難民たちが兵器に 政府が隠したがった<国境の真実>を命を懸けて告発する「人間の境界」制作秘話
2024年5月4日 07:00
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2021年にベラルーシがEUの混乱を狙いポーランド国境に大量の難民を移送した事態をうけ、ポーランドとベラルーシの国境で「人間の兵器」として扱われる難民家族の過酷な運命を描き激しい論争を巻き起こした「人間の境界」が公開された。
2023年ベネチア国際映画祭のコンペティション部門で上映され、審査員特別賞を受賞した本作の監督は、3度のオスカーノミネート歴を持ち「ソハの地下水道」「太陽と月に背いて」など数々の名作を世に送り出してきたポーランドの巨匠アグニエシュカ・ホランド。
「ベラルーシを経由してポーランド国境を渡れば、安全にヨーロッパに入ることができる」という情報を信じて祖国を脱出した、幼い子どもを連れたシリア人家族。しかし、亡命を求め国境の森までたどり着くと、武装した国境警備隊に非道な扱いを受ける……という物語。これまでに18の賞を受賞、20のノミネートを果たし(2024年3月7日時点)世界各国の映画祭で高い評価を獲得している。
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ホランド監督は、2021年に自国で起こった難民危機をうけてすぐにそれを題材とする劇映画の制作を決意。監督は命の危険を感じるほど、当時の政権側から激しい非難にさらされた一方で、世界各地の映画人から連帯の動きも次々起こる驚愕の事態となった。これらの一部始終を時系列で紐解いていく。
2021年7月頃からポーランドとベラルーシの国境地帯で難民たちが両国から排斥される事態が勃発し、同年9月にポーランド政府はベラルーシとの国境の森付近に非常事態宣言を発令。ジャーナリスト、医師、人道支援団体らの立ち入りをも禁止した。ホランド監督は、この月には早くもこの難民問題を描く劇映画を制作することを決意したという。このテーマを描く上で影響を受けた出来事として友人からポーランド国境付近の森で裸の凍死体を発見したことについて詳しく聞いたことを挙げ、「ここ私の国で、すぐ隣で、人々が犬の散歩やキノコ狩りをする森の中で、凍え死んでいく若者の姿があるなんて余りにも恐ろしいことです。政治家が引き起こしたこの危機に直面して、私はアーティストとして、あるいは人間として、社会として、そして国として、明確な立場を取らなければなりません」と思いを語っている。
その一方で、監督は事態のさなかポーランドとベラルーシの国境警備隊が難民を取り囲んでいる情景を報道で目にする中で、第2次世界大戦直前の1938年に起こったある史実(1938年10月28日、ナチスドイツの保安警察長官ラインハルト・ハイドリヒが、第1次世界大戦後にポーランドからドイツへ移住した約17,000人のユダヤ人をポーランドへ送り返す追放命令を出したが、ポーランド側はその受け入れを拒否し、移送者の多くは両国の緩衝地帯に取り残された)を思い起こしたこともきっかけだという。
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ホランド監督と何度も対面した経験のある東京外国語大学等非常勤講師である久山宏一氏(ポーランド文化研究)は、「ホランド監督は、ユダヤ人でジャーナリストであった父親から幼い頃に戦争中のユダヤ人の歴史について多くのことを聞いていました。かつてポーランドの西側(ドイツ側)で起こったことを聞かされていた彼女は、ポーランドの東側(ベラルーシ側)で起こっていることを受けて、第2次大戦の引き金になったこの出来事を想起したようです」と、監督の決断の背景を紹介する。
ホランド監督は、政府により立ち入りを禁じられたこの森で実際に難民たちと関わっていたアクティビストらを共同脚本家に迎え、情報源への入念な調査を重ね作り上げた。また、自身のコネクションを使ってこの事態に実際に関わった国境警備隊員にも取材を敢行し、警備隊による難民への非人間的対応や、それが兵士自身に与える影響など入念なリサーチを重ねたという。本作の撮影は、2023年春にスケジュールや撮影場所を公にすることなくこの国境の森から遠く離れたポーランドの首都ワルシャワ近郊の森を中心に24日間という驚異的なスピードで行われたが、撮影の終盤で警察官による訪問やヤジを浴びせられることもあったと明かす。
ベネチア映画祭でのワールドプレミア前日となる9月4日、ポーランドの法務大臣(当時)ズビグニエフ・ジョブロ氏は、映画を未見であったが「かつて第三帝国(ナチスの別称)では、ドイツ人がポーランド人を盗賊や殺人者と見なすプロパガンダ映画を制作した。今日、彼らはそのためにアグニエシュカ・ホランドを迎えたのだ」とナチスドイツのプロパガンダを引き合いに出して映画と監督を激しく非難する内容をXに投稿した。
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ホランド監督は、ジョブロ氏への告訴を検討することを公にし、謝罪と関連団体への慈善寄付を要求。この頃ポーランドを訪れていた久山氏は、ポーランド国内の様子について「この時ほとんどの人が映画を観ていない状況です。その時点で作品に対するヘイトがかなり広がっていて、公開前の雰囲気はかなり悪かったです」と振り返る。
このような動きに対して、ホランド監督が会長を務めるヨーロッパ映画アカデミーやヨーロッパ映画監督連盟(FERA)が次々と監督への支持を表明。これらをつぶさに伝えるネット報道も加速する中、ポーランド公開を翌日に控えた9月21日、ポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領が公共テレビTVPで本作および本作を鑑賞する観客を批判。当時の与党「法と正義(PiS)」がポーランド全土の映画館で本作の上映前に<映画に欠けている要素に関する特別広告>を追加させると発表。政府制作の国境警備隊のプロモーション映像(https://www.youtube.com/watch?v=NimknnrgMX0&t=29s)を「人間の境界」上映前に流すよう各映画館に命じた。
しかし、ほとんどの独立系映画館はその命令を拒否。監督も会員に名を連ねる全米監督協会(DGA)も9月21日、これまでの経緯を踏まえて「私たちは、アグニエシュカのような監督が、作品を通じて議論を促進し、社会問題を反映させる上で重要な役割を担っていると強く信じています」など監督への全面的な支持を表明する声明を発表。文字通り、<政府vs映画>という表現を巡る闘いが世界的に波及していった。
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2023年9月22日にポーランドで公開された本作は2週連続トップの観客動員を記録。ポーランド映画として当時年間最高となるオープニング成績をたたき出し、異例の大ヒットとなった。ホランド監督は、こうした権力側による映画への激しい攻撃がかえって政府が隠したがった“国境の真実”への関心を広げる効果を果たしたと分析し、「人としてあるべき人道的な視点を、この映画が目覚めさせたということもあったのかもしれません」と振り返る。
また、「本来はきっと私の話を理解してくれるような人からも、今回、非常に不愉快な反応を示されたり誤解されたりする可能性があることは承知しています。ですが、基本的には、恐れていません。以前も恐れていませんでしたから、今も恐れる理由はありません。物議をかもすようなテーマについて明確な立場を示したり発言したりすることは、大きなリスクを伴います。ですが私は、痛みを伴うような難しい選択が強いられる重要な問題や、時には解決不可能な問題に取り組むために闘わないのであれば、芸術を作ることに意味はないと感じるのです」と、一貫して変わらぬ制作スタイルを語っている。
そんなホランド監督はすでに新作の撮影に着手しており、テーマはユダヤ人の世界的文豪フランツ・カフカの誕生から死までの人生を描くものだという。「人間の境界」はTOHOシネマズ シャンテで公開中、ほか全国順次公開。
(C)2023 Metro Lato Sp. z o.o., Blick Productions SAS, Marlene Film Production s.r.o., Beluga Tree SA, Canal+ Polska S.A., dFlights Sp. z o.o., Ceska televize, Mazovia Institute of Culture
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