【挑み続ける男 大友啓史10年の歩み】第8回:「影裏」を撮ることで見えてきた故郷・岩手への思い
2021年5月19日 13:00
10回連載の特別企画【挑み続ける男 大友啓史10年の歩み】。第8回は、綾野剛と松田龍平との仕事を振り返った前回に続き、「影裏」についてうかがっていきます。「影裏」を撮ることで見つめ直した自分自身と故郷の関係性、「影裏」を撮ったことで新しく見えてきた故郷への思い、たっぷりと語っていただきました。(取材・文/新谷里映)
そもそも震災がなければ地元を顧みることはなかったと思うんですよね。会社(NHK)を辞めてフリーになって、映画を撮るんだと新しい人生を選択したわけですが、希望もある一方で不安も大きかった。そんなときに震災が起きた。ニュースなどで故郷の惨状を目にして目の前が真っ暗になりましたね。被害の全貌が明らかになるにつれて、もちろん実家や地元のことは心配でたまらなかったけれど、自分自身の人生も心配になってきた。震災によって経済にも影響が出ることは明らかでしたし、独立のタイミングとしては最悪だなと。映画なんか撮っている場合じゃない、本気でそう思いました。映画を撮れなくなったら、生活していけなくなったら、コンビニで働くとか、とにかくやれることは何でもやろうと。いざとなったらどんな仕事でも這いつくばってやると。まあ会社を辞めるとき、どこかでそういう(覚悟をもって挑戦する)自分と出会いたい気持ちもあったんですね。震災によって、改めてその時の覚悟を思い出しました。
そうですよね。震災が起きたことで、自分の人生と故郷に期せずして真剣に向き合うことになった。向きあって行き着いたのは、友人や知人を心配する気持ちと、戻る場所は故郷しかないんだという気持ちですね。とは言っても「るろうに剣心」の撮影が控えていたので、映画を撮るしかなくて……。多くの邦画の撮影は中断されましたが、「るろうに剣心」は外資の映画でしたから撮影は決行された。震災で故郷のみんなが大変な時に地元に帰らず、苦しみも共有できず、自分だけ安全地帯で映画を撮っていていいのだろうか、自分が困った時だけ助けを求めるような、故郷との関係はそれでいいのだろうか、色々な考えが頭に浮かびました。そのときの葛藤があったからこそ、その後、定期的に地元に帰って、地元の連中と集まって、盛岡のために何ができるか、地元に貢献できることはないか、そういうことをわりと真剣に話すようになったんですよね。
盛岡には全国で唯一の「映画館通り」という通りがあって、繁華街の最盛期には10館を超える映画館が軒を重ね、僕が学生の頃も7館の映画館がありました。映像を生業にしている人間として、歴史あるその場所で何かできることはないかと。それで小中高の同級生と一緒に<映画の力>プロジェクトを発足しました。一時期は「もりおか映画祭」という地元の映画祭もけっこう盛り上がっていたんですが、震災も大きな一因で、その映画祭の存続が危ぶまれるようになった。まずはその映画祭を自分たちで盛り上げることができないかと。映画館を盛り上げる、商店街を盛り上げる過程で地元と繋がりを作ってきました。1作目の「るろうに剣心」の公開前には、「新渡戸稲造博士・生誕150周年記念」と「もりおか映画祭」プレイベントを絡めた武士道を語るイベントを開催したり、地カクテルの「INAZO」を地元のバーテンダー協会と開発したりしましたね。剣心と新渡戸稲造は親和性があって面白いんですよ。
そう、繋がっているんですよね。盛岡出身の教育者、思想家の新渡戸稲造の著書「武士道」は明治時代に世界中でベストセラーになりましたが、書籍の中で新渡戸は、「武士道」は日本固有の文化であると同時に散りゆく桜でもあると書いています。新しい明治の時代、社会が西洋化するなかで変わりゆく日本人固有の価値観を新渡戸は、いま一度再確認しているんですね。宗教のない日本を束ね、国民が共有する社会規範を作ってきたのは「武士道」の精神ではないかと。その武士道の極意とは、鞘から刀を抜かずに戦いを収めること、戦わずに争いを収めることです。そう捉えていくと、「るろうに剣心」にも武士道の精神に近いサムライスピリッツを見い出せます。「るろうに剣心」が海外でも人気なのは、新渡戸の「武士道」以来続く日本の侍像に対する評価や憧れ、そういう影響もあるはずで。そんなふうに地元でイベントや映画祭を続け、友人たちと活動するなかで、自然と地元盛岡で映画を撮りたいと思うようになっていったんです。
岩手の人たちは凄く喜んでくれましたね。「影裏」の公開直後の興行は「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」を超える稼働だったそうです。凄くないですか? 地元を代表する蔵元の「南部美人」さんと「わしの尾」さんで「影裏」という醸造酒を、ベアレンビールというビール会社では「影裏」というクラフトビールを作ってくれたり、地元は思った以上に応援してくれた。ただ公開直後にコロナが拡がり始めたこともあって、地元の勢いが全国には繋がらなかった。二番館での上映や海外の映画祭にも持って行きづらくなって……。楽しく撮った作品ではあるけれど、やり残したこともまだまだある。しっかりとWin-Winのシステムを作らなければならないと痛感しましたね。地元の仲間たちは、僕の映画の公開日は毎回「世界最速上映」と銘打って、深夜零時からの上映イベントで応援してくれたり、今回の「るろうに剣心 最終章」ではコロナで深夜開始が無理なので、朝5時半からの早朝上映で盛り上げてくれたりもした。その心意気に応えるためにも、また岩手を舞台にした映画を作りたいと思っています。
ぜひ、来てください。「映画館通り」もそのひとつですが、自分の生まれ育った場所──商店街や町の病院、何気ない道……懐かしい風景には言いようのない何かがあって、撮影を通してもう一度、そういった想い出の場所を訪れることができました。若い頃は地方出身者独特の故郷に対するひねくれた意識があって(笑)、生まれ故郷を省みることなく生きていましたが、あるとき(気持ちが故郷へ)Uターンするものなんですね。僕にとってのUターンのきっかけは震災でしたが、そうやって地元に目を向けることで、いつか自分はここに帰ってくるんだろうな、とも感じました。地元で過ごしてきた日々は決してドラマティックでもないし劇的でもないけれど、身体の奥底に何よりも深く残っている。どうしたってそこが自分の原点にならざるをえないんですよね。
明らかに違いはありますね。「影裏」を撮る前の「るろうに剣心」3作と「影裏」を撮った後の「るろうに剣心 最終章」は、僕の中で全然違いましたから。何が違うのかを今ここで言葉にするのはなかなか難しいですけどね。今回のこの連載で10年を振り返ることで、その違いも含めて人生の整理をしているような、新谷さんに対面コンサルしてもらってるみたいな感じでもある(笑)。これまでは、インプットとアウトプットを同時進行で繰り返しながら前のめりに突き進んできて、過去を振り返る余裕がなかった。ただ、こうして振り返りながらも、やりたいことはどんどん増えていくし、何か行動していないと自分が古くなっていく気がするというか、何かを逃していくような気がします。実際に「るろうに剣心 最終章」は、本当は昨年に公開予定で、コロナで延期になって、まあ来年のこの時期は大丈夫だろうということで4月23日に公開を決定したのですが、再びコロナと緊急事態宣言で、かなりの逆風に立たされています。何が起こるか分からないからこそ後悔しないように動かなきゃいけない。多くの事象に目を向けたり、いくつもの企画を動かしたりしないとって思ってしまうんですよね。
たしかに「影裏」には、僕の大好きな世界があります。隠喩に満ちた表現、説明過多ではないこと。心の奥底から湧き上がる人物たちの感情に、気づく人は気づけばいいし、気づいた人に対しても、分かりやすく気づかせることはしないというか。共感できる人にだけ向けて発せられる、耳元でささやくような映画。結果は観る人の評価に任せるしかないけど、そういう映画を目指して取り組んだところはあるんですね。
この原作自体が、向けられた批評に対して「ノー」と言える仕掛けを忍ばせているように思います。これってこういう作品だよねって、誰かがレッテルを張ろうとした瞬間に「べーっ」って舌を出してその場を去ってしまうような、したたかな文学の力とでもいうんですかね。言い換えれば、どんな読み方をしても許容する小説で、しかしながら、どんな読み方をしても拒絶する小説でもある。自分がその小説をどう読むのか、どう捉えたのか、自分のなかにしか答えはないんです。映画も同じです。この「影裏」を観て、切実な問題として感じる人もいれば、そう感じない人もいるでしょうね。後者にとってはもの凄く退屈な映画だと思います。でも、退屈だって思われたってそれでいいんだって、覚悟して映画を作ることは、なかなかどうして難しいものです(笑)。
僕は、沼田真佑さんの文学は逃げる文学だと思っていて、そこが魅力でもある。「逃げる」とは、読者が意味を捉えようとした瞬間に全く別の意味の存在を匂わせてくる。根拠とか言質を取られないように、肝心なことであればあるほど曖昧にしか書いていない。逆に言うと、明らかに多様な解釈を望んでいるのだと思います。「影裏」の今野のセクシャリティに関しても、言葉として明確には言及していない。そんなふうに緻密に断定を避け、用意周到に説明を隠した文学を映像化するには、一度自分のなかでしっかり噛み砕いて、自分なりの解釈を確立する必要があります。この原作小説の行間に潜むものを消化して、しっかり定義づけていく。とはいえ、大友はこの原作をこう読みました、こう解釈しました、という核心部分はお客さんに見せない、分かりやすくは撮らない。これは綾野くんが言っていたことですが──「スクリーンいっぱいに表情(顔)が映し出されると、背景はぜんぜん見えない。見えないから背景に対する想像力がもの凄く掻き立てられる」と。今野が日浅を想う切ない気持ちは情景やムードでは説明できない。今野の感情でしか説明できない心の揺らめきなので、だから綾野くんのアップを撮るしかない。子犬のようなあの表情ね。
そう、綾野くんの演じた今野はとてもデリーケートな役で、役に入っていけばいくほど、きっと本人も(役の)傍に横たわる細かいことが気になってしまうんですよね。それを監督である僕がどこまで気づいてあげられるか。「影裏」の場合は、綾野くんと龍平くん、2人の感情のディテールがどこにあるのか、日々どう変化しているか、それによって脚本の在り方や演出の視点すらも変わってくる。興味深いことに、そんな僕の行動を撮影の芦澤(明子)さんがちゃんと見ているんですよね。綾野さんにこんなこと言ってたでしょ?って、帰りのロケバスで僕に言ってくるんです(笑)。聞かれてるはずはないんだけど、なかなか的を射ていることが多くて。僕ら監督は観察のプロみたいなところがあるけれど、撮影者もまたその道のプロ中のプロなんだなって思わされることが何度かありましたね。
この映画は、日浅の行動と水の変容が並行して進んでいく物語でもあるんです。川を流れる水、降り注ぐ雨の水、蛇口から流れ出る水……。演出的には、水の量や水の音にとりわけこだわっているんですね。そしてラストシーンで今野のところに虹鱒(にじます)が流れ着いて、その虹鱒に向かって「おまえ、どこから来たんだよ」って逃がしてあげる。虹鱒を見送る綾野くんのあの表情に、一瞬映画が文学に変わって終わるような印象とか手触りを僕は感じたんです。そういう映画って僕の記憶の中にはけっこうあるんですよ。どんな意味があるのかは明確には分からなくても、何とも言えないざわざわした感動が残る。それを「言葉」にしたくて誰かと話したくなる、誰かと会いたくなるっていう経験をしてきたんですね。孤独を感じるときであればあるほど、そういう映画を観て救われてきた。だから僕も「影裏」で、自分の感じたあの感触を伝えたい──。多様な解釈を許容する、誰がどう捉えようとも映画は自由であってすべて受け止めてくれる、この映画は自分ひとりのものである、という感触をね。「影裏」は、僕が映画にもうひとつの「想い」を託した実験的な映画です。映画を観た方それぞれの個人的なざらついた感情というのかな、それを掘り起こせるような映画になっていると嬉しいです。そういう映画こそが、地元への、今の僕の等身大のメッセージとして相応しい気がしますね。
第9回は、「るろうに剣心 最終章」の舞台裏をうかがいながら、「るろ剣」シリーズは大友監督にとってどのような存在になっているのか、壮大なシリーズを振り返ります。
関連ニュース
映画.com注目特集をチェック
十一人の賊軍 NEW
【本音レビュー】嘘があふれる世界で、本作はただリアルを突きつける。偽物はいらない。本物を観ろ。
提供:東映
映画料金が500円になる“裏ワザ” NEW
【仰天】「2000円は高い」という、あなただけに伝授…期間限定の最強キャンペーンに急げ!
提供:KDDI
グラディエーターII 英雄を呼ぶ声 NEW
【人生最高の映画は?】彼らは即答する、「グラディエーター」だと…最新作に「今年ベスト」究極の絶賛
提供:東和ピクチャーズ
ヴェノム ザ・ラストダンス NEW
【最高の最終章だった】まさかの涙腺大決壊…すべての感情がバグり、ラストは涙で視界がぼやける
提供:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
“サイコパス”、最愛の娘とライブへ行く
ライブ会場に300人の警察!! 「シックス・センス」監督が贈る予測不能の極上スリラー!
提供:ワーナー・ブラザース映画
予告編だけでめちゃくちゃ面白そう
見たことも聞いたこともない物語! 私たちの「コレ観たかった」全部入り“新傑作”誕生か!?
提供:ワーナー・ブラザース映画
八犬伝
【90%の観客が「想像超えた面白さ」と回答】「ゴジラ-1.0」監督も心酔した“前代未聞”の渾身作
提供:キノフィルムズ
追加料金ナシで映画館を極上にする方法、こっそり教えます
【利用すると「こんなすごいの!?」と絶句】案件とか関係なしに、シンプルにめちゃ良いのでオススメ
提供:TOHOシネマズ
ジョーカー フォリ・ア・ドゥ
【ネタバレ解説・考察】“賛否両論の衝撃作”を100倍味わう徹底攻略ガイド あのシーンの意味は?
提供:ワーナー・ブラザース映画
関連コンテンツをチェック
シネマ映画.comで今すぐ見る
ギリシャ・クレタ島のリゾート地を舞台に、10代の少女たちの友情や恋愛やセックスが絡み合う夏休みをいきいきと描いた青春ドラマ。 タラ、スカイ、エムの親友3人組は卒業旅行の締めくくりとして、パーティが盛んなクレタ島のリゾート地マリアへやって来る。3人の中で自分だけがバージンのタラはこの地で初体験を果たすべく焦りを募らせるが、スカイとエムはお節介な混乱を招いてばかり。バーやナイトクラブが立ち並ぶ雑踏を、酒に酔ってひとりさまようタラ。やがて彼女はホテルの隣室の青年たちと出会い、思い出に残る夏の日々への期待を抱くが……。 主人公タラ役に、ドラマ「ヴァンパイア・アカデミー」のミア・マッケンナ=ブルース。「SCRAPPER スクラッパー」などの作品で撮影監督として活躍してきたモリー・マニング・ウォーカーが長編初監督・脚本を手がけ、2023年・第76回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリをはじめ世界各地の映画祭で高く評価された。
死刑囚の告発をもとに、雑誌ジャーナリストが未解決の殺人事件を暴いていく過程をつづったベストセラーノンフィクション「凶悪 ある死刑囚の告発」(新潮45編集部編)を映画化。取材のため東京拘置所でヤクザの死刑囚・須藤と面会した雑誌ジャーナリストの藤井は、須藤が死刑判決を受けた事件のほかに、3つの殺人に関与しており、そのすべてに「先生」と呼ばれる首謀者がいるという告白を受ける。須藤は「先生」がのうのうと生きていることが許せず、藤井に「先生」の存在を記事にして世に暴くよう依頼。藤井が調査を進めると、やがて恐るべき凶悪事件の真相が明らかになっていく。ジャーナリストとしての使命感と狂気の間で揺れ動く藤井役を山田孝之、死刑囚・須藤をピエール瀧が演じ、「先生」役でリリー・フランキーが初の悪役に挑む。故・若松孝二監督に師事した白石和彌がメガホンをとった。
奔放な美少女に翻弄される男の姿をつづった谷崎潤一郎の長編小説「痴人の愛」を、現代に舞台を置き換えて主人公ふたりの性別を逆転させるなど大胆なアレンジを加えて映画化。 教師のなおみは、捨て猫のように道端に座り込んでいた青年ゆずるを放っておくことができず、広い家に引っ越して一緒に暮らし始める。ゆずるとの間に体の関係はなく、なおみは彼の成長を見守るだけのはずだった。しかし、ゆずるの自由奔放な行動に振り回されるうちに、その蠱惑的な魅力の虜になっていき……。 2022年の映画「鍵」でも谷崎作品のヒロインを務めた桝田幸希が主人公なおみ、「ロストサマー」「ブルーイマジン」の林裕太がゆずるを演じ、「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」の碧木愛莉、「きのう生まれたわけじゃない」の守屋文雄が共演。「家政夫のミタゾノ」などテレビドラマの演出を中心に手がけてきた宝来忠昭が監督・脚本を担当。
「苦役列車」「まなみ100%」の脚本や「れいこいるか」などの監督作で知られるいまおかしんじ監督が、突然体が入れ替わってしまった男女を主人公に、セックスもジェンダーも超えた恋の形をユーモラスにつづった奇想天外なラブストーリー。 39歳の小説家・辺見たかしと24歳の美容師・横澤サトミは、街で衝突して一緒に階段から転げ落ちたことをきっかけに、体が入れ替わってしまう。お互いになりきってそれぞれの生活を送り始める2人だったが、たかしの妻・由莉奈には別の男の影があり、レズビアンのサトミは同棲中の真紀から男の恋人ができたことを理由に別れを告げられる。たかしとサトミはお互いの人生を好転させるため、周囲の人々を巻き込みながら奮闘を続けるが……。 小説家たかしを小出恵介、たかしと体が入れ替わってしまう美容師サトミをグラビアアイドルの風吹ケイ、たかしの妻・由莉奈を新藤まなみ、たかしとサトミを見守るゲイのバー店主を田中幸太朗が演じた。
文豪・谷崎潤一郎が同性愛や不倫に溺れる男女の破滅的な情愛を赤裸々につづった長編小説「卍」を、現代に舞台を置き換えて登場人物の性別を逆にするなど大胆なアレンジを加えて映画化。 画家になる夢を諦めきれず、サラリーマンを辞めて美術学校に通う園田。家庭では弁護士の妻・弥生が生計を支えていた。そんな中、園田は学校で見かけた美しい青年・光を目で追うようになり、デッサンのモデルとして自宅に招く。園田と光は自然に体を重ね、その後も逢瀬を繰り返していく。弥生からの誘いを断って光との情事に溺れる園田だったが、光には香織という婚約者がいることが発覚し……。 「クロガラス0」の中﨑絵梨奈が弥生役を体当たりで演じ、「ヘタな二人の恋の話」の鈴木志遠、「モダンかアナーキー」の門間航が共演。監督・脚本は「家政夫のミタゾノ」「孤独のグルメ」などテレビドラマの演出を中心に手がけてきた宝来忠昭。
ハングルを作り出したことで知られる世宗大王と、彼に仕えた科学者チョン・ヨンシルの身分を超えた熱い絆を描いた韓国の歴史ロマン。「ベルリンファイル」のハン・ソッキュが世宗大王、「悪いやつら」のチェ・ミンシクがチャン・ヨンシルを演じ、2人にとっては「シュリ」以来20年ぶりの共演作となった。朝鮮王朝が明国の影響下にあった時代。第4代王・世宗は、奴婢の身分ながら科学者として才能にあふれたチャン・ヨンシルを武官に任命し、ヨンシルは、豊富な科学知識と高い技術力で水時計や天体観測機器を次々と発明し、庶民の生活に大いに貢献する。また、朝鮮の自立を成し遂げたい世宗は、朝鮮独自の文字であるハングルを作ろうと考えていた。2人は身分の差を超え、特別な絆を結んでいくが、朝鮮の独立を許さない明からの攻撃を恐れた臣下たちは、秘密裏に2人を引き離そうとする。監督は「四月の雪」「ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女」のホ・ジノ。