始める『Free music 1960~80』、p141、ちゃぷちゃぷレコード、2016年。

1975年 坂本龍一と「学習団」という芸術-実践の運動体を組織した竹田賢一『地表に蠢く音楽ども』月曜社 2013年 著者略歴より。同年、間章に勧められてジャズ専門誌『ジャズ批評』や『ジャズ』への寄稿を始め、その後は、各種の雑誌への寄稿やライナーノートなども手がけた。

1976年 坂本と土取利行とのコラボアルバム『ディスアポイントメント-ハテルマ』をプロデュース。即興演奏集団「ヴァイブレーション・ソサエティー」を三浦崇史と結成。後に灰野敬二も参加した。

1979年「ヴェッダ・ミュージック・ワークショップ」を発足。大正琴の即興演奏はここから。

1970年代おわりころから平井玄らと雑誌『同時代音楽』の発行に関わる。

1981年「反ポップ・バンド」を掲げたユニット A-Musik を率いて演奏活動を展開し、1983年には、同時代音楽を発売元として1st.アルバム『e kú ìrójú』(エクイロジュ)を発表した。A-Musik に参加し、アルバムに関わった中には、竹田のほか、小山哲人(ベース)、石渡明廣(ギター)、久下恵生(ドラムス)、時岡秀雄(サックス)、篠田昌巳(サックス)、工藤冬里(ピアノ)らがおり、さらに、曲によって高橋鮎生千野秀一、箕輪攻機、坂本龍一、大熊ワタルらが加わっている。

2006年 ネット配信のみで、A-Musikの2nd.アルバム『生きているうちに見られなかった夢を』を発表。ゲスト・ヴォーカルにソウル・フラワー・ユニオンの中川敬が参加した。

2013年 初の著作集『地表に蠢く音楽ども』を発売。

2020年 意外なことに輪投げが得意なことが判明。町内老人会で優勝したとTwitterで明らかにした。

ディスコグラフィー

  • 1983年 A-Musik 『e kú ìrójú』 LP
  • 2006年 A-Musik 『生きているうちに見られなかった夢を』   ネット配信

著書

単著

  • 地表に蠢く音楽ども、月曜社、2013年
    • 1975年から1990年にかけて発表された評論やライナーノートなどを収録

共訳書

  • インプロヴィゼーション:即興演奏の彼方へ、(デレク・ベイリー 著、斉藤栄一、木幡和枝との共訳)工作舎、1981年
  • サウンドの力:若者・余暇・ロックの政治学、(サイモン・フリス 著、細川周平との共訳)晶文社、1991年

なお、小説『少女A.』、『セロニアス・モンクの鐘』は、同姓同名の別人の作品である。

関連項目

  • AA (映画) - 間章をテーマとした青山真治監督のドキュメンタリー映画:竹田は出演者のひとり

外部リンク

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