足立正生 : ウィキペディア(Wikipedia)
足立 正生(あだち まさお、1939年5月13日 - )は、日本の映画監督・脚本家・俳優。パレスチナ解放人民戦線・日本赤軍の元メンバー。
福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)出身。日本大学芸術学部映画学科中退。若松プロダクション参加、若松孝二の盟友とされるイベント報告 シネマスコーレ。
経歴
1939年5月13日、福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)に生まれた。八幡市立中央中学校と福岡県立八幡高等学校を卒業。1959年、日本大学芸術学部映画学科に入学。新映画研究会を立ち上げた。同時期に、VAN映画科学研究所を設立。
1961年の監督映画『椀』が学生映画祭大賞を受賞し、1963年の自主製作映画『鎖陰』でも脚光を浴びた。1964年、飯村隆彦、石崎浩一郎、大林宣彦、高林陽一、金坂健二、佐藤重臣、ドナルド・リチーらと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成。1966年、『堕胎』で商業映画監督デビューを果たした。
日本大学中退後は、若松孝二が設立した独立プロである若松プロダクションにて活動。1969年、若松プロダクション製作による『女学生ゲリラ』の監督を務めた。また、若松プロダクションではピンク映画の脚本を数多く手がけている。
1971年、カンヌ国際映画祭からの帰国途中、若松孝二とともにパレスチナへ渡った足立正生さんインタビュー・下 若松監督とパレスチナに行った理由とは 毎日新聞、2019年4月12日。パレスチナ解放人民戦線のゲリラ隊に加わり共闘しつつ、ゲリラ隊を題材とする『赤軍ーPFLP 世界戦争宣言』の撮影・監督を務めた。
1974年、重信房子が率いる日本赤軍へ合流し、国際手配された。日本赤軍ではスポークスマンの役割を担ったという。1997年、レバノンで逮捕され、ルミエ刑務所にて3年間の禁錮刑を受けた。2000年3月、刑期が満了し日本へ強制送還された。2007年、日本赤軍の岡本公三をモデルとする『幽閉者 テロリスト』(田口トモロヲ主演)を監督した。
2011年、フランスの監督が『美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう 足立正生』(原題 : )を製作し、日本では東京都渋谷区のアップリンクにて2012年12月に公開された仏前衛監督による、映画と革命を生きた足立正生のドキュメンタリー 映画.com、2012年11月30日。同作品の公開を記念し、アップリンクでは足立の脚本・監督4作品を上映する「特集 足立正生」が開催された。
2016年には『断食芸人』を監督し、第45回ロッテルダム国際映画祭のディープフォーカス部門に正式出品されたほか、同映画祭にて足立の特集上映が行われた。
2011年に設置された日本映画大学では非常勤講師を6年間務めた“革命家”足立正生が語る若松孝二と共闘した時代「若者が感じる閉塞感は今も変わらない」(後編) 日刊サイゾー、2018年10月17日。
2022年9月、同年に発生した安倍晋三銃撃事件の実行犯の半生を描いた映画『REVOLUTION+1』を制作中であると報じられた。自身も“テロリスト”として国際指名手配をうけた経験がある足立は「国家に対するリベンジだ」と語ったという。足立は、銃撃の被害者である安倍晋三に対して、「オレにとって、安倍家三代は不倶戴天の敵」と敵愾心をあらわにし、実行犯である容疑者について「最後まで自分が壊れることなく現実に立ち向かった」「尊敬する」と絶賛した。また、取材に対して「個人的な決起を、いつからテロと呼ぶようになったのか。元テロリストと呼ばれている僕は疑問です」と私見を述べている。安倍晋三の国葬に反対を表明しており「国葬だけは許せない。きょう上映するため、国葬の時にやりたいと思ってつくった国葬反対の映画。」だとした。また、「現在は生活保護を受給して生きている」、(国から保護費を貰っているから)「職業は国家公務員だ」と語っている。
フィルモグラフィー
映画
- 今日もまた過ぎた(1960年) - 監督・脚本・製作
- 椀(1961年) - 監督
- 鎖陰(1963年) - 監督・製作
- 胎児が密猟する時(1966年) - 助監督
- 堕胎(1966年) - 監督
- 避妊革命(1966年) - 監督
- 犯された白衣(1967年) - 脚本
- 銀河系(1967年) - 監督・脚本・製作
- 帰って来たヨッパライ(1968年) - 脚本
- 腹貸し女(1968年) - 脚本
- 性地帯 セックスゾーン (1968年) - 監督
- 毛の生えた拳銃(1968年) - 出演
- 絞死刑(1968年) - 出演
- 新宿泥棒日記(1969年) - 脚本
- ゆけゆけ二度目の処女(1969年) - 脚本
- 性遊戯(1969年) - 監督
- 女学生ゲリラ(1969年) - 監督
- 狂走情死考(1969年) - 脚本・出演
- 略称・連続射殺魔(1969年) - 監督・製作永山則夫を題材にしたドキュメンタリー。
- 新宿マッド(1970年) - 脚本
- 性賊 セックスジャック(1970年) - 脚本
- 叛女・夢幻地獄(1970年) - 監督
- 性教育書 愛のテクニック(1970年) - 脚本
- 性輪廻 死にたい女(1971年) - 脚本
- 秘花(1971年) - 脚本
- 愛の行為 続・愛のテクニック(1971年) - 脚本
- 噴出祈願 十五代の売春婦(1971年) - 監督・脚本
- 赤軍-P.F.L.P 世界戦争宣言(1971年) - 監督・出演
- 天使の恍惚(1972年) - 脚本・出演
- (秘)女子高生 恍惚のアルバイト(1972年) - 脚本
- 高校生無頼控(1972年) - 脚本
- ピンクリボン(2004年) - 出演
- 幽閉者 テロリスト(2007年) - 監督・脚本
- 砂の影(2008年) - 出演
- 革命の子どもたち(2010年) - 出演
- 美が私たちの決断をいっそう強めたのだろう/足立正生 (2011年) - 出演
- 21世紀アヴァンギャルド (2013年) - 出演
- 断食芸人(2016年) - 監督・脚本・企画・編集
- なりゆきな魂(2016年)- 出演
- 月夜釜合戦(2017年)- 出演
- 月蝕歌劇団「ねじ式・紅い花」(2017年)- ゲスト出演
- REVOLUTION+1(2022年)- 監督・脚本
- 国葬の日(2023年)- 出演
著書
- 足立正生『映画への戦略』晶文社、1974年
- 足立正生、平沢剛『映画/革命』河出書房新社、2003年 ISBN 978-4309266121)
- 足立正生、山口猛『塀の中の千夜一夜 アラブ獄中記』愛育社、2005年 ISBN 978-4750002323)
注釈
出典
外部リンク
- 足立正生に関するトピックス - 朝日新聞デジタル
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/24 11:28 UTC (変更履歴)
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