加藤賢司 : ウィキペディア(Wikipedia)

加藤 賢司(かとう けんじ、1878年1月10日衆議院『第六十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、17頁。 - 1944年3月15日『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』159頁。)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。

経歴

岐阜県出身。1901年、日本法律学校(現・日本大学)卒、同専攻科で学ぶ。日露戦争に従軍して、陸軍歩兵中尉となる。帰郷後は営農する。岐阜県議、同参事会員、同第37代議長(1927年12月1日から1928年12月4日まで)、生津村議、同村長、本巣郡農会長、岐阜県山林会評議員、地方森林会議員、郡林業協会副会長、県農会議員となる。

1936年の第19回衆議院議員総選挙において岐阜2区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選する『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』109頁。。衆議院議員を1期務め、1937年の第20回衆議院議員総選挙で落選した『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』117頁。。1944年死去。

参考文献

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/01/09 10:30 UTC (変更履歴
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