笠原隆 : ウィキペディア(Wikipedia)

笠原 隆(かさはら たかし、1918年3月26日-没年不明)は、日本の元サッカー選手。大学生の時にサッカー日本代表として出場経験があり、現役時代のポジションはミッドフィールダー。

来歴

笠原は神戸一中サッカー部及び慶應義塾体育会ソッカー部に在籍し、1937年の全日本蹴球選手権大會(現:天皇杯全日本サッカー選手権大会)で、慶応義塾大学の初優勝を成し遂げた。彼はまた、慶應義塾大学の選手と卒業生で構成される母校の慶應BRBでもプレイし、津田幸男、二宮洋一、篠崎三郎と共に、1939年と1940年の天皇杯でも優勝した(以後、天皇杯は戦争で1941-1945年まで中断となる)。1941年慶應義塾大学経済学部卒業。

代表歴

1940年6月16日、笠原が慶応義塾大学に在籍する学生の時に、サッカー日本代表の選手として、フィリピン代表との試合に初出場した。この試合は日本にとって1936年ベルリンオリンピック以降で初めての試合であり、第二次世界大戦の影響により1940年代に行なわれた唯一の日本の国際Aマッチ試合である。

出場大会

  • 紀元二千六百年奉祝東亜競技大会 (1940年)

試合数

  • 国際Aマッチ 1試合 0得点(1940)

|- |1940||1||0||?||?||?||? |- !通算 |1||0||?||?||?||? |}

出場

No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.1940年06月16日JPN兵庫県甲子園南運動場○1-0竹腰重丸奉祝東亜競技大会

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/08/11 07:13 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「笠原隆」の人物情報へ