マーキー・ラモーン : ウィキペディア(Wikipedia)

マーク・スティーヴン・ベル(Marc Steven Bell)ことマーキー・ラモーン(Marky Ramone、1952年7月15日 - 、一部では1956年の説あり)は、アメリカ合衆国出身のロック・ミュージシャン。ラモーンズの2代目ドラマー。 1978年から1983年までの約5年間と1987年から1996年のラモーンズ解散まで通算約14年間ラモーンズのドラマーとして活動した。これはラモーンズのドラマーの中で最長である。またラモーンズの現存メンバーの中で唯一のロックの殿堂の受賞者(2002年)。

マーク・スティーブン・ベル時代

ベルは1971年からヘビーメタルバンドダストでドラムプレイを始めた。1972年11月にニューヨーク・ドールズのオリジナルドラマー、ビリー・マルシアの死に伴い行われたドラマーのオーディションに参加したがジェリー・ノーランが選ばれた。1976年にベルはリチャード・ヘル&ヴォイドイズに加入し、ファーストアルバム『ブランク ジェネレーション』で演奏した。(1977年脱退)

マーキー・ラモーンとしての活動

1978年5月ベルはラモーンズのオリジナルドラマー、トミー・ラモーンに代わってラモーンズに加入。それに伴いマーク・ベルからマーキー・ラモーンに改名した。

マーキーのアルコール依存症が原因となり1983年2月にバンドを脱退。その後健康を取り戻し、1987年8月からラモーンズに復帰、1996年10月のラモーンズ解散までラモーンズのドラマーとして活動し続けた。

1996年マーキーはディー・ディー・ラモーンのラモーンズトリビュートバンドThe Ramainzに加入し演奏した。

2000年マーキーはジョーイ・ラモーンのソロアルバム『Don't Worry About Me』にドラマーとして参加した。またジョーイはラジオパーソナリティ、ジョー・フランクリンのトークショーでマーキーについて「マーキーはキース・ムーンと共に好きなドラマーだ」と述べた。

現在もマーキーは世界中でドラムを演奏し続けている。

プレイスタイル

ここではラモーンズ時代から現在のドラムスタイルについて言及する。 ラモーンズ加入後 初期は高速エイトビートに苦戦しているように見えた(表情的に)が年々独特なスタイルを確立し、不動のラモーンズ超高速ドラマーの地位を確立していった。一般的に高速エイトビートとはアップダウン奏法で行うものだが、マーキーは(腕を動かさないで)手首のみでエイトビートを刻む。(マーキーは「腕を動かすのは無駄な動きだ」と述べている。) 1987年からの復帰後はマーキーの最盛期にふさわしいような超高速エイトビートを叩いている。特に90年~92年頃まで(定かではないが)はハイタムの横にハイハットを設置し、高速なエイトビートが要求されるときはタム横のハイハットでハイハットクローズで高速エイトビートを正規の拍数で叩いている。(この頃がマーキー・ラモーンの最盛期であると思われる)(この高速エイトビートはアルバム loco liveで聞くことができる)93年頃~解散までは高速で単調目な曲(Blitzkreig BopやSheena Is A Punk Rockerなどたくさんあるが)はスネアドラムで曲とのリズムをとり、ハイハットはできる限りのスピードで叩くというスタイルになってきた。現在、ラモーンズの曲などを演奏する場合、アレンジを加えることが多い。

使用機材は、ラモーンズ加入当時 ロジャース製キットを使用していたが、後にタマ、パールと日本製ドラムキットを使用していた。現在はDW製のキットがお気に入り。シンバルはパイステ製を長く愛用している。

ラジオDJ

2005年からマーキーはシリウスXMラジオの番組『Punk Rock Blitzkrieg』のラジオDJを務めている。

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/07/25 10:17 UTC (変更履歴
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