針生宏 : ウィキペディア(Wikipedia)

針生 宏(はりゅう ひろし、1935年6月2日 - )は日本映画のプロデューサー。宮城県仙台市出身。美術評論家 針生一郎は兄。

経歴

仙台一高を経て、東京大学経済学部を卒業。1960年に東宝へ入社。東宝撮影所に配属され、映画『慕情の人』より助監督を務める。演出部からテレビ部企画係、文芸部を経て、1971年に東宝映画へ出向。その後東宝テレビ部に移籍。

映画『モスラ』では、チーフ助監督の野長瀬三摩地からの指示で劇中歌「モスラの歌」のインドネシア語歌詞をカタカナに書き起こした。針生は、曲をつける際に歌いやすいよう変えるだろうと考えていたが、完成作品では針生の書いたものがそのまま使われており驚いたという。

映画

公開年月日作品名制作(配給)役職
1961年2月14日 慕情の人東宝 助監督
1961年7月30日 モスラ
1961年11月22日 猫と鰹節 ある詐欺師の物語
1962年2月10日 銀座の若大将
1962年7月7日 重役候補生No.1
1969年10月10日 コント55号 俺は忍者の孫の孫 企画
1970年8月11日 激動の昭和史 軍閥 製作
1971年7月17日 激動の昭和史 沖縄決戦 製作
1973年5月12日 戦争を知らない子供たち東宝映画(東宝) 製作
1974年9月21日 青葉繁れる 製作補佐・製作補
1975年2月15日 青春の門 製作
1977年2月11日 青春の門 自立篇 製作
1982年2月16日 あゝ野麦峠 新緑篇 協力製作

参考文献

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/06/18 13:05 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「針生宏」の人物情報へ