森肇 : ウィキペディア(Wikipedia)
森 肇(もり はじめ、1873年(明治6年)10月11日『人事興信録』第10版 - 1959年(昭和34年)10月28日『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』)は、日本の衆議院議員(政友本党→立憲民政党→立憲政友会→昭和会)、農林参与官。ジャーナリスト。
経歴
長崎県北松浦郡御厨村(現在の松浦市)出身。小学校教員を経て、1901年(明治34年)に東京専門学校政治経済科を卒業。長崎新報記者、長崎日日新聞記者、同編集長、長崎新聞主筆、同専務取締役を歴任した『早稲田大学紳士録』p.853。また長崎県会議員、同参事会員に選ばれた。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第21回衆議院議員総選挙に至るまで6回当選を果たし、その間岡田内閣で農林参与官を務めた。 1935年(昭和10年)には昭和会の結党に参加している内田鉄相、望月逓相ら政友会脱退組が組織『中外商業新報』昭和10年12月24日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p288 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)。
戦後、公職追放となった公職追放の該当事項は「推薦議員」。()。
その他、佐世保鉄道株式会社取締役、平戸島電灯株式会社取締役、大日本水産会理事『人事興信録』第14版を務めた。
参考文献
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/01/09 05:08 UTC (変更履歴)
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