三遊亭圓歌 : ウィキペディア(Wikipedia)
初代 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、本名:泉 清太郎(いずみ せいたろう)、1876年6月10日 - 1927年10月22日)は、落語家。
来歴
- 東京府下谷区同朋町の仕立て屋の家に生まれるが、幼くして実家が火事にあい父が死別。
- 1895年∶近所に住んでいた三遊亭右楽の紹介で初代三遊亭圓右に入門。三遊亭右左喜を名乗る。
- 1897年
- 師に内緒で上総房州に巡業し破門される。
- その後詫びを入れ復帰。
- 二ツ目で三橘となる。
- 1898年
- 再び上方、九州を巡業。
- 巡業先で「橋立」の艦長と知り合い従僕することになり日露戦争に従軍した。
- 1906年∶帰国復帰。初代三遊亭小圓右となる。
- 1907年9月∶真打昇進。三遊亭圓歌に改名。京橋金沢亭で披露した。
人物
人情噺、芝居噺、古典、古典の改作、新作幅広くこなし「肝つぶし」「鹿政談」「新助市」「品川心中」など多数、新作では「酢豆腐」を「石鹸」の名で改作している。
52歳没。墓所は谷中長久院。戒名は「圓浄清歌信士」。
一門弟子
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