中村純一 : ウィキペディア(Wikipedia)

中村 純一(なかむら じゅんいち、1901年(明治34年)10月28日『愛媛県史 人物』448頁。 - 1985年(昭和60年)10月2日『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』447頁。『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』455頁。)は、昭和期の逓信官僚、政治家。衆議院議員、愛媛県宇和島市長。

経歴

愛媛県北宇和郡宇和島町(現宇和島市)で、中村惣八の長男として生まれる『大衆人事録 第14版 東京篇』709頁。。宇和島中学校(現愛媛県立宇和島東高等学校)、第一高等学校を経て『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、248頁。、1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格した。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した。

1925年、逓信省に入省し電務局属に任官。以後、逓信局書記官、逓信省事務官、逓信書記官・郵務局規画課長、関東局監理部逓信課長、関東逓信局長、逓信省経理局主計課長、同管理部現業調査課長、同電務局業務課長、興亜院書記官・経済部第三課長、同調査官・華中連絡部在勤、逓信省電務局長、逓信院貯金保険局長などを歴任し、1945年(昭和20年)6月に退官した。

1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙に愛媛県第3区から民主党公認で出馬して落選『衆議院議員総選挙一覧 第23回』509頁。。1949年(昭和24年)1月、第24回総選挙で民主自由党公認で出馬して当選し『国政選挙総覧 1947-2016』337頁。、衆議院議員に1期在任した。この間、衆議院通商産業委員長、民主自由党政調会逓信部長などを務めた。その後、第25回総選挙に立候補したが落選した。

1955年(昭和30年)5月、宇和島市長に選出され1期在任し、財政再建、来村の合併、市公会堂の建設などに尽力した。その他、関東港湾労務厚生協会長、前田学園理事、日本電話番号簿社長、通信文化振興会理事長、郵政審議会委員などを務めた。

脚註

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
  • 『愛媛県史 人物』愛媛県史編纂委員会、1989年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/11/05 13:45 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「中村純一」の人物情報へ