【「おもかげ」評論】濃密なサスペンス短編を予想もつかない形で発展させた、ある母親の謎めく心の軌跡
2020年10月24日 21:00

いきなり冒頭、息もつまる見どころがやってくる。マドリードの自宅アパートにいる若い母親エレナのもとにかかってきた1本の電話。その電話の主は、離婚した元夫とフランスを旅している6歳の息子イバンだ。母子の微笑ましい会話は、なぜかイバンが誰もいない海辺に置き去りにされていることが明らかになるにつれ、不穏な空気が漂い始める。そしてひとりぼっちのイバンの身に危険が迫るや、エレナの漠然とした不安はより具体的で生々しい戦慄へと変わり、ついには決定的な恐怖と化していく。
ある日突然、ひとりの母親の穏やかな日常が崩壊する約15分の出来事を映像化したこのオープニングシーンは、ロドリゴ・ソロゴイェン監督が2017年に発表し、米アカデミー賞短編映画賞にノミネートされた「Madre」をそのまま使用したもの。ワンシーン&ワンカットで撮られているため、電話の向こう側の息子の姿は一切映されず、最終的に彼がどうなってしまったのかも描かれない。観客をまさしく宙吊り状態に投げ出したまま幕を閉じる短編の“その後”を描く長編映画、それが「おもかげ」だ。
はたして主人公エレナの息子は何者かに誘拐されたのか、彼はどこへ消えてしまったのか……。冒頭シーンに続いて息子の捜索が始まるのかと思いきや、映画は観客の予想を裏切って“10年後”へと時制を飛躍させる。息子の失踪現場からほど近い海辺の町で暮らしているエレナの前に現れたのは、消えた息子の面影を宿す十代半ばの少年。すると、ふたりは年の差も周囲の目もお構いなく、それが運命であるかのように猛烈に惹かれ合い、親密な結びつきを深めていく。
最終的に成就するはずのない禁断の愛の行方から目が離せない本作は、広角レンズとステディカムを駆使した長回しの映像スタイルが特異な浮遊感を醸し出す。とりわけ真っ白な波しぶきが悠々と押し寄せる浜辺の情景が圧巻。劇中に幾度となく挿入されるその神秘性を湛えたショットは、エレナが繰り返し見る“夢”の光景でもあり、最愛の我が子を奪われた彼女の埋めようのない喪失感のシンボリックなイメージにもなっている。
冒頭の濃密なサスペンス短編を意外な形で発展させたソロゴイェン監督は、悲しみの牢獄に囚われた母親の再生への道のりを紡ぎ上げた。しかも鬱蒼とした森のシダのように、最後まで解かれないミステリーと人間の感情の不可解さが絡みついたその心の軌跡は、途方もなくスリリングで夢幻的な映画体験をもたらすのだ。
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