伊藤寿文 : ウィキペディア(Wikipedia)

伊藤 寿文(いとう としふみ、1959年5月14日 - )は、愛知県プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、55ページ出身の元プロ野球選手(捕手・内野手)。右投右打。広島時代は捕手、ダイエー時代は内野手登録。

来歴・人物

国府高では市川和正の1年後輩。市川と同じく東海大に進学。東海大学では在学中首都大学野球リーグで5度優勝。しかし3年時の秋季リーグ以降は、白武佳久らのいた日体大の台頭により優勝から遠ざかる。大学同期に井辺康二、青山道雄がいた。

大学卒業後は、社会人野球の東芝に入団。の都市対抗野球では、広島に同期入団する川端順の好投もあり順調に勝ち進む。決勝では新日本製鐵名古屋を降して優勝を飾った「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年。同年の日本選手権でも決勝に進出するが、住友金属に惜敗、準優勝にとどまる。同年は公式戦通算打率.366、6本塁打、18打点をマークした。

1983年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから4位指名を受け入団。

プロ1年目のから一軍初出場を果たすが定着するには至らず、11月8日に福岡ダイエーホークスに金銭トレードで移籍。大型捕手との前評判も達川光男をしのぐことはできず、広島時代は捕手登録であったが守備機会はわずか4試合で、内野手としての出場がほとんどであった。

ダイエーに移籍して1年目のは、故障した藤本博史の代役として一時期三塁手のレギュラーを掴むなど、プロ入り最高の49試合に出場する。同年10月14日、近鉄バファローズの優勝決定試合では最後の打者となった(投手は阿波野秀幸)。限りで現役を引退。

1987年には広島市民球場では珍しいランニングホームランを放っている。

詳細情報

年度別打撃成績

広島3442396103032211000030060.256.310.564.874
194644511003207000020081.250.283.455.737
7660000000000000010.000.000.000.000
915142400171000011000.286.333.500.833
91090100010000000110.111.200.111.311
ダイエー491461271628404441231511310230.220.291.346.637
通算:6年12726523929547011943131511921391.226.285.393.678

年度別守備成績

年度試合数企図数許盗塁盗塁刺阻止率
19842110.000
19852000-
通算4110.000

記録

  • 初出場:1984年6月29日、対ヤクルトスワローズ12回戦(明治神宮野球場)、7回表に大野豊の代打として出場
  • 初打席・初安打・初打点:同上、7回表に梶間健一から適時二塁打
  • 初本塁打:1984年7月17日、対ヤクルトスワローズ15回戦(広島市民球場)、7回裏に小林誠二の代打として出場、梶間健一から2ラン
  • 初盗塁:1989年5月16日、対オリックス・ブレーブス6回戦(グリーンスタジアム神戸)、(投手:ガイ・ホフマン

背番号

  • 31 (1984年 - 1988年)
  • 43 (1989年 - 1990年)

関連項目

  • 愛知県出身の人物一覧
  • 東海大学の人物一覧
  • 広島東洋カープの選手一覧
  • 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/09/30 07:23 UTC (変更履歴
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