アルベール・ラモリス : ウィキペディア(Wikipedia)
アルベール・ラモリス(Albert Lamorisse,1922年1月13日 - 1970年6月2日)は、フランスの映画監督、映画プロデューサー、脚本家である。代表作品に『白い馬』『赤い風船』がある。また、ボードゲーム「リスク」の考案者でもある。
来歴
1922年1月13日にフランスのパリで生まれる。エコール・デ・ロッシュ、高等映画学院(聴講生)を経て、当初は写真家となる。
1947年、短編記録映画『ジェルバ』で初監督となる。47分の短編映画で、チュニジア・ジェルバ島の風物を記録している。
劇映画の監督としては、1949年の『小さなロバ、ビム』が第一作となる。この作品も45分の短編映画である。再びジェルバ島で撮影が行われ、少年とロバが繰り広げる冒険物語となっている。この作品はフランスの詩人・作家のジャック・プレヴェールに見出され、後に彼はこの作品を用いた写真絵本を刊行した。
1953年には劇映画第二作となる『白い馬』を監督。フランス・カマルグを舞台にした少年と野生馬の物語である。この映画が、第6回カンヌ国際映画祭においてパルム・ドール(短編)を受賞したことから、ラモリスの名は広く知られるようになる。
そして1956年には『赤い風船』を発表。36分の短編で、台詞はわずかしかないが、第29回アカデミー賞において脚本賞を受賞。第9回カンヌ国際映画祭において再びパルム・ドール(短編)を受賞した。
1960年には長編映画も手掛けるようになり、その第一作『素晴らしい風船旅行』の監督、脚本を手掛けた。
この時ラモリスは、「ヘリヴィジョン」というものを自ら開発し、この映画の撮影で初めて導入した。これは、ヘリコプターからの空中撮影時に、振動による画面ブレを起こさないようにしたシステムである。1963年にはこのシステムの特許を売り込みに来日している。1965年の長編第二作『フィフィ大空をゆく』でもこのヘリヴィジョンが用いられた。
1962年には再びカマルグを舞台にした短編ドキュメンタリー『野生馬たちの夢想』を監督。1967年にはフランス文化相・アンドレ・マルローの援助を受け、短編ドキュメンタリー『パリの空の詩』『ヴェルサイユ』を監督した。
家族は妻と一男(パスカル)二女(サビーヌ、ファニー)。このうちパスカルは『白い馬』に出演、『赤い風船』では主役の少年を演じている。サビーヌも『赤い風船』に出演している。
映画の他、1957年にはボードゲーム「リスク」を考案している。当初は「世界征服」という名だったが、アメリカのパーカー・ブラザーズ社が発売する際に「リスク」と改名された。
1970年6月2日、ドキュメンタリー映画『恋人たちの風』撮影のためにイランのテヘラン郊外をヘリコプターで飛行中、回転翼が電線に接触して墜落死した。48歳。『恋人たちの風』はその後、彼の制作ノートに基づき未亡人と息子のパスカルが完成させ、8年後の1978年に発表した。
フィルモグラフィー
短編映画
- 『小さなロバ、ビム』(1950年) - 劇映画初監督作品
- 『白い馬』(1953年)
- 『赤い風船』(1956年)
長編映画
- 『素晴らしい風船旅行』(1960年) - 長編劇映画初監督作品
- 『フィフィ大空をゆく』(1965年)
ドキュメンタリー
- 『ジェルバ』(1947年) - 初監督作品
- 『野生馬たちの夢想』(1962年) - 監督・脚本・撮影
- 『ヴェルサイユ』(1967年) - 監督
- 『パリの空の詩』(1967年) - 監督
- 『恋人たちの風』(1978年) - 撮影中に事故死し、未亡人と息子が完成させる。
受賞
- アカデミー賞
- 1956年:第29回アカデミー賞脚本賞/『赤い風船』
- カンヌ国際映画祭
- 1953年:第6回カンヌ国際映画祭パルム・ドール(短編)/『白い馬』
- 1956年:第9回カンヌ国際映画祭パルム・ドール(短編)/『赤い風船』
- ジャン・ヴィゴ賞
- 1953年:『白い馬』
- ルイ・デリュック賞
- 1956年:『赤い風船』
関連項目
- 白い馬
- 赤い風船
- リスク
外部リンク
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