「PLAN 75」早川千絵監督が“カンヌ快挙”に至るまで――NYアシスタント時代からの道程に迫る【NY発コラム】
2022年6月19日 18:00
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ニューヨークで注目されている映画・ドラマとは? 現地在住のライター・細木信宏が、スタッフやキャストのインタビュー、イベント取材を通じて、日本未公開作品や良質な独立系映画を紹介していきます。
5月28日、朗報が届いた。第75回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に出品された日本映画「PLAN 75」が、初長編作品に与えられるカメラドールのスペシャルメンション(次点)に選出――日本中のメディアが、この快挙を報道していた。その一方で、私は、あることを思い返していた。同作を手掛けた早川千絵監督との“初めての出会い”だ。
私はアメリカのフィルムスクールに通った後、テレビ東京の番組「モーニングサテライト」のニューヨーク支社でアシスタントとして働いていた。当時の仕事は、会社のBロール(宣伝用映像)の発注をしたり、記者が書いた原稿のコピーを各現場のスタッフに渡したり、株式市場のチェックなどを行っていた。
次々と新たな仕事が舞い込む「モーニングサテライト」。生放送中は、まさに戦場だった。決定稿として渡された原稿でさえも、速報や追加記事があれば、内容の変更、差し替えは当たり前。ひとつの判断ミスが周囲に多大な迷惑をかけてしまうほど、緊張感のある現場だった。
そのような日々を過ごすなかで、映画関係の仕事をするという夢が諦めきれずにいた。そして、この仕事を辞め、バイトをしながら、映画記者になろうと思っていた時期のこと――アシスタントの仕事を引き継ぐためにやってきたのが、ニューヨークの美大(School of Visual Arts)を卒業したばかりの早川監督だった。
今と変わらないショートヘア。教えることをひとつひとつ、小さなメモ帳に記していく。不明瞭なところは、短い質問で確認してから進め、物事は一度教えただけでマスターしてしまう。アシスタントは、2、3の業務を並行してこなさなけれならないタフな仕事だ。それを難なくこなしていたのが、早川監督だったのだ。
それから月日は流れ、カンヌでの快挙を知ることに。今回は、早川監督に時間を割いていただき、ロングインタビューに応じてもらった。
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早川監督は、第36回ぴあフィルムフェスティバル「PFFアワード2014」にてグランプリ(「ナイアガラ」)を受賞している。そのことは、かつての同僚を通じて知らされていた。しかし、どのような経緯で映画監督の道へと進んだのかは、これまでわからなかった。「モーニングサテライト」のアシスタントを辞めた後、どのように映画界へと歩んでいったのだろう。
「アシスタントを辞めた後、東京に新しくできた映画学校に通うか、もしくは助監督になって現場で学ぼうと思って、日本に帰ろうとしていたんです。でも、そんな矢先に子どもを授かりました。そこから人生の計画を変えることとなり、アメリカで出産し数年を経てから、日本に帰国しました。日本に帰ってからは、WOWOWの映画部で業務委託の仕事をしていたんです。クリエイティブな仕事ではなく、デスクワークでした。アメリカのメジャースタジオに素材をリクエストして、取り寄せたものを、日本の放送フォーマットに仕上げる――というような仕事。映画に囲まれている仕事なので、すごく楽しくて、居心地も良かったです」
そう答えたものの、映画への思いは募るばかりだったそうだ。
「ずっと映画が撮りたくて、30代半ばで、映画学校のENBUゼミナールに通い始めました。1年間通って撮った卒業制作『ナイアガラ』が、2014年のカンヌ国際映画祭シネフォンダシオン部門に入選し、ぴあフィルムフェスティバルでもグランプリを頂いたことで、徐々に映画関係者と知り合い、監督育成ワークショップなどに参加するようになりました。その後、18年にオムニバス映画『十年 Ten Years Japan』の1編を監督したのですが、その時に初めて“日本のプロのスタッフと撮る”という経験をし、その映画が公開される年にWOWOWの仕事を辞めました。映画監督という看板を掲げ、監督という職業でやっていくために、退路を絶つことにしたんです」
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「十年 Ten Years Japan」は、是枝裕和監督がエグゼクティブプロデューサーを務めた作品だ。その後、是枝監督のもとで学ぶ機会はあったのだろうか。
「是枝さんは『十年』に参加した監督達に対して、今後もアドバイスしたり、力になるよと言ってくださったのですが、是枝さんが新しい作品の制作に入っていることを知っていたので、ご相談にいくのは遠慮してしまっていました。長編を撮るとなった時、私はスタッフとして長編映画の現場に入った経験がなかったので、プリプロダクション(撮影準備段階)からどうやってスタッフとコミュニケーションを取り、どのような形で現場が動いていくのか、最初は勝手が分からず不安でした」
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「PLAN 75」は長編デビュー作であるばかりでなく、最初から最後まで“現場にいた”映画でもあった。話題は、作品のコンセプトへ。物語が生まれるきっかけとなった出来事や事件についてたずねてみた。
「日本に戻ってきてから『自己責任』という言葉を頻繁に聞くようになりました。助けを求めたくても、求められない社会の空気がある――そう感じていました。生活保護に対するバッシングがあったり、透析患者(透析=腎臓の働きの一部を人工的に補う治療法)に対して『自業自得だ』というようなことを言う著名人、政治家がいる。社会がどんどん不寛容な方向へ進みつつあるのではないかと。そんな矢先の2016年夏、相模原障害者施設殺傷事件が起きました。障害を持った人は生きる価値がないという犯人の主張に言葉を失いました。生産性で人の価値を測ろうとする風潮はこの事件が起こる前から社会に存在していたと思いますが、この事件は一線を超えてしまったと感じ、衝撃を受けました。このままでは、生産性のない高齢者は不要である、と言うかのような『プラン75』(75歳以上の高齢者に対して、自らの生死の権利を保障し支援する制度)が日本で生まれ得るのではないかと。『今、この映画を作らなければならない』と思ったのが、17年初頭の頃でした」
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では、物語を描く上での“下地”についてはどうだろう。介護施設を訪れたり、高齢者の話を聞いたりはしたのだろうか。
「60~80代くらいの女性を中心に、15人くらいの方にお話をうかがいました。これまでどういう人生を送ってこられたか、『プラン75』という政策があったとしたらどう思うか、ということを聞きました。また、介護の仕事をされている方や、日本で介護士として働くフィリピン人の女性達にも話を聞きました」
このリサーチを通じて印象に残った言葉、もしくは重要な要素となった部分についても答えてくれた。
「新たな発見という意味でいえば、フィリピンから介護士として日本に働きにきている方についてです。当初は差別的な扱いを受けているというステレオタイプのイメージがあったので、そのようなシーンを(脚本に)入れていました。でも、実際にお話を聞いてみると、職場の環境も良く、皆さん感謝されながらお仕事をされていました。『言葉が通じないこともあって、大変だけど、この仕事に誇りを持っている』と言われる方が多かった。自分のステレオタイプなモノの見方を改めました」
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「他に印象に残ったのは、高齢の女性たちとお会いした時のこと。大半の方々が口を揃えて仰っていたのが『人に迷惑をかけたくない。子どもに迷惑をかけたくない』というものでした。“人に迷惑をかけてはいけない”という教えを、私たち日本人は子どもの頃から刷り込まれています。迷惑をかけたくないという想い、それ自体は美しいことですが、それが行き過ぎてしまうと、なかなか人に助けを求められなくなってしまう。また、他人に“迷惑をかけている”人に対して敵意を剥き出しにするような、非常に生きづらい社会になる。そのような両面があると思いました」
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本作を鑑賞して「怖い」と感じた部分がある。それは「プラン75」のCM、その内容を説明する市役所職員の言葉が前向きであること。「プラン75」にまつわる作業が、事務的に、そして淡々とこなされていくさまに恐怖を感じてしまった。
「『プラン75』のような制度ができるとしたら、こういう風に打ち出されるのだろうなと想像して作りました。非人間的で恐ろしいシステムを、フレンドリーで、使いやすくて便利なものであるという風に見せようとするだろうと。これは“優しい顔をした暴力”だと思うのです。現在の日本でも様々な言葉のすり替えや印象の操作がなされているなと思っています。例えば『一億総活躍社会』という言葉。『国は助けないから、自分たちが働いて、それぞれで何とかしてください』ということが言い換えられているような気がします」
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自分で死を選択するということ。それを尊厳死と見なす人もいれば、自殺という見方をする人もいる。“死”というものについての意見もたずねてみた。
「死に関しては、人それぞれに価値観があります。尊厳死、安楽死に対する思いや考え方も、人それぞれのもの。だからこそ、そこに対して物を申したいとか、是非を問うような映画にするつもりはありませんでした。個人の死への向き合い方、考え方をジャッジするような映画にはしたくなかったのです。国家や他人が“人命”に線引きをしたり、そういう選択肢があることで、追い込まれてしまう人が存在するということ。そして、それに気づかない社会をこの映画では描く必要があると思いました」
続けて、倍賞千恵子を主演に起用した理由を明かしてくれた。
「脚本を書き終わり、ようやく日本の製作パートナーも見つかって、『さぁ映画が撮れるぞ』となった時に、初めてキャスティングを考え始めました。今回の映画は、主人公が次第に追い詰められていくお話でしたが、惨めな感じには見せたくなかったんです。この主人公には凛とした美しさがあって、人間的な魅力もある人であって欲しい。その方が観客も感情移入しやすく、この人に『生きて欲しい』と思えるような主人公にしたかった。そんなこと考えた時に、倍賞さんのお顔がフッと思い浮かびました」
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「仕事をしている女性を演じる倍賞さんの姿がすごく印象に残っているんです。例えば、牧場で働く女性、船を運転する女性、居酒屋をひとりで切り盛りする女性。特に働いている所作がすごく板についていて、美しいなと思っていました。今回の角谷ミチという役柄は、78歳でまだ仕事をしている。それをリアルに演じられる人は、倍賞さん以外に考えられないと思って、お願いしました」
現在の日本は、少子高齢化社会。早川監督には、この点についての意見も述べてもらった。
「この映画を作った理由は、高齢化問題に興味があり、それを描きたいと思ったからではないんです。それよりも、社会の不寛容さに対する憤りが基になっています。高齢化問題をこれからどうしていくべきなのか――そういうことに対して、問題提起を行いたいわけではありません。もちろん、そういう見方をされる方もいらっしゃると思いますが、私としては、そこにあまり重きを置いていないというのが正直なところです」
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本作で特筆すべきポイントは、カメラの配置。観察的なポジションで、主人公・角谷ミチをとらえている。誰かの影響を受けたのだろうか?
「いろいろな監督の作品に影響を受けているとは思うのですが、今回、物語る姿勢として、客観的で静かな眼差しを向けたいと考えていました。たくさんカットを割ったり、近接で撮るというよりも、ある程度の距離を保つ。長めのカットで、ずっと見つめているというようなトーン、あるいは流れみたいなものを作りたいと思っていました」
日本だけでなく、フランス、フィリピン、カタールなど、さまざまな国々が製作に携わっている。
「長編1本目を新人監督のオリジナルストーリーで撮るとなった時、日本では1億円以上の予算の映画は、なかなか撮れないと思うんです。ゴーサインがなかなか出ない。水野詠子プロデューサーから『新人監督でも少ない予算なら何とか撮れるだろう。でも、この映画はちゃんとお金をかけて、きちんとしたクオリティで作るべきだ』という方針が最初にあり、そして『日本だけに留まらず、海外の観客にもきちんと受け止められるような作品にしよう。そこを目指したい』という共通認識がありました。そのため、最初から国際共同製作にしようという思いはありました。り多くの予算を集めるため、というのは大きな理由のひとつだったのですが、海外の才能と出会うことで、よりクオリティの高いものを作れるのではないかという期待もありました」
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本作のエンディングは、希望を抱けるような形となっている。そこでは、自己選択することの大切さを描いているように思えた。
「市役所で働く岡部ヒロム(磯村勇斗)、コールセンターの成宮瑶子(河合優実)といった若い二人は、国で決まったこと、上から与えられたものに対して、何の疑問を抱かず、受け身のまま仕事を遂行してしまう。その態度は日本人特有なものに思えるのです。ルールに従うことを第一とし、自分の頭で考えることをやめてしまう。そんな彼らが、自分の意思で、自分の頭で考え、自分の感情に従って行動を起こすというところを描きたかったんです。彼らの気づきがこの映画の希望になりえるのではないかと」
カンヌ国際映画祭での反応は? 日本の観客との違いはあったのだろうか。当時の様子を振り返ってもらった。
「日本の方々からは『身につまされた』『自分の将来を見るようで考えさせられた』『怖かった』という感想がかなり多かったと思います。一方、カンヌでは『弱者が排除されていく傾向は、日本だけのことではなく、世界中で起きていること。今の私たちにとって、必要な映画だ』と仰ってくださる方がいましたね。他には『自分の母親のことを思いながら見ていた』であるとか、『鑑賞後、すぐに映画館を出て祖父に電話した』と涙ながらに伝えてくる方もいらっしゃいました。心の深いところにまで届いているような印象を持ちました」
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ENBUゼミナールで映画作りを学んだ早川監督。たずねてみたかったのは「若い才能を育成する場が、日本には十分あると言えるのだろうか」ということ。早川監督は「昔に比べると、少しずつできていると思います」と意見を述べる。
「日本国内でも若手の映画作家やプロデューサーを育てようという試みが確実に増えていると思います。私自身も、東京フィルメックス主催のタレンツ・トーキョーやNHKサンダンスの脚本ワークショップ、VIPOの脚本研修など、様々なワークショップに参加しましたが、そこで得た経験が今につながっていると思います。すぐに結果は出ないかもしれませんが、良い方向に変わりつつある。ただ、私が一番問題だと思っていることは、日本における映画スタッフの労働環境が過酷すぎること。そこを早急に変えないと。映画は監督一人では作れません。作品には大勢のスタッフが関わっています。映画を支えるスタッフが安心して仕事ができる環境がない限り、日本映画はどんどん衰退していくと思います」
最後の質問は、次回作のアイデアについて。既に内容は固まっているのだろうか?
「作品が具体的に立ち上がっているわけではないのですが、『PLAN 75』は社会的なテーマをモチーフにした作品だったので、次作は、パーソナルな物語を作ってみたいなと思っています」
(C)2022「PLAN75」製作委員会 / Urban Factory / Fusee
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