【「関心領域」評論】アウシュビッツの中は映さない。塀一枚隔てた外側にある「領域」での日常
2024年5月26日 08:00

今年(2024年)のアカデミー賞で、国際長編映画賞と、音響賞を受賞した作品です。この「音響賞受賞」という成果には、ジョナサン・グレイザー監督やそのスタッフたちも大いに溜飲を下げたであろうことは疑いありません。
冒頭、スクリーンには、黒い背景に「The Zone of Interest」のタイトルだけが映し出され、「オ〜オ〜オ〜」という抑揚のない合唱と伴奏の音だけが鳴り響く。やがて画面は完全にブラックアウトし、小鳥のさえずりがかぶっていく……。観客を知らず知らずのうちに、聴覚に集中するよう促す秀逸な導入です。3分間経って、ようやく川原で家族がピクニックしている実写の風景が現れ、本編が進行していきます。
物語の主人公はルドルフ・ヘス。アウシュビッツ収容所の所長です。彼は妻と5人の子どもたちとともに、収容所から塀一枚隔てた土地に建つ瀟洒な一軒家に暮らしています。たくさんの草花が生い茂り、よく管理されたヘス家の美しい庭の向こうには、有刺鉄線が巡らされた塀越しに収容所の見張り塔が覗いています。抜けるような青空の下、塀の向こうからは得体の知れない重機の音にまじって、銃声や悲鳴が引っ切りなしに聞こえてくる……。
とんでもなくシュールなシークエンスです。その不気味さに慄くとともに、映画的な発想の斬新さには感服するしかありません。「露骨なシーンは見せないよ。音だけ聞いて、あとは見る人が脳内で補完してくれ」というのが監督のメッセージなのでしょう。収容所の中に、カメラは入りません。あくまで、ヘスの家の中で起こった出来事とそこに暮らす人々の日常が中心です。
ヘスの昇進や異動、転勤についてなど、組織で働く人々とその家族の葛藤やストレスは、現代に暮らす我々社会人の共感を集める部分もあります。ベルリンに栄転が決まった。めでたいが、妻が今の家を離れたくないと言っている。家族のことを考えると、ここは単身赴任しかないのか……。ある意味「管理職ご主人あるある」みたいな話です。しかしヘスのミッションは、夥しい数の人間を殺戮するホロコーストの遂行。そこで目覚ましい成果を達成した結果の栄転です。つまりここに描かれているのは、信じられないほど異常に満ちた世界の、ある中間管理職の物語なのです。
終盤、リアルなアウシュビッツ収容所(現在は博物館として公開)のシークエンスが挿入されますが、その前の、ヘスが吐き気を催す場面が何かを示唆しているようです。大量殺戮を指揮したルドルフ・ヘスにも、贖罪の気持ちがあったのではないか? あるいは、ヘスによって殺害された人たちから時空を超えて呪われたのか? 人間の業を暗示したような印象的な場面です。また、時制が交錯するとても不思議な場面でもあります。
そして画面はブラックアウトし、冒頭と同様な合唱と伴奏で長い間合いが提示され、エンドロールへと続きます。先のシークエンスについて、「あれはどんな意味だったのか?」と思考を巡らすために設けられた間合いのように感じました。解釈は、見る人に委ねられているのです。
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