【佐々木俊尚コラム:ドキュメンタリーの時代】「アンナプルナ南壁 7,400mの男たち」
2014年9月9日 18:10
[映画.com ニュース]とびきりの難易度で知られるヒマラヤ8000メートルの岩壁、アンナプルナ南壁。大量の積雪で知られ、雪崩が多く、過去にたくさんのクライマーが命を落としている。この南壁に挑戦したスペインのベテラン登山家、イナキ・オチョア・デ・オルツァが7400メートル地点のキャンプで高山病にかかってしまい、身動きがとれなくなってしまう。
酸素は薄く、そこにいるだけでも生命力が奪われていく高度。高山病を発症したイナキをそのままにしていれば、長くは持たない。しかし登るのも下るのもきわめて困難なルート、しかも頂上直下の高度という厳しい場所。どうやって助けるのか?
その「SOS」に応じたのが、世界10か国の12人の登山家たち。ある者は、晩ごはんを食べてくつろいでいるところに報を聞き、夜9時に現地に向けてすぐさま出発した。ある者はネパールの街のネットカフェで両親にメールを送ろうとしていた。ある者は別の8000メートル峰を登頂し終えたばかりだった。彼は疲弊して下界に戻ってきたばかりだったのに、「自分は高度順応できている。だからすぐに高所に上がることができる」と考えたのだ。
そうやって彼らはさまざまな場所から、急ぎ駆けつける。ベースキャンプまで歩いてキャラバンしていく余裕などないから、悪天をついてヘリコプターで現地へと向かう。霧の立ちこめた谷間を、岩と岩のあいだを斜めになって縫うように飛び、ベースキャンプの直下で登山家たちを下ろす。そして彼らは、7400メートルに立ち往生しているイナキを目指し、上へ上へと進んでいく。
本作は、この救助活動に参加した登山家たちを取材し、当時を振り返り回想してもらうというスタイルを採っている。なんともいえない感銘を受けるのは、イナキの遭難が報じられた直後、彼らがほぼ「即座」に救助に参加しようと判断していたということだ。逡巡はない。どうしてそんなふうに、自分の命さえも奪われかねない状況に身を投じられるのだろうか。
ひとりの登山家は言う。「登山家のきずなは、最前線で戦う兵士たちのそれと似ている」。銃弾をくぐり抜けるように、高山では怖ろしい悪天候に巻き込まれ、雪崩に遭い、不意に滑落し、高山病に襲われる。そいういう状況下で一定期間を過ごした者たちどうしの間だけに、特殊な友情が生まれてくる。
「単なる友情を超えた兄弟の情けともいうべききずなだ。困難をともにした登山家のあいだにはそれがある。だからだれかの身に何かが起きれば、ただ救うことしか考えられない。他の選択肢は存在しないんだ、オレはそう思ってる」
「イナキを置いていくなんて考えられなかった。そんなことをしたら僕は一生後悔する。人として他の選択肢はない」
この映画には、先鋭的な登山家たちのそういうモノローグがたくさん出てくる。その言葉を聞くためだけにも、この映画を見に映画館に足を運んでほしいと思う。
人はなぜ山に登るのか――。
「高い山に登ると、焼けるような筋肉の痛みや寒さや空腹、疲労に苦しめられる。問題は、そのつらさとどう向き合い、どうやり過ごし、受け入れ、不快を快適に変えるかだ。山は力業で登るのではない、心で登るんだ」
「登山などバカげていると人は言う。山で誰かが命を落とすと、その声は大きくなる。でも山に登るのは死ぬためじゃない。いまこうして生きていることをかみしめるためだ」
「どうやって困難を乗りこえるか、どうやって途中で引き返すことなく頂上までたどり着けるか。どうやって人とつながれるか。どうやって厳しい局面で、親友と親友のままでいられるか。僕は、僕の日常の暮らしに満足している。自分が見せかけではない、真の男だからだ。そうあることが、僕の魂にはとても重要なんだ」
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