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小川洋子&永瀬正敏が誘う、日台合作映画「ホテルアイリス」の“深部”

2022年2月18日 10:00

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小川洋子(左)、永瀬正敏(右)
小川洋子(左)、永瀬正敏(右)
(C)長谷工作室

小川洋子氏の小説を映画化した日台合作映画「ホテルアイリス」が、2月18日に公開を迎えた。

謎めいた男と心に闇を抱えた女が、ふたりだけの禁断の世界に溺れていくさまを描く――。監督を務めた奥原浩志は、小川氏に脚本を持ち込み、4年の歳月をかけて映画化を実現させている。台湾・金門島でオールロケを敢行。映画初出演にして主演の座を射止めた台湾の若手注目株・陸夏(ルシア)とともに、一翼を担う俳優がいる。

日本を代表する国際的俳優・永瀬正敏だ。

ジム・ジャームッシュ相米慎二をはじめ数々の名匠の作品に出演してきた彼が、「ホテルアイリス」で挑んだのは、ミステリアスなロシア文学の翻訳家。原作小説では“冴えない外見の初老男性”として描出されているが、映画では“大人の色気”を漂わせるキャラクター像が体現している。

このほど、小川氏と永瀬の対談が実現。取材終了後には、こんな光景も見受けられた。1冊の本を取り出した永瀬。原作小説の文庫本だ。かなり読み込んでいるようで、全体がボロボロになっている。その本を小川氏に差し出し、サインを求めた永瀬。初対面となった2人は、互いをリスペクトし合っていた。そんな2人の会話は、映画「ホテルアイリス」の“深部”へと迫っている。


画像2(C)長谷工作室
――小川さんの小説の映画化作品には、これまで「薬指の標本」「博士の愛した数式」がありました。この2作と比べて、「ホテルアイリス」は、より大胆に翻案されています。作品をご覧になり、どのような印象を持たれましたか?
小川:脚本をあらかじめ読んだときには、映画化するにあたっていろいろと手を加えたんだなと思いました。でも最終的に映画になった段階では、自分の小説とどこが違うとか、そんなことはもう全然気にならず。一つの完成された世界として、違和感なく観ることができましたね。
画像13(C)長谷工作室
――以前、インタビューの場で、翻訳家というキャラクターについて「もう死しか残されていないようなお年寄りにしたかった」と話されていました。それを永瀬さんが演じることで、見え方が違ってくるような気もしました。
小川:年齢は単なる数字でしかないんだなと思いました。たしかに小説で「老人」という言葉も使いましたが、この映画に登場するあの翻訳家も、ある意味では“老人”であり、何歳でもありうる。年齢という単純な枠組みを打ち破ったような存在感でしたよね。
――ある意味で、老人である。
小川:つまり、既に半分死んでいる。あるいは、実は“死者”だと言ってもいい。年齢を超越し、何歳であるかということに意味をなくした、死者。それを、永瀬さんが体現されたということだと思います。
永瀬:そうおっしゃっていただけてうれしいです。そこは最初にお話をいただいた時、僕も確認しました。老けメイクや特殊メイクをするのか? でもそれだとこの映画のためにならない気がして……。製作者さんサイドの意見は、準備稿の時点から「老人を下げ、マリの年齢を上げてやるつもりだ。年齢が近づいたときのケミストリーも見てみたい」と。それでわかりましたと。
画像3(C)長谷工作室
――永瀬さんは翻訳家を演じるにあたり、あらかじめ原作小説を読まれましたか?
永瀬:読ませていただいて、すごく魅力を感じましたね。翻訳家だけではなく、主人公のマリや、あのホテルで働いている、盗み癖のあるおばさんとかも含めて。そういうさまざまな人たちの集合体として、面白い小説だなと思いました。
――それぞれのキャラクターに魅了されたということですね。
永瀬:ええ。あと、いつの時代の、どこの国の物語なのかわからない、浮遊しているような感覚も含めて魅力を感じたんだと思います。普段は現場に入ってからは、原作をあまり手に取らないんです。でも今回は原作を持ち歩き、何度も読み返しました。
――それはどうしてでしょう?
永瀬:もちろん監督の書かれた脚本があってこそですが、映画の時間軸の中に、小説に描かれていること全部は収まり切らないですよね。となると、「ホテル・アイリス』」から絶対に削ぎ落としちゃいけないところはどこなんだろうと思って。翌日撮る予定のシーンを原作で読み返しては、監督に自分の考えをお伝えすることもありました。
画像4(C)長谷工作室
――特に原作が指針になったポイントは?
永瀬 いっぱいありますけどね。翻訳家が暮らしている孤島での、彼の重みのある立ち振る舞いだったり。そこからホテルアイリスのあるリゾート地へ渡ってきたときの、地に足がついていない感じだったり。
――リゾート地と孤島を行き来する中で、翻訳家の二面性をどう切り替えていくかにおいて、原作を参考にされたと。孤島に行くには、満潮のときは渡し舟が必要ですが、干潮のときは干潟に歩道が現れ、歩いて渡れるという設定になっています。
永瀬:翻訳家が孤島に歩いて帰ろうとして、途中で止まるシーンがあるんです。撮影している間に潮が満ちて、途中から島へ渡れなくなった。でもこれはチャンスなんじゃないかと、撮影したんです。とは言うもののこの場合、どっちの翻訳家として立っていればいいんだろうと少し考えてしまって。そういうときに、小川さんが書かれている一言一言を大事にしていました。
小川:とてもありがたい言葉です。
画像5(C)長谷工作室
画像6(C)長谷工作室
――台湾・金門島のロケーションが非常に魅力的です。レンガが敷き詰められてた道、石造りの建物、潮が引くと歩道が現れる孤島……原作小説の雰囲気にぴったりでした。
小川:素晴らしいですよね。よくこんな場所があったなって。しかもホテルアイリスの建物が、実際も民宿だと聞いて、「ああ、小説家が想像して作ったものだと思っても、実はこの世界のどこかにそれは存在してるんだな」と、ちょっと面白い錯覚に陥りました。
永瀬;ロケーションは役を演じる上で、いわば共演者の一人みたいなもの。非常に大切なんです。小川さんが今おっしゃったように、金門島は原作のイメージにスッとつながって、監督はよく探されたなと思いました。
――ロケーションという観点では、どのような部分が印象に残りましたか?
永瀬:やはり潮が引くと現れる歩道ですね。たしか、朝方と夕方の一瞬しか歩いて渡れなかったんじゃなかったかな。限られた時間の中でどう撮影するか? スタッフの皆さんは大変だったでしょうが、様々なアイデアを出し合って撮影できた。この歩道のあり方が作品にぴったりだと思いました。
小川:私は、小説では大きい遊覧船で行き来するイメージだったんですが、映画では渡し舟風になっていて。その舟を漕ぐ売店のおじさんの佇まいが、すごくよかったんですよね。海辺にある売店や、売っているものの感じとかも。自分の小説にも、この人を登場させたかったと思ったほどでした。
画像7(C)長谷工作室
――売店の男役は、台湾人俳優リー・カンションさん。意味ありげな視線で演じていましたね。
小川:マリと翻訳家は切実な状況にあります。おじさんはこの二人とは全く無関係の立場にいながら、彼らをあちらへ渡すという、実はとてつもなく重要な役目を果たしていて。そのことに気づいていないのか、それとも気づいていないふりをしているのか、あの不機嫌で、無責任な感じが印象的でした。
――奥原監督は「永瀬さんに教わることの多い撮影でした」「演出のアイデアの少なくない部分が永瀬さんの教示によるもの」と仰っています。具体的にはどのシーンで、アイデアを出されたのでしょうか?
永瀬さん:これは、監督がいい風に言ってくださっていると思うのですが……。実際演技をする上で動いてみると、脚本の字面とうまくマッチングしないところだったり「別の表現でもっと良くなる可能性があるかもしれない」という事があったりします。それは監督が気付かれることで、それをリハーサルしつつ監督の「何か他にないか? もっと良くならないか?」という思いを聞きながら、試行錯誤して皆んなで本番までもって行くんです。
画像8(C)長谷工作室
永瀬:原作にある本島での翻訳家の居心地の悪さをどう表現するか? 歩き方であったりとか、レストランでの目線であったりとか佇まいでどこまで具体化するか。逆に翻訳家の家での彼の行動についてとか、甥とのちょっとしたアクションであったりとか、マリとの関係性であったりとか。原作や脚本を読み込んで湧き出たものや、段取りやリハーサルを重ねながら、それらの中で監督に問われたら、例えば、甥の残したメモをこうしてみたら何か言葉にしなくても、それぞれ3人の感情を表現できるかもしれないのですが……どうでしょうか?みたいな感じで、あくまでご相談、アイデアの提示ですよね。もちろん最終的なジャッジは、監督がされている訳で、各部所から出たものでも使われないアイデアもあるし、編集でカットされることもある。それはそれでいいんです、その過程が大切なんで。素晴らしい原作・脚本があって、作品のために俳優部として何ができるか? 僕も映画を作る上で、たくさんある部所の中のイチ仲間として、自分に妥協せず最大限の努力をしなければ、といつも心掛けてはいます。
――この映画は“バイリンガル”と言えるでしょう。劇中、日本人のキャストが話すのは日本語、台湾人のキャストが話すのは北京語です。しかし、台湾人の陸夏さんが演じるマリだけが、母語の北京語と、母語でない日本語の両方を話します。
小川:それは、この映画の大事な要素の一つだと思います。マリと翻訳家がやりとりし合うのは、“言葉にならないもの”です。なぜ言語が混じり合っているのか、最初は不自然に思われる方もいるかわかりません。でも言語や言葉の意味なんて、この二人にはあまり関係ないことが、映画を観ていくうちにだんだんわかってくるんですよね。二人はまるで小鳥がさえずり合うように、“意味じゃないもの”をやりとりしている。あるいは、肉体と肉体をやりとりしている。そういう関係性を一つ、言語の問題が象徴していると思います。
――過去のインタビューでおっしゃってきた「文学は、言葉にできないことを言葉にしようとすること」という考え方とも少しリンクしますね。
小川:人によってはこの映画を観て、「ちゃんと言葉でわかるように説明してくれ」という気持ちになるかもしれません。でも実は、言葉にならない部分に重要な真実が隠れている。そこまで行き着いてほしいなと思います。
画像9(C)長谷工作室
――陸夏(ルシア)さんは今回が映画初出演となりました。日本語のセリフ、ヌードのシーンがある中でも、堂々と演じてらっしゃいます。
永瀬:肝が座っていましたね、最初から。今回の現場には台湾人のスタッフも、若くてしっかりした女性が多かったから、安心できる現場だったんじゃないかなと思います。
――「肝が据わっている」というのは、どのようなところに感じましたか?
永瀬:マリが翻訳家と関係を持つシーンの撮影のとき、陸夏は待ち時間もずっとあの部屋の中に、体に何か一枚羽織っている程度のままでいたんですよね。そうすることで何かを自分の中に入れて、マリに変わろうとしていたのかな。初めての映画ということもあり、とにかくなんでも吸収しようと一生懸命準備していた姿をよく覚えています。かなり不安もあっただろうし、いろいろ思い悩んだと思うんです。そういうときは、みんなで夜ご飯を食べに行って。(撮影はコロナ禍前の2018年で)まだそういうことができる時期だったので。「みんなで明日も頑張りましょうー!」なんてふざけて言い合ったりしました。
画像10(C)長谷工作室
――マリは、さまざまな噂を耳にし、そして疑惑を持ちながらも、非常に年齢が離れた孤独な翻訳家に惹かれていきます。翻訳家の何に惹かれたのだと思われますか? また、2人は一歩間違えば死をも想像できる行為で愛を確かめ合いますが、マリは嫌悪感を持つどころか、その関係に陶酔していくように見えました。彼女の心理状態について、永瀬さんの解釈を教えていただけますか?
永瀬:難しいですね……。マリの心理については演じられた陸夏さんが一番理解されていると思いますが……。何かの心の歪みというのが、それぞれはまったく違う歪みなんだけれど、それがどこかで、何かの弾みで体温みたいなものというか、それが偶然合致したのかもしれないですね。それは、年齢や立場みたいなものも関係なく“何か”がリンクしたんじゃないでしょうか。エロスだけではなく共にタナトスがそばにある関係、それは2人の中でそれぞれの存在意義を確認し合う行為だったのかもしれません。そもそも、もしかしたら僕自身(翻訳家)は実在していなかったかもしれないし、主人公のマリもしくは、マリ―の妄想、幻想なのかもしれない。彼女の中のサディスティックな部分とか、マゾヒスティックな部分が、あの本島の、彼女にとって窮屈な狭い空間の中で翻訳家に出会ったことによって、実際にカミングアウトしたものなのかもしれない。この作品はご覧いただいた皆さんが、様々な解釈ができる作品だと思っています。マリを演じた陸夏(ルシア)さんにも、どう感じて演じていたのか、是非聞いてみて欲しいですね。
画像11(C)長谷工作室
永瀬:この映画の中で、ホテルアイリス側の本島と、翻訳側が住んでいる孤島で、2人のふるまいが変わります。どちらかというと、本島では、彼女(=マリ)に引っ張られている部分がものすごくあります。それはもしかしたら、亡くなった父親に対しての思いの反映ということもあったかもしれないですし、周りにいない翻訳家の異質性への興味にのめり込んだのかもしれない。彼女が主導権を持っている。普段の生活で鬱積している彼女の心が、この男だけは全てを自分のものにしたいと思っているのかもしれません。しかし、一方、孤島の方に戻れば、翻訳家の言われるがまま、口で靴下をはかせるところまでいってしまう。全てを与えて受け入れようとすると言うか。まるで逆の心理が働く。翻訳家は彼側のテリトリーとでも言えるのでしょうか、孤島では彼の一面、欲望と刹那が暴走し始めて、孤独が故に歯止めが効かなくなる。それに彼女は身を任せてしまう。そこまで行ってしまったのは、やはり何か2人だけが共有できる心の温度がリンクする瞬間があったからだと思います。
画像12(C)長谷工作室
永瀬:人の妄想幻想は無限大ですからね。そういうところも、「これってどういう心境なんだろう?」と思いながら、観て欲しいと思いますね。逆に、翻訳側の妄想かもしれないし。観る人によっては、捉え方で、いろんな結論を導きだせるというか。昨今、結論がはっきりする映画が多い中、観客に委ねられる作品、稀有な作品だと思います。「あれ?これって現実?」と思ってみてもらってもいいし、ファンタジーとしてみてもらってもいいと思います。いろんな捉え方できる、そこが、小川洋子さんの原作の凄いところだと思います。リー・カンションさんは、ご自身の役を「あの世からの使者」と断言しておられましたが、翻訳家は、彼側(死の世界)の人間なのかもしれませんよね。こういった質問を受けるということは、小川洋子さんの創作された深さに繋がってる感じがするんですよね。「なぜ、2人がこうなったか?」というところに興味があるわけで、その明確な答えを小川先生は確信を持ちながら、あえて浮遊させている感じが、この原作の深いところだと思います。「幻想か現実か」。その答えをはっきり自分で持って、こう演じました、というよりは、その答えが出ないところがこの作品の面白さ、だと思って僕は演じていましたね。

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