遠藤光男 : ウィキペディア(Wikipedia)

遠藤 光男(えんどう みつお、1930年(昭和5年)9月13日 - 2016年(平成28年)5月16日)は日本の法曹。元最高裁判所裁判官、弁護士。位階は正三位。

略歴

1930年(昭和5年)9月13日、東京に生まれる。1952年(昭和27年)に法政大学法学部を卒業し、司法試験に合格する。大在学中は法政大学弁論部に在籍し活動した。1955年(昭和30年)に弁護士登録し、法政大学の講師を兼務する。1981年(昭和56年)、司法研修所民事弁護教官を務め、1984年(昭和59年)に法制審議会委員に就任する。1986年(昭和61年)に東京弁護士会司法修習委員長、1988年(昭和63年)に日弁連司法修習委員長を務める。

1995年(平成7年)2月13日に最高裁判所判事に任命され、2000年(平成12年)9月12日に退官する。法政大学出身の最高裁判事は、小谷勝重に次ぎ2人目である。また、2001年(平成13年)に法律扶助協会会長を務める。

2002年(平成14年)に勲一等瑞宝章を受章「2002年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2002年11月3日朝刊。

2016年(平成28年)5月16日、くも膜下出血のため死去 。。叙正三位『官報』6801号、平成28年6月22日。

主な裁判

日本新党繰上補充事件、愛媛県靖国神社玉串料訴訟、東電OL殺人事件など。

参考

  • 『日本紳士録 第80版』(ぎょうせい、2007)

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/07/05 11:37 UTC (変更履歴
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